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ヨーロッパにおける道化(フール/ fool)と日本の「太鼓持ち」の比較と共通点

 

 

 

 

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太鼓持あらいと芸者とのお遊び

 唄に合わせてお銚子のお袴(コースター)を芸者と太鼓持ちが取り合う遊び、間違った人は罰盃を頂きます。右芸者、左舞妓さんが勝敗を楽しんでいます。

<撮影>
黒田五十一(いそかず)様

 

 

 

 

 ヨーロッパでは10世紀中ごろに成立した神聖ローマ帝国が、11世紀半ばに入ると教会の分裂が始まり、貧しく放浪する僧侶(ゴリヤール)の中には風刺(パロディー)的な滑稽な詩「カルミナ・ブラーナ」をも造り出す教養人も出て、その中から芸人(ジョングルール)や道化師おどけ者(ブフォン)になる人達が出て参りました。

 同じ様に日本では12世紀に入って、貴族の政治文化から武士の政治文化への変革期でして、仏教にも新仏教の思想が武士社会に受け入れられ、イギリス国会が開設された1265年頃に日本では僧侶の一遍上人(いっぺんしょうにん/1239〜1289)様が始められた新しい仏教宗派の一つ「時宗(じしゅう)」が後の日本の文化芸術に大きな影響を与えていきました。

 13世紀のヨーロッパでは芸人(ジョングルール)が活躍していた様で、民衆の婚礼や祭日の余興や王侯貴族の式典などに重宝され、宮廷生活に欠かせない存在となり、やがては宮廷に仕える芸人「ミンストレル」になる人も出て来ました。宮廷に仕える芸人「ミンストレル」は面白い事を言って宴席を盛り上げる役割ですが、王侯貴族に仕えるには基本的に礼儀正しく時には忠告的意見も言える事が出来たようで、社会的地位も上昇しフランス国王フィリップ5世(1316〜1322年)の宮廷では道化(フール)が公職となり、知的活動や腹心となって行ったそうです。

 

 

 

 

 フランス国王フィリップ6世(1328〜1350年)に仕えた道化(フール)のエピソードの中に、焼肉屋の臭いを嗅ぎながらパンを食べた人に対して、焼肉屋は臭い代を請求して争っているのを見た道化(フール)は、パンを食べた人の持参している硬貨の音を聞かせて「焼肉の臭い代を硬貨の音で支払った」と言ったそうです、この様な笑い話(ファブリオー)は動物性食品では主に魚を食べていた昔の日本でも同じ様に、ウナギの焼く臭いでご飯を食べた人に対して硬貨の音で支払ったとのお話があります。

 ヨーロッパに黒死病(ペスト)が大流行した1347年ころ、日本でも同じ様に武士が政治権力を持つ室町幕府(1333年〜1499年)が生まれた時に、武士の最高権力者「将軍」の側に付き従って、礼儀正しく知識や情報力を供え総合判断やアドバイスも出来て、新しい文化を創造しユ-モアを持ってお相手を勤める事も出来る「同朋衆(どうぼうしゅう)」が「時宗(じしゅう)」の中から出て参りました。

 コロンブスが新大陸発見した1492年頃の日本では、今度は権力を握った武士同士が争った戦国時代(1500〜1575年)が始まり「同朋衆(どうぼうしゅう)」達は戦略・戦術などの助言もして居りましたが、それを過ぎ、イギリスに東インド会社創立された1600年頃になると日本は武士同士の権力争いも統一され、武士の頭領徳川家康(とくがわいえやす)様(1542〜1616年)により1603年江戸(現在の日本の首都・東京)に幕府を開き、国内が安定すると同時に「同朋衆(どうぼうしゅう)」の中から市井に下りて、豪商などをお相手とする高級文化サロン的存在で高級遊女「太夫(たゆう)/文化芸術教養に優れた女性」がお相手する廓(くるわ)にて、お客様に面白い事や艶っぽい話をして宴席を盛り上げる役割で、基本的には礼儀正しく時には営業戦略のアドバイスまでする「太鼓持ち」が生まれて参りました。

 ドイツに宗教戦争三十年戦争が起こる1618年の少し前頃に、日本でも13世紀頃のヨーロッパで書かれた「笑い話(ファブリオー)」と同じ様に面白い小咄を、仏教寺院の一つである京都の誓願寺(せいがんじ)の55代法主(ほっす/管長)の安楽庵策伝(あんらくあんさくでん/1554〜1642年)様が笑い話千余りをまとめられた「醒睡笑(せいすいしょう)」を書かれ、安楽庵策伝様は「太鼓持ち」の元祖と言われております。

 

 

 

 

 宴席に出て芸者(宴席で歌舞音曲を披露しお酒やお話のお相手をする女性)と共に艶っぽいお話や芸で宴会を盛り上げる「太鼓持ち」は、1861年アメリカ南北戦争の頃に日本は武士政治から市民政治の明治時代へと変わった時で、「太鼓持ち」が一番多く日本全体で600人程居りましたが、1945年日本の敗戦から激減し続け現在では5人程(東京に4人程と私だけ)となり、日本の古都(794年〜1868年まで千年の都があった所)で文化の発生地・京都周辺では私一人で絶滅寸前ですが、皆様の笑顔あふれる幸せのお手伝いが出来ればと頑張っております。

 私は「太鼓持あらい」として1972年(26歳)頃より売り出し、外国人が同席される宴席では「アイアム、シャパニーズ、クレージーピエロ」と申し上げてご理解を頂いており、2001年には(株)角川書店より「『間(ま)』の極意」出版、現在10年間毎週ラジオ番組を持ち朝日新聞地方版にも3年間毎週連載中で、京都を中心に宴席や講演にと日本全国飛び回っております。
 貴方の幸せを願っております、有難うございました。

太鼓持あらい (2002年8月現在)

 

 



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