(毎週金曜日/朝日新聞地方版に連載)

銭湯に共同社会のイロハ  -第1話-

2000年5月19日掲載

 子供の頃は家に風呂が有る家庭は少なくて、ほとんどの人は銭湯に行っておりました。

 脱衣所で近所のおじさん達に挨拶して、お風呂に入る時は掛け湯をして入りましたし、風呂の中では馴染みの人達ともお話したり、父親の背中を流したり流されたりで、結構子供ながらにも回りに気を使っておりました。

 端午の頃には菖蒲が束にして幾つか浮かべる菖蒲湯になるのが楽しみで、束の中から曲がっていないものを引っこ抜いて一本持って帰り、その香りを楽しみましたネ。
 今はほとんどの各家庭にお風呂があり、各自何の気兼ねも無くて自分の好きな様に入れますから、とても楽ですが果たしてそれが幸せかと言うと少々疑問にも思います。

 回りの人達に気を使いながら入った共同使用の心配りやマナーが大人になってからの人間関係に非常に役立っていますが、現代の子供達はその経験無くして突然共同社会の中に放り込まれますからギャップは大きいものが有り、ノイローゼになるのも不思議では無いと思いますネ。

 太鼓持ちになってからは、お座敷に行っても大浴場には入りません、お客様が居れば「お背中流しましょう〜」なんて何人もの旦那様のお背中を流してフタフタになって揚がるなんて〜事も有りましたからネ、泊まりでもなるべく部屋のお風呂に入りますが、ご婦人から「混浴だから一緒に入らない?」なんて〜のは大好きなので喜んで入ります、何事にも例外はございます。ハイ


目立つ自己中心的な宴会 -第2話-

2000年5月26日掲載

 この頃のご宴会と言いますと、お時間もバラバラに集って「カンパーイ」と言ったら、只雑談しながら勝手に飲み食いし、カラオケも勝手に唄い聞きもせず適当に切り上げて叉バラバラに帰る、次の日昨日は何を話したかも覚えなく何の印象も無い、別にそれ程行きたくも無く付き合いで行っただけの時間潰しの宴会が多く成ってしまいました。

 カラオケが入る前までは、年輩や先輩が宴会芸や艶歌なんぞ唄って、若者にも半ば強制的に参加させ覚えるまで何度も繰り替えし唄わされたり、お酒を注がされたりお流れ頂戴に行かされたりで、イヤイヤながらも宴会でのしきたりや心得や隠し芸を教え込まれておりましたネ。

 強制や窮屈がイヤだ、友達どうし自分勝手に呑むのが好き、との考えも有りますが、元々宴(うたげ)は仕事の節目「晴」の行事で仲間と共食する事で連帯感を高め一人前としての人付き合いも学んだのだとも思います。

 芸妓や太鼓持ちの芸の時には、飲み食い話せずお酒も注ぎに行かずに楽しく観賞し、お話する時は大いに笑ってお話するメリハリを付け、他の人の邪魔にならずに気を使う事で社会生活の心得を磨く場でも有るのです。

 人は人間社会の中でしか生きられない以上、ルールは守らなくてはいけませんし、自己主張も個性も伸ばさなくてはいけません、ご宴会は自分と社会との共生バランス感覚を磨く場所でも有るのです。


 


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