蘇洞門の磯で、長いさおを差して貝(さざえ/アワビ)をとる伝統漁法の磯見漁をする人は数少なくなった。71才の父もそのひとり。密漁と乱獲でほとんど貝のいなくなった海。今日もさおをさして漁をする。50年間、海の底を見続けてきたから、海の変化(よごれなど)もよく分かるらしい。
能登からの海上の道は、まっすぐに佐渡に続く。暖流の影響を受けた海岸線は、タブノキ、トベラ、ツバキなど照葉樹が生い茂り若狭湾の植生とよく似ている。夏前の佐渡にカンゾウの花が咲き誇る。島の人は、海辺のこの花を「漁告花」(ヨーラメ)と呼ぶ。魚(ヨー)孕み(ハラミ)花の略で、この花の咲く頃には産卵の魚たちが浜にやって海は生き返り、魚が生き返り、村が生き返るらしい。「魚は季節の花で釣る」というのは、咲き出す草花を見て漁期を知ることだそうだ。何と海の臭いがする話であろう。海の暮らしは厳しいけど、何て美しい生活文化なのだろう。
海に生き、海に生かされる村が日本海側に多くある。私の住む村もその村である。蘇洞門の断崖の下の岩場は磯見漁の豊かな漁場である。小舟に乗って、ねり櫂を巧みに操りながら、箱眼鏡を覗き込み、長い竿を刺してサザエ、アワビをとる。二百メートルも高く切り立つ岩壁、落石に気をつけ、特に危ないところでは般若心経を唱えながらの漁である。 昭和40年の前半までは、村の漁師の多くが磯見漁をしていた。民宿ブームを経てレジャー産業が入り込んでからは、海で磯見をして生活する者はどんどん少なくなり、ついに専業で磯見をするのは村でただ一人になってしまった。五十年間この暮らしをしてきた父は、密漁などでほとんど獲物のいなくなった海の底を今日も眺めにいく。
佐渡にも、磯見漁があると聞いて、 見てみたいと雲龍丸で共に佐渡に渡った。尖閣湾の漁村の浜を歩く。船揚げ場の漁具を見れば、海で何をとっているのかが分かる。そこで、イソネギ漁師、浜辺さんに出会った。イソネギ専門はこの村で浜辺さんただ一人という。漁から帰ってきた浜辺さんの船を曳くのを手伝いながら声をかける。ひたすらに海の底を見続けてきた男同士の嬉しい会話が弾む。
サザエとりの三また、ケエカギ(アワビかけ)、たもなど、漁具に至るまで興味あることばかりだ。海の地形や、潮の流れなどの違いか漁具も若干違う。浜辺さんののケエカギは、なんと十ヒロ(10メートル)以上もあって、佐渡は若狭の海に比べて透明度が深いのだと分かった。船から半身を乗り出して貝をとる技術は長い経験によって身に付く伝統漁法だ。同じ日本海で同じ漁法で生活する海民の漁業文化だ。「頑張って」別れ際、若狭の磯見漁師が、自分より少し年若い佐渡のイソネギ漁師にそう声をかけている光景を写真に納めた。