妙法尼御前御返事文段
妙法尼御前御返事文段
御書三十二 八月二十日中日 一、人の寿命は無常なり文。 止の四・二十七に云く「人の命は無常なり。一息追わざれば千載長く往く」文。前息出て已って後息続がざる故に「追わず」という。或は応に「還らず」に作るべし。故に弘の四本四十三にこの文を釈して云く「一たび人身を失えば万劫復らず」云云。止の七に「一息還らざるを即ち命終と名づく」云云。 一、出る気は入る気を待つ事なし文。 止の七・四十七に云く「大集に云く、出入息を寿命と名づく。一息還らざるを即ち命終と名づく。比丘、仏に白して言く、七日を保たず乃至出入の息を保たずと。仏言く、善い哉、善く無常を修せよ」云云。 弘の七末十五に云く「比丘七日を保たず等とは、大論二十五に、仏、比丘の為に死想の義を説く。比丘有り、仏に白す、我能く善く死想を修すと。仏言く、汝云何が修すると。答えて言く、七年に過ぎずと。有るが云く、七月を保たずと。有るが云く、七日乃至六、五、四、三、二、一日と。仏の言く、是れを放逸と名づくと。有る比丘言す、旦より食に至るを保たずと。有るが云く、食頃と。仏言く、皆是れ放逸と。有る一比丘言く、出ずる息は入る息を保たずと。仏言く、是れを精進して善く無常を修すと名づくと」文。「情なく手折りて○出ずる気○又こん春もたのまればこそ」。 「後の世と聞けば遠きに似たれども 知らずや今日も其の日なるらん」恵心 一、風の前の露尚譬にあらず文。 「巻荷忽に被り微風触れる 濱下の清香露一盈」云云。 「露をなどあだなる物と思いけん 我が身も草におかぬ計りぞ」維持 一、かしこきもはかなきも文。 止の七・四十七に云く「無常の殺鬼、豪賢を択ばず淮南子に云く、智百人に過ぐ、之を豪と謂う。聚斂未だ足らず、溘然として長く往く溘は去なり。所有の産貨、徒に他の有と為る。山海空市、逃避する処無く、頭然を救うが如し。豈復世財に貪着して、生死の業を造らんや」文。 「豪賢」とは即ち顔回の如きこれなり。三十二歳にして死せるなり。 論語の先進篇に云く「季康子問う、弟子孰か学を好むと為すと。孔子対えて曰く、顔回という者有り、学を好む。不幸短命にして死す。今や則ち亡し」云云。 平生謬って百年の計を作す 岩畔の古碑空しく緑苔す云云。 また応に「親も疎も、貴も賎も」というべし。 宗祖云く「親疎同じく走り行けども我が身の無常をかへりみず」云云。 「よしや君昔の玉の床とても かからん後は何にかはせん」西行、讃岐院の御陵に詣でてよめる歌なり。 「草も木も靡きし秋の霜消えて 空しき苔を払う松風」かもの長明、頼朝廟に詣でてよめる歌なり。 山海空市。弘の七末十八に云く「法句経第二に梵志有り。兄弟四人、各神通を得て、後七日あって一時に皆死せんと知る。一りは大海に入り、一りは須弥に入り、一りは虚空に挙がり、一りは市の中に入る。各云く、是くの如き処に避けなば、無常の殺鬼、豈我が処を知らんやと。王に辞し、意を述ぶ。七日にして已に各命終す。市監、王に白す、一りの梵志市中に死すと。王云く、一人已に死す、余の三豈免れんやと。即ち仏に問う。仏言く、四事有り、遁るべからず。已に生・老・病有り、豈死無かる可けんやと」云云。 頭燃を救うが如しとは、啓蒙三十四・五十五。 御書三十四・三に云く「無常は須臾の間なり、旦暮いつとか弁へん我も人も願くは頭燃を払うが如くせよ」云云。已上、止観の文、消し畢んぬ。 一、老いたるも若きも定め無き習いなり。 「定めなき世にも若きは頼あり 只とにかくに老いの身ぞうき」俊成 「とにかくに老いはあまたの年も経つ 定めなき世に若きこそうき」定家 宗祖云く「縦ひ千秋を送るとも、歳月程なく過ぎ易し、況や老少不定なり、いつをいつとか憑むべき」云云。 徒然草の四十九段に云く「速やかにすべき事をゆるくし、ゆるくすべき事をいそぐなり」と。 寒山の頌に云く「老来を待って始めて道を学ぶこと莫れ、古墳多くは是れ少年の人」云云。 一、先ず臨終の事を習うて等文。 先後を知る則は道に近きなり云云。 先に為すべきを謬って後に為す 譬喩経、おし鳥のまねの事 後に為すべきを謬って先に為す 徒然草、先ず馬を習う法師の事 多年・刹那の二種の臨終の事 爾前・迹門は邪法・邪師の邪義なり。本門寿量は正法・正師の正義なる事 日蓮が申す法門僻事に候はばよも臨終正念に住し候はじ云云。 第一に妙法三力の習い、自ら三あり・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ 一には末法下種の本仏の仏力 御書五・二十九「付那先経の船の譬」の事 ・ 二には末法下種の妙法の経力 御書十九・六十三「譬えば女人(乃至)白物の・ ごとし」三十二・十三 ・・三には末法下種の信力 御書二十三「縦ひ頚をば鋸にて引き切り・どうをばひ しほこを以て・つつき・足にはほだしを打つてきりを以てもむとも、命のか よはんほどは南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば 釈迦・多宝十方の諸仏・霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて 手をとり肩に引懸けて霊山へ・はしり給はば」となり。 第二に行者用心の習い、また三あり・・臨終の一念は百年の行功に勝る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 木は傾く方にたおるる事 ・ 一、断末魔の用心にまた三の習いあり・・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ ・ 一には平生善を修むれば苦悩多からず・・正法念経 ・ ・ 二には平生人を譏らざれば苦悩少なし・・顕宗論 ・ ・・三には平生覚悟を定むれば苦に驚かず・・引きよせてすかさればこそ ・ 二、執著の用心にまた二の習いあり・・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ ・ 一には妻子に執著 鼻の中に虫を生ず、沙石の四に云云。また五無反復経・ ・ 。鳥の夜林親子。渡りの船父子。市人夫婦 ・ ・・二には財宝に執著 魯山寺の明道、天井の錢、花愛蝶 はだかにて生まる・ 、何ぞ執せん。況や出家は皆仏の物なるをや ・ 止の七に云く「財は糞土の如し、之を捨つること唾の如し」云云。龍居・ 士、財を捨つ ・・三、天魔の用心・・ ・・・・・・・・・・ ・ 沙石の四・二十三に引き伏せられて死すめ事 また手を打って飛び去る云云 ・ 善悪二相倶に驚くべからざる事 伝心法要蜷川が事 ・・御書二十八に云く「三障四魔と申すは」云云 第三に善知識に五箇の習いの事 一、臨終には知識を勧むる事が肝心なる事 譬えば牧の馬を取るが如しの事 一、常に善知識を得んことを祈るべし 並びに兼ねてこれを頼り置くべき事 一、若し死病と定まらば早く病人に告知すべし。用捨無用の事 一、只今と見る時、耳の側によりてすすむべき事 一、死して六時七時も屍を動かすべからざる事 第四に看病人に三箇の習いの事 一、世間の雑談並びに病人の執心を残すべき事は、一切語るべからざる事 一、紙にて水を少しずつ口に潤すべき事 一、一切病人の心に障らざるように取り扱うべき事 一、阿祇陀王、一念の瞋にて大蛇と成る事 弘の一中に云く「臨終に報を受け、 復強きより索く」文 第五に臨終の作法に五箇条の事 一、その処に清浄にして本尊を掛け奉り、香華燈明を備うべき事 一、遅からず速からず、断えず鐘を打つべき事、鐘の声を聞いて苦を忘るる事、 けいにた王並びに知興の事 一、家中にて魚鳥を焼くべからざる事 一、魚鳥五辛を食し並びに酒酔の人は門内に入るべからざる事 一、病人の近き処には五三人に過ぐべからざる事 第六に死相に善悪の習いあり 御書十九・六十三に、黒白、軽重、強弱云云 問う、父母・師匠、臨終に悪相あらば、隠すを以て孝と為んや、顕すを以て為ん や 外十三・二十三に「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と 唱うる人を『是人命終為千仏授手(中略)と説かれて候』 また二十五に云く「相構えて相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経、臨 終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ(乃 至)信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」 |