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太鼓持ちの発生と歴史の流れ

(D)明治時代から衰退の太鼓持ち/1867年〜

 

 


 

 

 鎖国されていた江戸幕末から西洋文明を取り入れた武士政治から市民政治の明治維新にかけての変化の時代に「太鼓持ち」が日本全国で多い時には500〜600人程居られ繁栄致しておりましたそうです。
 やがて戦争となり第二次世界大戦終了後、日本は1946年占領軍命令で公娼を解放、1958年「売春防止法」が施行され公娼制度は全廃され、遊女は無くなり色里は認められなくなり伝統的お座敷文化までが隅に追いやられたと言うよりも、食べるのに精一杯で遊ぶ所では無かったのが現実でありました。

 戦後の税制改革により富豪も無くなり1960年頃から日本は経済発展に伴い、やがて皆が中流意識を持ち皆で楽しむ時代となり、1977年頃にはご自分で楽しむカラオケ(自分で音楽を選定して自分が唄う)がブームとなってお座敷の遊びの中まで入って来てしまい、芸者さんが「コンパニオン」(若い女性が洋服でお酒を注ぎお話の相手をする仕事)さんに押し出されて需要も激減してしまい、「太鼓持」も現在では日本全国でたった5人程だけ(内、東京に4人程と私のみ)となってしまった貴重な日本のお座敷文化伝承芸人でして、私は日本文化の原点京都的に「お伽衆(おとぎしゅう)」とか「話衆(はなししゅう)」の伝統を引き継いで、歴史文化のお話や艶話・艶芸をもって勤めさせて頂いております。

 

 



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