資料 中野重治書簡
藤堂尚夫
稿者はインターネット上にウェッブページを持ち、その中で中野重治について書いた文章を公開しているのであるが、昨年の九月に増田正夫氏から電子メールが届いた。 そのメールによれば中野重治の情報を求めているときに私のページを知ったということで、中野が氏の娘さんに宛てた手紙を所有しておられるとのこと。娘の久美子さんが中野の『おばあさんの村』所収の「菊の花」を読み、中野に質問の手紙を出した返事であるという。中野は、同書の後書に「わかりにくいところがあれば私にきいてくだされば、私から返事をあげましょう」と書いた。その一節を読んで、中学二年生であった久美子さんは、質問の手紙を書いた。質問の内容は現物がないので不明であるが、「よい人なのにどうして牢屋に入っているのですか」というようなものであったようだ。(中野の手紙にも一部引用されている)久美子さんの書いた手紙をせっかく書いたのだからと、正夫氏が送ったということだ。後書に返事を書くと述べてあったにしても著者から返事が来ることが、現実になるとはあまり期待していなかったかもしれない。 ところが昭和48年4月4日付けの世田谷郵便局の消印で封書が届いた。中野からの手紙で、原稿用紙一枚に中野独特の書体で返事がしたためられていた。文面は次のようであった。 お手紙うれしく読みました。私は一九〇二年(明治三 十五年)うまれですから、昭和三十四年うまれの人から 手紙をもらったということだけでも、めったにない仕合 せです。 さて、あなたの疑問となさったところは、全くもっと もな話と思います。「こんなに優しいおじさんが、なぜ、 ろうやへ入れられたのでしょうか。」−−そこがあすこ には、ちやんと書いてないのです。そこがうまく書けな かったのです。「戦争に反対して、ろうやへいれられた のですか。」とありますが、そう受けとってもらればあ りがたく思います。(そこが書けていないのですが。) あなたの健康をいのります。
四月三日 中野重治
増田久美子様
この手紙の価値は、単に中野の筆によるものだというだけではないであろう。中野の優しい人柄が伺えることもさることながら、中野が作品の中身に言及していることは、見逃してはならないであろう。なぜ牢屋に入れられたわけがかけなかったか。なぜ戦争反対をその理由として書き込むことができなかったか。これは、この美しいエピソードで彩られた「菊の花」に美しさだけではない、深い意味があることを想像させ、そこに作者の作為と創作上の挫折があったことを伺わせて興味深い。小品ではあるが、「菊の花」に目を向けると、なおざりにはできないものを感じさせるゆえんなのであろう。 この書簡の公開に当たっては、所有者の増田正夫氏及び久美子氏並びに中野重治の遺族の 目卯女氏に快く了解をいただいた。ここに期して感謝したい。 また、インターネットでも公開している。インターネットに接続する環境をお持ちの方は、次のURLで。「資料
中野重治書簡」(http://freedom.mitene.or.jp/~takalin/syokan.htm)なお、増田正夫・久美子両氏は、現在は封書記載の住所には住んではおられない。