伝説の大刀と造られし大男のお話 
 

 これはいかにもファンタシーRPGの舞台になりそうなある街のお話・・・という事にしておきましょう。

 昔からこの街には、全長が2メートル近くもあろうかという“伝説の大刀”がありました。重さは雄に100kgを越えています。確かにこんな大刀で斬りつけられれば、それこそ人間はおろかそんじょそこらのモンスターにしても、まあそれこそ真っ二つどころかミンチにされちゃうでしょう。ただしそれはあくまで「斬りつける事ができたら・・・」というお話ですが。実際にはそんな大刀を振り回せる人間などこの世界には存在しなかったので、この大刀は半ば無用の長物として街の飾り物と化していたのです。

 ですがこの大刀はその街の住人達によって大事に保存され、そしてその生い立ちや伝説が語り継がれてきました。ある時この街をモンスターの大軍が攻めてきたが、その時偶然この大刀が街の入り口に飾ってあったのを見て化け物達が怯え逃げ帰った。またある時は強力なモンスターに対抗するために、街の住人が総掛かりで大刀を教会の2階に引っ張り上げ、下を通ったモンスターの頭上に落として見事倒した。そういう逸話がそれこそ語り尽くせない位あるからです。まあその逸話のうちの何割かは誰かの創作だったり、あと実話にしてもかなり脚色が進んで話が大げさになっていたりしました。しかしそんな事はどうでも良かったのです。何よりもこの街の住人はこの何とも用途が不明で、しかしそれでいてちょっと愛嬌があって造形が見事な大刀そのものが大好きだったからです。

 ところがある時、魔導師が魔術によって人体の改造に成功し、ついにこの伝説の大刀を意図も簡単に操れるだけの腕力を持った人間を生み出します。そしてその“造られし大男”は魔導師の期待通りその大刀を握りしめ、一般の人が手斧かショートソードでも扱うかのような感覚でブンブン振り回して見せたのです。人々はその様子を見て歓喜の声を挙げました・・・最初はね。ところがこの造られし大男には魂が無く、そのためかつてこの伝説の大刀によって倒され、そのまま大刀に取り付いた死霊達に体を乗っ取られてしまいます。たちまち街は大混乱に陥り少なからず犠牲者も出たのですが、街の住人達は知恵と勇気を合わせてこれに対抗し、何とか最小の被害と引き替えに造られし大男の退治に成功したのです。それ以来この大刀は人の手が届かない地下深くの密室に封印されて今に至ります。

 ・・・とまあ、こういう話はそれこそ世界中で手を変え品を変え、形を変えて作られているだろうと思います。別に私はここで、自分が書いた物語を皆さんに読んで頂きたい訳ではありません。 (^^; ここで私が皆さんに伺いたいのは「この物語の中で、本当の意味で“この世界に存在してはいけなかった存在”は何なのか?」という問題です。少なくとも私個人は、その答えとして“伝説の大刀”を挙げるのは相応しくないだろうと思います。多分“造られし大男”の手にかかれば、それこそ重さ100kgの単なる鉄の棒だって立派な最終兵器になり得ただろうと思います。というか、こんな範馬勇次郎みたいな化け物は素手で戦ったって十分強いはずです(笑)。ただたまたま偶然そこに(自分に取って使い勝手がいい)大刀が転がっていた。それだけの事なのです。少なくとも大刀に何か罪があるとは私には思えません。道具なんて物は結局使う側の心得次第で道具にも武器にもなり得ます。刃渡り数センチの果物ナイフで人を殺傷する輩だっているのですから。

 さて、そろそろ皆様「今回あいせんは一体何が言いたいんだ?」とか思っていらっしゃるだろうと思うので、話を本題に持っていこうかと思います。実は私は Magic における絶版カード、特にパワーナインと言われるカード達は、まさにこの“伝説の大刀”そのものではないかと考えているのです。

  Black Lotus がマナを出すためには自身のサクリファイスが必要ですし、Mox5種にしてもタップが必要になります。そのコストを相殺して収支をプラスにする、要するに無限コンボを生み出すためのパーツが、少なくとも DarkMagic の範疇にはほとんど存在しません。あったとしてもコストがもの凄く重いか簡単に対策ができる物ばかりです。ところがこれが Tolarian Academy の登場辺りで状況が激変します。アーティファクトを2個置いた時点で、パワーナインを1個も使わずに Counterspell が撃てるだけのマナが出せる。もうこの時点でかなりの種類のデッキが、その後始まる“デッキの一人遊び”に手が出せなくなります。大量に沸きだしたマナで更にアーティファクトを並べられ、手札を増やされ、そしてパーマネントを好きなようにタップ/アンタップされる。そしていわゆる“引き殺し”のための呪文や意味不明な威力のX点火力が飛んできてゲームに敗北する。そういう感じなのです。

 え、そんな昔の話をされても仕方がないって?。それじゃあつい最近の Magic の話をしましょうか。ちょっと簡単な検索をかけてみたのですが、 DarkMagic の範囲で“カードを引く”という能力を持ったカードは24種類しかありません。ところが Odyssey 〜 Scourge の範囲では実に60種類にもなります。これはクリーチャーの能力にしても言える話です。例えば飛行を持つクリーチャーは DarkMagic の範囲では58種類なのですが、ところが Odyssey 〜 Scourge の範囲には128種類も存在します。 Odyssey 〜 Scourge の収録カード数(1239種類)は DarkMagic (890種類)の約1.4倍弱ですから、少なくとも比率的に見れば両者は明らかに“別のゲーム”と言えるでしょう。しかも召還コストが1マナの飛行クリーチャーを見ると、 DarkMagic ではパワーが1あって戦闘ダメージを与えられればそれだけで優秀なのに、 Odyssey 〜 Scourge ではスレッショルド付きで追加能力まで持っている物があります。つまり昔の1マナと今の1マナはその価値が全然変わっていて、従ってパワーナインが生み出すマナの価値も当然上がっているのです。これは例えば、少し前から発売されるカードセットに Dark Ritual が再録されていない事にも現れています。

 要はこういう事です。昔は Black Lotus がカード1枚で3マナを生み出しても、それでゲームの流れが大きく変わる事はあまりありませんでした。ところが最近の Magic はカードがオーバーパワー化しているため、3マナ出る事で局面が一変する可能性が出てきた訳です。でも多くのデュエリストは昔の絶版カードは買わずに(あるいは買えずに)最近のカードだけを買っている。そして自分が買って持っているカードは誰にはばかる事無く使いたい。だから多くのデュエリストは最近の Magic がオーバーパワー化したという現実は見えない、あるいはあえて見ないようにして、その一方で自分が持っていないパワーナインをやり玉に挙げてその所有や使用を批判しているのです。ただし最近の Magic がそうなっている理由は単純明快です。結局のところ多くのデュエリストが、自分も範馬勇次郎みたいな化け物カードを所有し、それで大暴れしてデュエルに勝って優越感を得たい。もっと言えば自分が範馬勇次郎になった気分を味わいたい。そしてそれ以外の目的で Magic を遊ぶデュエリストが減っている。そういう事です。(逆に自分が持っていないカードで他人が幸福を味わっている光景を見るのは、基本的に気分のいい物じゃないでしょうし。)この問題はいわば人間の生き物としての欲望や欲求の部分に触れるので、こういった個人の意見表明ごときで何か改善できるとは到底思えないです。ただそういう最近のカードのオーバーパワー化を頭から肯定しつつ、その同じ口でそのはるか昔に作られたパワーナインの存在や使用を否定するというのは、あまりにも理論としては片手落ちなんじゃないでしょうか。少なくとも当時パワーナインを設計したデザイナー(多分ガーフィールド氏)は、その後 Magic がこんなパワーゲームになるなんて想像すらしていなかったはずなんですから。

 じゃあ DarkMagic というフォーマットはどこを目指しているのか。要するに“古の世に生み出されたセンスの良い伝説の大刀を誰に気兼ねする事無く使いたい”そして“そういう自分が持っていない古代兵器を使われても普通に手に入るカードで対抗できるようにしたい”という事なのです。また我々の過去幾度かの実験において、 DarkMagic というフォーマットはその欲求を十二分に満たしてくれる事が分かっています。実際に先日のイベントでは、それまで3戦全勝だった対戦相手に不戦勝以外全敗だった私が唯一土を付け、最終戦で勝って3勝1分になった参加者が逆転優勝したという事例がありました。でもこんな事は本来 Magic の世界では別に不思議な事でも何でもなかったのです。少なくとも昔の Magic ではね。我々はそういう遊び応えのある、特定の人気カードやデッキに依存しない面白いゲームが遊びたい。考えているのはたったそれだけなのです。最近の Magic にそういう面白さがあるならば、我々は何の迷いもためらいも無く最近の Magic を遊ぶでしょう。でも実際はそうじゃない。だから我々は自分達が面白いと感じる Magic を遊ぼうとしているに過ぎないのです。


   

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