143  大樋焼(おおひやき)

今から約三百年の昔、寛文の頃、加賀国藩主前田綱紀公は京都の茶道家、千宗室「仙叟」師を茶道奉行として招くとともに樂一入の門人、土師長左衛門を御細工人として同道した。       
大樋焼は、この長左衛門が金沢東郊陶土の産地大樋村に地を賜わり仙叟師の指図にて、茶器を焼いたに始る、その土質緻密にして釉も至って滑らか、赤黄黒飴色をなし俗に「大樋飴楽」と称して世に有名となった。                    
以来子孫累世独特の作柄を競い、茶道の真意による諸品を焼出し、世々称賛を博した。


参照

                                                   日本工芸誌より
                                                                                                                                                                                                                            


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