58 弥七田織部について
弥七田(やひちだ)織部…繊細な文様
弥七田古窯は志野を焼いていた窯跡として知られている。
牟田洞、窯下、中窯(岐阜県可児市久々利大萓)の近くに窯跡が残っている。
この窯は他の織部とは時代がずっと下り、慶長末期か寛永の頃まで焼かれていたのではないかといわれ、時代的にも地理的にも一つ離れた存在である。
この窯の織部は作風において他の窯のものとは明確に区別されている。
感覚も技法も精巧、細緻ですべて洗練され、しゃれた意匠のものが多い。
素地は総体に薄手で緻密、形は端正でとくに意匠には細かい神経が使われている。
繊細な絵付に緑釉も所々に細く紐状にたらしかけ、赤織部にみられる赤を点線として絵のなかに効果的にとり入れたことも特徴の一つである。
このような技法は、仁清等京風の焼物にも影響を与える美濃の中でも独特の世界をもった焼物として特筆できる作品である。