特集: Magic の今と未来
 コレクションについて 
 

○ 現状をどう見るか

 今回は Magic のコレクション(性)に関して“カードイラスト”“フォイルカード”“プロモカード”の3つをひっくるめて考えてみます。(特に“カードイラスト”の話題がメインになると思いますが。)

 これも前から書いている話ですが、TCGのコレクション性というのは、ユーザーが「これはいい」と口先で誉めてくれる程度の秀逸さでは全然ダメです。実際にそれによりユーザーの購買意欲が刺激されて販売に結び付く。そこに惚れ込んだユーザーがコレクター化して熱心にカードを集め始める。そういう具体的な購買行動を大量に発生させないと、本当の意味でのTCGの成功には結び付かないのです。私が知る限り、少なくとも“フォイルカードが登場するかなり前の Magic ”には、そういう熱心なコレクターを大量に抱えて市場が賑やかだった歴史が間違いなくありました。しかしどうもここ最近はそういう様子があまり見られない気がします。これは何よりも Magic カードイラストの質の変化(今回はあえて低下とは言いません)が影響していると思われるのですが、他にも色々と要因はあるでしょう。

 その1つに“ Magic の競技偏重”あるいは“勝利至上主義の蔓延”があると思います。やはり結局最近のユーザーが最優先にしているのは「今最も強いと言われるデッキを作ってデュエルに勝利する」事なのです。何しろ多くのユーザーはおろかメーカーや売り手までがそういう Magic への取り組みを肯定あるいは推奨し、それ以外の思想や取り組みを競技指向に比べて低レベルな物と捉えている、あるいは蔑んでいる風潮すらありそうです。そして同時に最近の Magic はそのデッキの強さを最新のレアカードに依存し、結果としてデッキ単価の高騰を招いているはずです。そうなるとやはりコレクションに費用を割く、あるいは割けるユーザーは極めて少数派になるのです。その点昔の Magic はどうだったかというと、それこそコモンやアンコモンでそれなりにちゃんと戦えるデッキが組めたのです。ですから極端な話、買ったパックから引いたレアをすべてトレードしてコレクションを増やすというやり方まで取り得たのです。実際にそういう時代を生きていた生き証人がここに1人いますし。 (^^; 

 そしてそういう風潮を背景にした“トレードの沈滞化”も問題です。流行のデッキに使われていないカードは、ほとんど誰もイベント会場に持ってこない。こちらからトレードを申し出た途端に、対価としてそれこそ判で押したように同じ人気カードを要求される。多くのユーザーがトレードでも自分が勝つことしか考えておらず、少しでも有利な条件でトレードをしようと交渉を引き延ばす。これじゃあコレクターはトレードなんてやめちゃいますし、そもそも成立しないのです。あと確かにフォイルカードは登場した当初は人気があったのですが、その後「曲がる」「反る」「競技イベントではマークド扱いになりかねない」といった酷評を食らって敬遠され、今やトレードを活性化する戦力としてはほとんど役に立っていないと思われます。元々のコレクター人口が減っているところにこんな物を出しても、そりゃあWoCが意図したような成果はまず得られないでしょう。

 つい最近ですが、HJから「プレリなどで配るプロモカードの市場価格を下げないように、イベントでは必ず参加費を取るようにして下さい。」という通達が販売店向けに出されている、というお話を伺いました。つまりHJがそういう通達を出さざるを得ないほど、昨今の Magic ではその辺のカードの価値が下落しているのです。しかし私に言わせるとそれってかなり本末転倒でしょう。自ら出版物で競技偏重を煽り、その影響で Magic 人口が減って自身が困窮している。まさに“自分で自分の首を絞めている”という典型ですよね。 (^^; 別に私はHJに Magic コレクターへの応援をして欲しかったとは微塵も思っていません。ただ前から何度も言っているように「余計な市場への介入はするな」「できないなら中途半端に何かやろうとするな」という感じです。あと最近私はこの言葉をWoCにも言いたい気がしています。少なくともその時点で最も人気の高いイラストレーターから順番に首を切る、あるいは仕事を与えず干上がらせるといったやり方は、やはり昨今の Magic の不振を決定付ける大きな要因になったと私は思います。

 前にも書いているのですが、例えばWoCがポータル三國志というカードセットを発売するのであれば、そういうカードセットが市場で受け入れられて遊ばれる土壌を整備してから出すべきです。カードイラストの世界観を変えるにしてもそう、通称“するめ”なんて呼ばれ方をしてしまう (^^; フォイルカードを出すにしてもそうです。最近イベントで配られるプロモカードにしても、もうちょっとユーザーに人気の出そうな物にすればいいのに、とか思いますし。しかしどうもWoCの仕事ってその場のひらめきや思いつきでやってる印象が強くて、実際問題として案の定うまく行っていません。もう少しユーザーのニーズを見計らって Magic を作る。あるいは自分達が作りたい趣味の物を出すのであれば、事前にそれが本当に受けるのかを調査したりネゴを取ったりする。そういうメーカーとしてごく基本的な事をやってないからこうなってしまう。これが現時点での私個人の感想になります。

○ そこに敗因がある

 さて、ではそういう方面に関する Magic とその他の国産TCGの簡単な比較を行ってみます。

 遊戯王OCGやデュエル・マスターズは、間違いなくマンガやアニメの話題性によって売れています。従ってそういうマンガやアニメによって、ユーザーの中には既にゲームに対する世界観の構築が出来上がっています。そしてそういう形での世界観の押し付け(!?)を、実は多くのユーザーは期待すらしているのです。例えば遊戯王OCGにはブラックマジシャンガールというカードがありますが、マンガやアニメの遊戯王のファンであれば、例え遊戯王OCGのプレイヤーではなくても、ああいう可愛い系のカードは1枚くらい手元にあってもいいかな、と思う事があるはずです。単にイラストが可愛いだけのカードではそんなに話題にはならないでしょう。しかしブラックマジシャンガールは“本編のマンガで大活躍した”という世界観の裏付けがあり知名度も高い。だから余計に欲しくなるのです。そうするとそう思ったマンガ読者やアニメ視聴者の何割かは間違いなく実際にカードを買う訳で、そういう積み重ねが遊戯王OCGの拡販に少なからず貢献しているはずです。これはデュエル・マスターズにしても理屈は同じですし、その他ガンダムウォーや最近人気のある多くの国産TCGにも言えます。私自身もセイラ・マス(Gファイター)とZZガンダムに関する製品を出されると、どうにも財布の紐が緩んで困る1人ですし。 (^^; 

 次にアクエリアンエイジについてです。アクエリはメーカー認定大会において、参加者にほぼ必ずアンケートの記入をお願いしています。しかもその設問はトーナメントに関する内容だけでなく、それこそ個人が好きなカードとかイラスト、あるいは今後アクエリに参画を希望するイラストレーターまで聞いています。ちょっと最近は色々あって元気がないように見えますが (^^; そういう点でアクエリはTCGとしてはかなりの優等生だった時期があります。能力的に強いカードとイラスト的に強いカードを区別して出す。そんな芸当すらちゃんとこなしていたのです。まあ見方を変えると「ユーザーに媚びてる」とも言えなくはないのですが、少なくともユーザーの期待を100%裏切るような製品は出さないでしょう。少なくとも今でもアクエリはトレカとしてはそれ相応に売れていますし。(これはモンコレでも同様じゃなかったかと記憶していますが。)

 じゃあ、そういう事例と Magic はどこがどう違うのでしょうか。 Magic は基本的に、カードイラストとフレイバーテキストによってその世界観を構成し、それを表現しています。つまりユーザーがカードイラストやフレイバーテキストに関心を持たなくなった瞬間に、実は Magic に世界観なんて物は本気で必要なくなってしまうのです。しかも残念な事に昨今の Magic はそれに限りなく近い状況になっています。これによって Magic は世界観に関連する内容ではお客さんにカードを買ってもらえなくなってしまったのです。だから今は新しいカードが発表されると「強いのか弱いのか」「競技で使えるのか否か」しか話題にならないのです。でも昔の Magic ってそうじゃなかったですよね。昔は基本的に“ウルザの・・・”と名が付くカードにはへっぽこな物が多かったのですが (^^; それが Magic の世界観にどう関わるのかが、ユーザーの間で話題になる事はよくあったのです。「弟子の方が数倍優秀だよなあ」とか言われてましたが(爆)。

 しかも Magic はそれこそブロック毎に大きく世界観が変わるのですが、しかしそれが Magic の市場を盛り上げるかどうかという裏付けを全く取らず、ただ闇雲に、あるいはアート・ディレクターの好みや趣味の問題だけで世界観を変更してしまっています。そうなると言うまでもなく、変更前の世界観が好きで Magic に入ってきた人間が、変更後の世界観を見て激しい違和感を感じるのです。これは多くのユーザーの目には「 Magic は昔に比べてイラストの質が落ちた」と映る訳で、当然多くのユーザーが Magic を離れる要因になり得るのです。これは牛丼を食べに店に通ってくる客に「うちは今日からカレー屋になったからカレーしか出さねえぞ」と言ってるようなものです。 (^^; こんな商売のやり方が成功するはずもないでしょう。

 確固たる後ろ盾がないまま、ユーザーの好みを調べもせずに世界観をコロコロ変えている。私に言わせるとこれこそが Magic 最大の敗因だと思います。少なくともこんなゲームにコレクターは到底定着できないでしょう。その点昔の Magic はまだ良かったんですよ。同じカードが同じイラストで再録される。再録されなかったらされなかったで、自分が好きなイラストのカードと良い思い出を築き上げたままでいられる。ところが最近はそうじゃないですよね。ある日突然大昔のカードが、最近の世界観に基づいた意味不明なイラストで再録される。セラの天使は盆踊りを踊り (^^; シヴ山のドラゴンはトカゲと見間違えんばかりに痩せこけ (^^;;  Juggernaut はイラストはおろか日本語名までスパロボのユニットのようになってカムバック。 (^^;;; しかも今の環境でもちゃんと使えるならともかく、実際には昨今出されるカードのオーバーパワー化でほとんど活躍の場はなし。こんな節操のないカードの再録を機に、RV〜4Eの頃に Magic を遊んだ引退組が帰ってくるとWoCは本気で思っているのでしょうか。

○ 今までのやり方が正しいのか否か

 最近のプロモカードやフォイルカードが Magic の拡販に貢献していない理由。それはまず間違いなく“ Magic の世界からコレクターが死に絶えた”事に起因していると私は考えます。じゃあ Magic のコレクターはなぜ死に絶えたのか。それは前にも書いていますが“秀逸なカードイラストやコレクションへの関心という糧をコレクターに与えなかったから”でしょう。

 これはこういう話題の度の引き合いに出す話なのですが、以前にSQUAREの開発者がこういう事を言っています。「ゲームの続編というのは前作比100%の面白さでは『質が落ちた』と言われる。120%でも駄目だ。200%アップを目指さないとユーザーは満足しない。」確かに言われてみるとそうだと思いますし、少なくとも“昔の”SQUAREはそれを実践していましたよね。じゃあ例えばあの第7版に再録されたセラの天使は、第4版までに入っていたセラの天使の何%アップを狙った物で、そして実際には何%アップを実現できたのでしょうか。実はそれについて我々が客観的に確認できるデータがあります。それが“シングルカードショップの価格表”です。皆様ご存知のCardHausさんで確認したところ、3月中旬現在第4版のセラ天が$6.00なのに対し、第7版のセラ天は$8.00でした。第4版のセラ天はアンコモンで、しかも第7版のセラ天より倍以上在庫があるのに、その値段には1.3倍しか違いがありません。あと他では両者に$0.50の価格差しかない販売サイトもありました。つまり Magic 市場の客観的評価は“第7版のセラ天は第4版までのセラ天を決して越えていない”となるでしょう。レアリティの格上げ(&それに伴う流通量の減少)にも関わらず値段が上がっていないとすると、ひょっとするとセラ天に限って言えば“デグレードしている”と言い切っても構わないかも知れません。

 最初の章に書きましたが、カードイラストというのは“これはいい”程度の物では販促の戦力にはなり得ません。それこそ“これが欲しい”と言わせるような物でないとダメなのです。少なくとも第4版までのセラ天には、多くのユーザーに“これが欲しい”と言わせるだけの破壊力があったはずです。カードイラストも秀逸ならば、当時の Magic ではデッキで使っても強い。だから彼女にはちょっとやそっとのレアには太刀打ちできないだけの人気がありました。彼女の人気で Magic は売れた。そう断言してもそれ程差し支えはないでしょう。ところが第7版のセラ天は、ユーザーに“これはこれでいいんじゃないの”程度の評価しか得る力がなかったのです。しかもその時点で既に構築戦ではセラ天が活躍できる場がほとんど消えていた。だから彼女の復活は Magic の拡販には結び付かなかったのです。ひょっとするとイラストのクオリティティ的には、第4版と第7版との差はそれ程無いのかも知れません。しかしそのほんのごく僅かの差が、彼女を“超一級のアンコモン”から“二級のレア”に格下げさせてしまったのです。だから第4版は買ってもらえたのに第7版や第8版は買ってもらえなかった。そういう見方ができるのです。

 クレオパトラが「私の鼻が3cm低かったら世界は変わっていただろう」という言葉を残しているという話があります。(あたしゃ3cmも鼻が低くなったら鼻が無くなっちまいますが。 (^^; )カードイラストもまさにそんな感じなのですよ。極端な話ですがTCGのカードイラストなんて物は、1枚1枚がそれこそ「おれはこのイラストで天下を取る!(このカードを人気ナンバーワンにしてみせる)」位の心意気とか野心に燃える物であっていいと思います。そして昔の Magic って、そういうイラストレーターの心意気みたいなものがちゃんと伝わってきて、でも決してそれが全面に出しゃばってぎくしゃくしていたり息苦しかったりという訳ではない。そんな感じだったと思います。確かに絵の技巧的には最近の物に及ばない物もあったでしょう。でも少なくとも「自分のこのイラストで Magic を華やかに彩って盛り上げるぞ!」という意欲は十二分に伺えた気がします。だからそういう覇気に誘われて売れ、多くのカードやイラストレーターに固定ファンができたのです。

 じゃあ最近のカードイラストにはそういう意欲や覇気がないのか。その結論は私自身がとやかく言うまでもなく、既に日本や世界のTCG市場全体が1つの結論を出しています。こんな話はそれこそ競技で拡販を目指す Magic の世界の中ではほんの些細なお話でしょう。しかし現実にはこういう些細な出来事、もっと言ってしまうとユーザーが受けた僅かのダメージ、そしてそれによる少数ユーザーの Magic 離れの積み重ねが、昨今の Magic の不振や苦戦を招いているのです。そりゃあTCGであるはずの Magic から、これだけ見事に“T”の要素が消え去っているのですから、ユーザーがカードを買いづらくなって熱が冷めてしまうのも仕方ないだろうと思います。

○ 提案

 さて、では以上のお話を踏まえて Magic のコレクションに関する私なりの提案を。

 現時点で日本あるいは世界的に成功を収めているTCGは、基本的に“マンガやアニメで話題性を得ている物”しかありません。こういう売れ方をする遊びにはコレクターが定着しやすく、それによりユーザー1人当たりのカード購入量が増えることが期待できるのです。あまつさえそういうカード購入は競技に対応するための購入と違い、本当の意味でユーザーが自分の好きなカードを買い集めることになります。また予算や手間が許す範囲で買い続けられるため継続しやすく、更に一度中断したとしても再開しやすいのです。更に一度コレクター個人の手に収まったカードは再流通する可能性が減るので、結果として同名・同一イラストによるカードの再販も有利になります。つまり本当の意味でTCGを文化として定着させよう、あるいは市場を長く維持・発展させようと思ったら、そういう根強いコレクターの獲得はTCGメーカーにとって本来は最優先課題になってもおかしくないのです。

 あとやはり Magic といえども“世の中の時流”はしっかりと掴み、それに対応した製品を出すべきなのです。 Magic はそもそもファンタシー系RPGの世界観をモチーフに出発したはずです。ところが映画の話題などから世界的にファンタシーの世界観がもてはやされている最中、どういう訳か Magic はその世界観を捨てて、今や本場米国でですら時代遅れと言われるアメコミに走っているのです。 (^^; もうさすがに訳分かりませんよ(笑)。ミラディンが発売される頃にロード・オブ・ザ・リングの完結編が公開されることは事前に分かっていたはずです。それでもWoCがミラディンの世界観で Magic を出したいと思うのであれば、もう1年遅らせるといった方法は取れたはずでしょう。それともまさかWoCは「 Magic の力でアメコミのブームを起こしてみせるぜ!」とか本気で思っていたんでしょうか。世界的な市場規模で遊戯王OCGに抜かれ、今や総売上額がデュエル・マスターズと同等か負けてるかも知れない。そんな弱小ゲームにそれ程の大それた事ができる訳がないじゃないですか。 (^^; ましてやそのミラディンの世界観は、今現在 Magic を遊んでいるユーザーからですら100%の信任は得られていないのです。というか、今現在 Magic を遊んでいるユーザーの多くは、もはや Magic の世界観なんて物には興味がない方が主流派かと思われますが。

  Magic の世界で取り上げられる話題の量や質を垣間見るに、やはり今や Magic には競技性以外の要素は不要になっていると思われます。つまり“今やカードイラストやフレイバーテキスト自体が不要になっている”という事です。それはMTGOというネットゲームに決して少なくない割合の Magic ユーザーが流れている事にも象徴されていると思います。MTGOで Magic のカードイラストが堪能できるとは到底思えませんので。しかもWoC自身がそういう現状を追認してカードを作っているとしたら、そんなゲームにコレクション性を見出して楽しもうなんてユーザーはまず現れないでしょう。それでうまく行っているなら誰も文句は言わないだろうと思うのですが、実際にはそうじゃないのです。年商100億円程度のゲームで、年間4億円といわれる賞金をかけた競技イベントを維持するのは大変なはずなのです。それだったらもうちょっと Magic は本来持っていたコレクション性を取り戻し、競技プレイヤー以外にも買ってもらえるような魅力あるゲームを目指さないとまずいんじゃないの?。私が以前から言ってきた意見はこの一言に集約されるのです。

 競技イベントにいかにして人を呼ぶか。そういう問題は別に Magic がどういうゲームであろうが、小手先の工夫である程度どうにかなります。極端な話“タダで物を配る”とか“他の人気ゲームとタイアップする”といった施策次第で何とでもなるのです。例えばHJが開催している某TCGイベントにしても、それこそ遊戯王OCGとかデュエル・マスターズを巻き込めば、動員はあっと言う間に倍増あるいはそれ以上になるはずです。しかし Magic のコレクターをいかに増やすかという問題は、はっきり言ってしまうとWoC自身にどうにかしてもらう以外に手段がないのです。ましてやある時点で人気ナンバーワンといわれるイラストレーターと喧嘩別れしてたもとを分かつ。あるいは責任ある立場のスタッフ個人の思惑から仕事を与えられず干される。これではコレクターは到底WoCのやり方を支持できないですし、遅かれ早かれ Magic というゲームには見切りを付けるでしょう。

○ 補足

 本編で書いた“コレクターが生きていくための糧”というお話について。

 以前にも書いているのですが、コレクターは自分のコレクションを自慢できる場を猟場にし、そこで自分のコレクションに対する感想を得ることでそれを糧に生きている部分があります。ところが最近は Magic の世界でコレクションの話題はほとんど話されなくなっています。イベント会場などにコレクションを持ち込んでも、まあほとんど話題にならないというか興味を示してくれる人もいません。私自身はこの事に数年前に遊びに行ったグランプリ会場で痛感させられました。ですから今は更に状況としてはひどくなっているだろうと思います。それに加えてトレードに纏わる環境も悪くなっている。これではコレクターに生き残りを期待する方が間違っていると言わざるを得ません。

 そういう中で私自身が Aysen Crusader のコレクターとして生き残ることができている。それは様々な幸運が重なっての結果だと思います。未だに複数のチャンネルからコレクションへの協力依頼があり、実際にカードは今も増え続けている事。そのコレクションの推移を見守ってくれる ぎゃざる の常連さんが大勢いる事。それと私自身の牛姉への“愛”の深さ(爆)。こういう話は過去にも何度か書いています。しかし実は、もっと基本的かつ根本的なことがあるのです。 Magic カードのコレクションには全く興味がない、あるいは Magic そのものを知らない。そういう人ですら、私が Aysen Crusader というカードの実物を見せると、大抵の人が「ああ、このカードは綺麗ですね。これなら集めたくなるのも分かります。」という感想を口にしてくれるのです。ただし更にそのうちの半分くらいが、同時にこうも言うのです。「これ私も1枚欲しいのですが頂けませんか?」ってね。 (^^; ただ福井の Magic 仲間の間では「あいせんにトレードで牛姉放出を求めるのは、命知らずのチャレンジャーか潜りだ。」と言われています(嫌爆)。あ、ちょっと脱線したので話を戻しますが (^^; つまりそれだけ秀逸なカードを昔間違いなくWoCは生み出し、世に送り出していたのです。どうも最近は同じことができなくなっているようですが(笑・・・えない)。

 現在でも Magic のカードをコレクションされている方は少なからずいらっしゃると思います。そういう皆さんに是非聞いてみたいのですが、皆さんはその自分のカードコレクションを、 Magic のことを全く知らない自分の知り合いに堂々と見せることができますでしょうか。もしそれに少しでもためらいを感じるとしたら、それは“自分が集めているカードイラスト(あるいは Magic そのもの)の世間での評価に自信が持てない”事の裏返しかも知れませんよ。ちなみに私個人は Aysen Crusader というカード(イラスト)への世間での評価は間違いなく高いだろうと思っていますし、そう見た自分の眼力も間違ってはいないだろうと確信しています。ですから私自身のPROFILEにも彼女の写真だけは載せているわけです。ただ1つ問題なのは、今は一般の人達に牛姉を見せても、それが昨今の Magic のカード(イラスト)を象徴する物にはなっていない、という事でしょうか。そうなると私自身、知り合いにアメコミ狂だとは思われたくないので (^^; それこそ人に最近の Magic のカードを見せて内容を説明するのはかなりはばかられます。

 TCGの世界には「カードはアップグレードし続けないとゲーム(市場)が維持できない」という説があります。それはある意味理解できないこともないのですが、どうもカードイラストに関してはそういう意見は出ていないし、ましてや創生期からイラストのクオリティがアップグレードし続けているTCGというのも私は事例を知らないです。1つ言えるのは、TCGがコレクション性を捨ててカード能力だけで売ろう、あるいはとにかくゲームを売り続けようとするからそういう論理が出てくる訳です。ネットランナーのように新作が出なくなった&サポートが打ち切られたことで伝説になり得た事例もありますし。 (^^; やはり Magic を見ていると改めて思うのですが、ゲームにも“引き際の鮮やかさ”があってもいいんじゃないかと思いますが。例えばインベイジョンサイクル以降のカードから“ MagicII ”を再編して、それこそベータ版の基本セット発売からやり直すとか。そうすればそれ以前に世に出たお気に入りのカードとの出会いは、そのまま生涯良い思い出のまま記憶に留めることができますので。

 ・・・あ、そういえば今回のエッセイの結論を書くのを忘れてました。 (^^; 少なくとも競技プレイヤーしかいないTCGよりも、競技プレイヤーとコレクターが共存しているTCGの方が間違いなく売れるのです。あと私の知り合いの女性デュエリスト達からは、異口同音に「自分はイラストが気に入らないカードなど使いたくない」というご意見を伺っています。より多くの人達に Magic を気に入ってもらって買ってもらう。競技以外に Magic の間口を広げてより市場を拡大する。これは結果として競技イベントの維持・拡大にも大きく貢献します。自分がいくら美味いと思って作ったラーメンを店で出しても、実際にお客が食べて美味しいと思ってくれなければ店は潰れます。店主の舌がもう麻痺していて世間で売れるラーメンの味が分からなくなっているのであれば、無料で作った試作品を大勢に食べてもらって感想を求めるという方法だってあるのです。とにかく Magic というゲームの20周年記念イベントを盛大にやりたいのであれば、それこそカードイラストにも全身全霊を傾けて取り組むべきでしょう。他のTCGが人気マンガやアニメでやっていることを Magic はカードでやるしかない。そういう意識があれば、これだけカードイラストをぞんざいに扱うような真似は普通できないと私は思いますけどね。

   

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