新 陰流兵法と郷土の歴史

新 陰流兵法とは

新陰流兵法は上泉伊勢守秀綱(信綱)を流祖とし、足利時代末期戦国時代の世に創始された日本の剣術を代表する流派であり、 柳生宗厳(石舟斎 新陰流兵法第二世)を始め幾多の人材を輩出しております。

新陰流兵 法と加賀

 上泉伊勢守秀綱(信綱)に同行したと伝えられる 疋田 景兼(豊五朗) は、加賀国石川郡に、上泉伊勢守秀綱(信綱)の姉を 母に生まれたと伝えられています。柳生宗厳とは上泉伊勢守の代わりに立ち会い、三度とも全て勝ったと伝えられています。 ただし、この話は上泉伊勢守が立ち会ったともいわれております。加賀国石川郡のどこなのか疑問はありますが、金沢市に疋田という町名はありました。 もしかしたら?などと思っています。

 また、加賀藩では笠間 九兵衛が柳生但馬守宗矩の門弟であったようです。こちらも含めて、石川県立図書館の古文書などを調べています。加賀藩と言えば、 富田流の名人越後が有名で、伝書も残っているようです。


『秘 要雑集』 大聖寺藩古文集 現代語訳
 加賀市図書館のホームページに『加賀市郷土資 料現代語訳』のページがあり、この中の『秘要雑集』に新陰流兵法の記載があります。古文書はほとんど読めないだけに、現代語訳は助かります。
 『秘要雑集』にみられる武芸の流派は41頁に記載されていますが、剣術では中条流・日下流・新陰流が上げられています。新陰流については、47頁 堀三 郎左衛門 の項に出てきます。更に詳しい資料があれば良いのですが、大聖寺藩においても新陰流とは縁があったと思われます。

・小説 『柳生兵庫助』 津本 陽
 小説ではありますが、津本 陽の『柳生兵庫助』 二巻の239頁より加賀への廻国として大聖寺が出てきます。小説なので本当にあった話かどうかは・・・ 想像しながら読んで下さい。
 この小説では新陰流に関わる用語を引き合いに出して書かれていたりします。そのまま鵜呑みせずにひとつの解説として読んでいくと、またおもしろいと思い ます。

・白山比盗_社 宝物館 真柄の大太刀
 白山市にある白山比盗_社の宝物館には、真柄の大太刀が納められています。
                             

・深甚流 草深甚四郎
 石川県川北町に草深甚四朗 の碑があります。戦国時代、塚原卜伝と互角に戦ったと言われています。また、この深甚流は加賀藩で稽古されていたようです。

 尚、新陰流兵法転会 石川支部は、 石 川県の加賀市武道館で稽古を行っております。北陸地方で新陰流兵法の稽古にご興味のある方は、メールをお送り下さい。 t-inoue@mitene.or.jp

 新陰流兵法転会 石川支部

新陰流兵 法と福井

・『福井県史』
 『福井県史』における「福井藩の軍学と武芸」には、柳生但馬守宗矩の門弟である 出渕平兵衛盛次が召し出され、代々藩の師範役をつとめたとあります。 この出渕家の資料は福井県文書館に古文書として登録されており、 閲覧する事ができます。
また、参考までに剣術ではこの他、新影松田方幕屋流の横山家、富田流の坂上家、 竹内流居合の高畑家、田宮流居合の鰐淵家があったとの事です。 新影松田方幕屋流の横山家については、ウィキペディアにも『新影幕屋流』で検索すると記事がでてきます。 実は、福井県文書舘で調べた出淵家の資料に、新影松田方幕屋流の名が出てきます。

・大野城
 県内の城などで展示資料を探してみると、大野城には「新陰流兵法目録」・「兵法家伝書」が展示されています。 「新陰流兵法目録」は、江戸柳生である柳生宗冬から大野藩主 土井利房へとなっております。また、「兵法家伝書」は柳生宗在から同じく大野藩主 土井利房 へとなっております。 いずれも金を散らした豪華な伝書となっており、象徴的に渡されたように見えます。

・丸岡城
 丸岡城の資料館には「新陰流兵法太刀目録」が展示されています。 こちらも、やはり江戸柳生である柳生俊章から出されていますが(誰宛かは調べてありません)、大袈裟な装飾はされていません。
福井県内でも福井藩以外に新陰流兵法は伝わっていたのかもしれません。
(丸岡城)
福井の剣術・刀剣

熱田神宮の宝物館を入ると大きな太刀が展示されています。 これは、越前 朝倉氏の家臣 真柄十郎左衛門直隆が使った、五尺三寸の大太刀で、「姉川合戦図屏風」にも、真柄直隆が大太刀を振るっている姿が描かれてい ます。 石川県の白山比盗_社にも同じく真柄の大太刀が展示されています。また、越前市には真柄町があり、真柄館の碑があります。
時代は変わりますが、福井市から近いこの朝倉遺跡一乗谷周辺には富田流の富田 勢源 道場跡や、 佐々木 小次郎が燕返しをあみ出したと言われる一乗滝などがあります。

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