第十九回日蓮正宗法華講全国大会

 
     現況報告   正信会副議長近藤済道師

    正信会僧俗こそ唯一正統な日興門流

    現宗門に蔓延する教義逸脱を糾弾

 本日はこの京都の地にて第十九回日蓮正宗法華講全国大会が盛大に開催されましてまことにおめでとうございます。

 この一年をふり返り、阿部宗門と創価学会、そして正信会僧俗の現況を踏まえた上から、最高裁判決後を経て、今後の基本姿勢についてお話をしたいと思います。

    混迷する宗・創紛争

 先に日蓮正宗より破門された創価学会は、外に向けては池田大作氏の異常な権力欲から佞臣(ねいしん)たる公明党の市川雄一書記長を新生党に近づけ、連立与党として国政のイニシアチブを握り、そのかたわらで、かつての仇敵・在家教団の先輩格である立正佼成会との関係和解を策しております。また会内においては、ついに独自の漫荼羅を作製し本尊と称して会員に拝ませるにいたりました。ついで本尊作成の不信の眼をそらすためにターゲットを宗内僧侶の私生活に絞り、“学会員の御供養を贅沢三昧の遊興に使う坊主を絶対許すな!”学会寄進の寺から出て行け!”を合い言葉にして「日顕宗撲滅作戦」を実行中とのこと。合わせて本年七月二十三日から三日間行われる「地涌六万人総登山会」なるものをなんとしても粉砕するとの運動を進めているようです。

 それに対して阿部宗門は学会独自の漫荼羅本尊作製・邪宗立正佼成会との和解会談などを取り上げ、脱会運動の主要作戦として学会員の家に葉書でその謗法を訴えるという手段をとっているようです。が、葉書の内容のお粗末さと学会側の徹底した僧侶不信・僧侶軽視の洗脳包囲網で、いまひとつ効果が出ていないというのが実状のようであります。また宗内においては訓諭を発令し、百日間の僧俗共による六百億遍の唱題行と新六万塔建立の法要を行い、ついで未来広布への道を開く六万恒河沙の意義をもつ六万人総登山会と称する登山会の実施に全力を傾けているようです。特に、新六万塔は総工費六千万円と言われていますが、その建立にあたり、全国のご信者から二十億円を超える御供養を集めた、との話が宗門内に広がり、宗門側僧侶はその余剰金の使途について深い疑いをもっている、と言われています。

 このような周囲の状況下にあって私たち正信会僧俗は、阿部宗門が創価学会を破門してよりここ数年、双方のあまりにも次元の低い醜い争いに巻き込まれてはかえって大聖人の仏法に傷をつけるとの懸念から、あえて静観するとの立場を取りました。そして身にふりかかる火の粉はそのつど、是は是、非は非として明確に指摘してきました。ところがあまりにも急激な双方の変貌とスキャンダルの応酬に、呆れるやら戸惑いを覚えるやら、また結果としてどちらか一方に加担してしまうこともあって、運動面においては停滞気味でなかったかと率直に反省する次第であります。

 しかし、信仰面においては、各寺院共に住職とご信者さんの真の信頼関係が芽ばえ、家族そろって寺院に参詣する姿が見受けられるようになるなど、一家和楽にして落ち着き、充実した本物の信心が根づいてきたように思われます。

    露呈した当局の失政

 「前略、正信会議長渡辺広済御尊師に真心を込めて訴えます。一日も早く渡辺御尊師をはじめとする正信会代表団が総本山に登山し、阿部管長に面会を要求し宗門復帰の直接交渉をすべきである。もはや今立たずしていつ立つのか?」

 これは先日正信会議長宛に送られてきた手紙の冒頭部分であり、昨今こうした手紙や電話を数多く頂戴しております。すなわち、正信会の宗門復帰という問題であります。復帰という言葉は適当であるか否かはともかく、話を充分に理解していただくためにあえて復帰と申し上げておきます。

 さて、この問題ばかりではなく、正信会は大多数の寺院が最高裁判決が確定してより、僧侶同士の話し合い、各教区会の意見などを吸い上げ、対宗門・対学会そして正信会の規約・機構・後継僧侶の育成・布教所の開設など今後の青写真を種々検討し、話し合いを何度も重ねてきました。問題山積の中、何よりも富士門流の伝統教義と化儀並びに慣習をもとに、種々の問題処理にあたっておりますが、各寺院の独自性や思惑、現代社会の複雑化などで、一朝一夕には正信会として統一できないのが現状であります。

 この復帰の問題に関しても、月例の委員会で何度も何度も協議を重ねました。その結果一応の線として継命新聞の新年号・正信会議長の年頭の辞に、「正信覚醒運動の現況と今後」と題して正信会僧俗の基本姿勢をすでに発表済みであります。

 にもかかわらず、正信会の宗門復帰を希望する声が宗内僧俗問わずに頻(しきり)に届くのは、「日顕宗撲滅運動」に地方の末寺が相当まいっていることを如実に物語るもので、その原因は宗務当局の対応のつたなさ、すなわち宗務行政の失政以外の何ものでもありません。一例を挙げれば、宗門側で「民主寺院」と呼んでいる困窮寺院への補助金が増え続け、宗務院の財政はすでにパンク状態、内事部から七億円の借金をしているようです。この穴埋めに新六万塔の建立を名目として大々的な金集めを行った、というのが真相のようです。しかし、このご供養は宗務院には入らず、全て内事部、すなわち阿部日顕師のもとに納められたようです。

 今、創価学会の謗法を責めているからといって、過去に法を捨ててスポンサーを取った誤りをひた匿(かく)す阿部宗門。正信会などという団体は認めていない、宗門で認めていないということは正信会は存在しないということである、という宗務役員。宗旨の命脈たる唯授一人の血脈を否定した謗法の輩といまだに私達を罵倒する阿部師。こんな宗門に信仰心をまげてまで、頭を下げひざまずいてまで帰る必要がどうしてあるのでしょうか。「面会を要求し宗門復帰の直接交渉」とありますが、交渉とは相手があって成り立つことなのです。その相手が正信会は存在しないと言っているのにどうして交渉とか話し合いとか出来るのでしょうか。出来るわけがありません。

 池田創価学会という巨大な権力を持つ新興宗教を相手に、不利な闘いを強いられている阿部宗門に対し、正信会はある面で同情を禁じ得ず、これまで宗内の混乱にもあえて静観する立場をとってまいりました。ところが最近脱会運動が低調となり、六万人登山の人数の動員が叶わぬと予想されるにいたると、何としても六万との数に執着する阿部師の叱咤(しった)を恐れてか、こともあろうに正信会のご信者を取り込もうとの働きかけをしていることが分かりました。

 当方が静かにしていることを良いことに、そこまでやってくるのであれば、同情するなど悠長なことは許されません。たとえ結果的に創価学会に加担したかのようになろうとも、正信会僧俗を守るために正信会は全力を挙げて阿部宗門と対決せざるを得ない、と過日の委員会で決定をみました。よって本日ここに現宗門に蔓延(まんえん)する「法主イコール大聖人」との誤った法主本仏論こそ、諸悪の根本の大謗法と糾弾し、ついで六万恒河沙を即六万人と結びつける短絡的思考にもとづく馬鹿げた行事は、純真なご信者をただ苦しめるだけである、ゆえに即刻中止せよと、阿部宗門に申し上げておきます。

 過日奉修された新六万塔建立法要は、雨にたたられて散々な目にあった法要だったと 聞き及んでおります。宗門の現状を正確に捉えるならば、また訓諭による未来広布を真剣に考えるのであれば、馬鹿げた登山会を実施するより、ついこの前まで「正信会とか言う連中でさえやっている。こちらが出来ないわけがない」と大見栄を切っていた布教所を建立すべきであります。ところが、布教所の開設の方は「時期的見地から、また諸般の事情を考えて」と、急遽(きゅうきょ)中止としてしまいました。要は出来ないのであります。

 たった一カ所すら布教所を開設せずに末来広布を論ずること自体、まさに滑稽(こっけい)という以外にはありません。姑息(こそく)な手段で数集めに奔走する前に、率直に過去の誤りを反省し、法の正邪をもって地道に訴え弘教してこそ、真実未来広布の一歩となるのであります。阿部宗門に申し上げておきます。素直に正信会を見習いなさいと。正信会はすでに全国三十二カ所もの布教所を建立しているのであります。本年に入っても先月の四月十日、大分県大分市に、三十三カ所目の布教所・妙伝院が建立されました。素晴らしいことではありませんか。

     最高裁判決を踏まえて

 つぎに、あと数ヶ寺の判決を残すだけとなった私達の裁判に関してのお話をします。当初敗訴続きの裁判でしたが、仏天のご加護、弁護団の先生のご尽力、さらに係争途中で逝去された住職のご遺族とその所属信徒のご協力とご理解を頂戴したおかげで、最高裁判所は私たちの代表役員の地位を認めはしませんでしたが、宗門側の求めていた寺の明け渡しも認めませんでした。いわゆる「双方却下」の判決が確定しました。

 従来は訴訟継続中の無益な混乱が生じることを避けたいとの理由から、住職が逝去した時点において五七日忌あるいは七七日忌の法要が済み次第、そのお寺から自発的に引き揚げてまいりました。したがって、これまで一度も混乱を起こしておりません。現今の宗務行政の乱れに乗じて、阿部宗門から寺ごと逃げ出す、いわゆる「離脱僧・離脱寺院」が続発する中、宗門の役僧のある人が「さすがに正信会は潔(いさぎよ)いものだ。離脱僧とは訳が違う」と感心されていたとか。

 しかし感心していただくのはもう終りです。考えてみれば、阿部師の管長裁判において、残念ながら、「裁判には馴染まない」という理由で門前払いとなり、我々の訴えは退けられました。だからといって阿部師の管長就任も認められたのではないのであります。正式に認められていない管長の命令による後任住職に、たとえ当方の住職が逝去されたとしても、どうしてお寺を明け渡さなくてはならないのでしょうか。今後、万が一不幸にして住職が逝去するとの事態を迎えたとしても、住職なき後は、その意志を引き継いだ僧俗で徹底的に戦う所存であります。

 本日この会場にお越しの皆様の中に、御住職の逝去、そして寺院からの引き揚げ、さらにその後の布教所開設、と悲しく厳しい試練を乗り越えて、信仰に励んでこられた方々がおられると思います。皆様の流された涙とご苦労は、決して無駄には致しません。皆様のご苦労によって、私達は「双方却下」の判決をもぎ取ることができました。今後は弁護団とも協議してこの判決を法律的な支えとしつつ、正信の僧俗がその道念と信心をもってお寺を絶対に護る、と宣言いたします。

    富士の清流を厳護

 正信覚醒運動をふり返りますと、初期は宗門・創価学会一体なる弾圧に、ただ護法と赤誠一途に道念を燃やし、何としても富士の清流を取り戻す戦いでした。その後、大石寺開創七百年の年に本門寺寺号改称粉砕のため本山に抗議の結集を図ったとき、あまりにも目に余る為体(ていたらく)に、私達には富士の清流を本山に取り戻すには時が必要と知らされ、私達が富士の清流を厳護しなくては誰がするのかと思い知らせれました。すなわち、私達こそがご開山上人の身延離山のご精神を唯一受け継ぐ、、富士の本流なのだと確認し合ったのであります。大河の流れは支流が本流へ合流して大海へそそがれます。復帰する、すなわち合流するその時がいつなのかは、私達凡夫の智慧をもって計り知ることはできません。しかし、いつの日か仏智照覧してその時が必ず来ると確信します。その時まで私達が日興門流の唯一正統を受け継いでいかなくてはなりません。

 本日お集まりの代表の皆さん、本日この場に参加されなかった全国の同志の方々も含め、私達正信会僧俗こそが富士門流の本流であると、この場で改めて確認したいと思いますが如何なものでしょうか。

    真剣な唱題で折伏しよう

 話は変わりますが、昨年の青森大会で皆様にお願いいたしました、所化小僧育成の学衆援助基金に対しご協力をいただきまして、心から御礼申し上げます。

 なにぶん金利の低い今日、現在の基本金では支給額はまだ雀の涙ほどです。正信の命を継ぐ若竹を育てるために、私達僧侶も何とかやりくりして捻出していくことを、委員会で話し合っております。本年も昨年同様年中無休、個人・団体を問わず、ご当地・九条住本寺にて受け付けておりますので、本席をお借りしまして、皆様にはなお一層のご協力をお願い申し上げます。

   折伏弘通に励もう

 最後に、本年度も年間テーマは、「弘通」活動方針は「我等こそ富士の本流」「折伏こそ正信の修行」です。真剣に唱題して、折伏に邁進していくことは当然のことでありますが、特にこの一年、正信会の唯一の機関誌たる継命新聞の活用をもって、折伏弘通に励んでいきたいと考えております。

 継命の増部は運動のバロメーターであります。あの武道館大会の時の継命発行部数より、いささか減少しているのが今日の状況であります。継命新聞社も企業努力によって何とか値上げをせずに頑張っております。まず継命を読み、そしてその継命を大いに活用してください。

 さあ、明年は第二十回記念大会です。本大会の息吹をもって、その日まで一人が一人の折伏を完遂し、第二十回記念大会に花を咲かそうではありませんか。

 以上をもって、現況報告といたします。

        

     

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