TCG業界への処方箋 
 
 今回は「なぜTCGはロングセラーになりにくいのか?」というお話を、その要因分析と改善策の提案という2部構成で書いてみます。

○ 第一部:分析編

 1993年に登場した MAGIC:the Gathering 以来、日本でも実に様々なTCGが発売されてきました。ところがその元祖TCGである Magic は、日本語版発売から9年を経ようとしている現在、市場の大成どころか知名度の獲得にすら難儀している旨をメーカー側が認めるに至っているようです。またその他大部分の国産TCGにしても、タイトルごとに個別に見ると、満足な市場を構築できたのは長くて2〜3年ではないでしょうか。唯一の例外は日本国内でビッグヒットを記録した遊戯王OCGなのですが、これにしても今や日本での市場規模は全盛期の1/5程ではないかと思われます。(しかも欧米では発売から3年ほどで、既に勢いにブレーキがかかっているようですし。)ただしひょっとするとこの例外に、もうすぐデュエル・マスターズが仲間入りするかもしれませんし、ひょっとするとガンダムウォー辺りは既にそうなっているかもしれませんが。(ガンダムウォーは販売数量とか売上額のデータが出てこないので、とにかく市況が見えにくいのです。)昨年度は数百億円近くも売れていたゲームが、2年もすると一気に売上を半減させる。そうかと思えば1年ほどで100億円規模の市場を作り上げてしまうゲームが現れる。TCGというのは非常に不安定な市場構成になっていて、しかしそれでもマンガやアニメで話題性を獲得した人気タイトルで何とか市場そのものは維持している。現状はそんな感じでしょう。

 なぜTCGというゲームはそういう不安定な市場しか構築できないのか。もうそろそろ我々はその要因を真剣に分析し、その対策を打ち出すべき時期に来ていると思います。という事で、まずはその要因を私なりに挙げてみたいと思います。

現状のTCGは、継続が困難な“ゲームのブーム化”が、市場維持の大前提になってしまっている。
 そもそもTCGというゲームは、そのゲームシステムそのものが“ある程度のブーム化”を前提としていると思われます。休日に仲間を求めてお店に行き、そこで実際に対戦やトレードの相手に恵まれてゲームを楽しめる。販売店が定期的にゲームのイベントを企画し、そこにある程度期待した通りの動員が確保できる。こういう遊ばれ方はTVゲームやプラモデルといった多くの趣味では実現が難しいはずです。つまりTCGは他の趣味に比べて“特定のお店に来る顧客に占めるプレイヤーの比率が高い”という状況を常に求められるのです。しかもその前提が崩れると、途端にそのお店の周辺ではTCGが遊べなくなる。それはすなわち販売店から見た場合に“販売が維持できない”という結果にもつながります。TCGが自身のブーム化を前提にシステムが作られている。しかしゲームのブームなんてそんなに簡単に何年も続く、あるいは続けられる物ではありません。だから市場全体が激しい浮き沈みを見せる。仕組みが分かってみれば、ある意味当たり前のことが起こっているわけです。

個人がTCGを遊び続ける動機や理由が、時間と共に失われてしまう。(TCGが経年劣化している。)
 例えば私自身は「この特定のカードがたくさん欲しい」という理由だけでTCGに手を出しました。過去に現れたすべてのプレイヤーだって、皆さんほとんど例外なく「これが好きだ」というカードやデッキがあったはずです。しかしTCGは発売からしばらくすると、新作を売りたい、あるいは遊ばせたいという大義名分の元に、その古いカードやデッキが遊べなくなります。これはTCGの販売を維持するためには必要不可欠なシステムだというのが昨今の通説だろうと思います。でもそれは結果として“お気に入りのカードやデッキが遊べなくなる”という経験を、ほぼすべてのプレイヤーにさせることになります。それで新しいカードセットを売り出して、果たして旧作を遊んでいたプレイヤーが全員揃って新作も買い続けるのか。それは理論上不可能でしょう。つまり新製品の発売ごとにリタイヤ組が出る。これも考えてみれば極めて当然の結果なのです。例えばあるゲームシリーズで、新作発売ごとにプレイヤー全体の5%が何らかの理由でゲームを離れるとしましょう。それでも構わずに年に3つの新作を5年とか出し続ければ、プレイヤーは計算上、創生期の半分未満に減ります。よしんばリタイヤ組の比率を2%程に抑えることができたとしても、それでも5年後には7割ちょっとに減るのです。じゃあその新作の発売で新規プレイヤーの獲得は見込めるのか。新作が旧作に比べて複雑怪奇になることが通例のTCGでは、それもなかなか望み薄でしょう。これはいわゆるTCGというゲームの経年劣化と見て取ることもできるかと思いますが、とにかくそういうことになるのです。

 ただし1つ皆さんの勘違いを正しておかないといけないかと思います。今までTCGの業界人は「TCGは経年劣化するゲームだから、新製品を出してその劣化を食い止めなければいけない。」と考えてきているかと思います。しかし上に書いた理由を読めばお分かりのように、実はTCGの経年劣化というのは“新製品の発売に起因している”部分が相当あるのです。これはカード能力といったゲームシステムもそうですし、カードイラストの変化というか劣化にも言えます。我々は今でも10年以上前の対戦格闘ゲームを遊んだりしますが、そういうゲームには少なくとも経年劣化は見られません。自分が嫌いな新作のゲームと混ぜて遊ばれるという事もないので、純粋に好きなゲームだけをコツコツ楽しめるのです。(ただ多くの人達はそういう旧作から興味が別に移っているか、あるいは遊ぶ環境や接する機会が失われてしまったが故に遊ばれないだけなのです。)多分多くのTCGプレイヤーは「TCGなんて10年遊び続ける趣味じゃないよ。」とおっしゃるでしょう。じゃあ10年遊べないなら何年遊べるのか。ひょっとすると1年も遊べない、あるいは遊ばせる気がないTCGすらこの世には存在するんじゃないですか。そんな発想で作られたゲームが売れるはずがない。これも考えてみれば当たり前の話ですよね。

キーパーソンのTCG離反による人の連鎖が起こっている。
 皆さんはTCGが売れるために必要な要素って何だと思いますか。ゲームとしての完成度、美麗なイラスト、マンガやアニメの話題性、その他色々な要素が上がるでしょう。でもこの問題に関して、ほとんどの皆さんが大きな勘違いをしています。TCGといった対戦型ゲームに何よりも必要な要素、それはズバリ“一緒に遊ぶ仲間”なのです。街角のおもちゃ屋で売られているTCGの新作を見つけた。自分はそのゲームのことは全く知らないし、自分の周囲にもそのゲームを遊んでいる人はいないけど、その辺は後で何とかなるだろうと取りあえず箱で買ってみた。・・・そんな奇特な人は普通いません(笑)。皆さんもほとんどがそうだっただろうと思うのですが、誰かが勧めてくれたから、誰かが一緒に遊んでくれそうだったから、そして誰かがサポートしてくれたから、そのTCGを買ってみようと思ったんじゃないですか。ところがどうもTCGという代物は、特にメーカーが「このゲームがヒットしたのは、自分達のゲームの作り込みが良かったからだ。」などと勘違いしているケースが大部分なのです。だからメーカー自身の利益を最優先に、プレイヤーの意向を無視した続編を安易に出したりしてしまう。そりゃあ売れなくなって当然で、その様子を見て少なからぬ人達がリタイアするでしょう。

 そこで先程述べた話が出てきます。この人がいたから自分はこのゲームを始める、あるいは続けることができた。じゃあその人がそのゲームからいなくなったらどうなるか。全部とは言いませんが、多くの人が「じゃあ僕もやめる」になるんじゃないでしょうか。しかもそのやめた人が、例えば“その地域でTCGイベントを維持していた中心人物”とかだったらそれこそ被害は甚大で、それが更に数十名単位の新たなリタイア組を生み出すきっかけになりかねません。そして今はそのプレイヤーがTCGをやめる理由を、誰でもないメーカー自身が必死になってゲームに作り込んでいる。そういう基本的な話が大部分のメーカーには分かっていないのです。あの人がやめたから僕もやめる。周りにプレイヤーがいなくなったのでやめざるを得なくなった。本人にいくらTCGを継続する意志があっても、そういう周囲の事情からやめるに至った。こういうケースだって少なからずあるはずです。あと私が以前から言っている「 Magic は“売ってもらえなくなった”故に廃れたんだ。」というあれです。ある販売店が地域でのTCG普及に尽力してきた。その販売店がある日突然、そのTCGの販売不振や新作の駄作振りに嫌気が差して販売をやめてしまった。そうなればその地域全体でそのTCGが遊ばれなくなる可能性すらあるのです。

 私はかれこれ1年ほど、人を対戦相手にした将棋の対局をしていません。理由は単に対戦相手に会う機会がないだけで、今はもっぱらパソコンと携帯電話でコンピュータ相手に対局をしています。でも私はそれで「将棋をやめました」という状況にはなっていません。たとえパソコンと携帯電話によるコンピュータ対戦の環境が無かったとしても、どこかで人から「対局しましょう」と言われればホイホイやってると思います。ところがTCGというゲームは、どういう訳かプレイヤーが“やめる”という局面を選択せざるを得ないケースが少なからずあります。時間や経済的に厳しい。あるいは遊べる環境が周囲になくなった。だからやめなければいけない。それはイコール“TCGは続けることにも色々と困難がある”事の裏返しになっているのです。既に遊んでいる人間が、その継続を困難と考え、場合によっては“やめる”事まで考えるゲーム。そんなゲームに新規のプレイヤーはなかなか入り込めないでしょう。つまりTCGというゲームも、そろそろいい加減に“どんな状況であろうとプレイヤーとの縁を持ち続けられるゲーム”になるべきだと私は考えています。

○ 第二部:提案編

 この第二部では、第一部で挙げたTCGの現状を改善するための“抽象的な提案”を出してみます。 (^^; これを具体的にどう実現化させるかは、例えばそのTCGタイトルが置かれた環境や事情によっても違ってくると思われるからです。

ブーム化を前提としないTCG販売も創造すべし。
 TCGがブーム化を前提にシステムが作られ、それ故ブームが過ぎた、あるいはブームにまで至らなかったタイトルが売れなくなる。そういう状況を根本的に改善する手段としては、やはりTCGを“ブームなしでも遊べるゲームにする”しかないと思われます。第一部で書いた“どんな状況であろうとプレイヤーが縁を持ち続けられるゲーム”という事にもなるでしょうか。

 例えば私は Magic の Aysen Crusader というカードをコレクションしています。このカードは過去に Homelands というカードセットにしか収録されていません。そうなると当然私は自分で Homelands を買うか、または他の人が Homelands を買って引いた Aysen Crusader を集めることになります。ところがもう随分長い間、大部分のプレイヤーが Homelands なんか買っちゃいないはずなのです。 (^^; シングルカードを販売しているショップさんにしても、今更目玉カードのない Homelands を開封しようなんて判断にはならないでしょう。そうなると私自身もコレクションを進める手段が乏しくなり、場合によってはコレクションをやめるという場面が訪れるかもしれません。実際に多くの Magic コレクターが、これと同じ経緯で Magic コレクション、あるいは Magic そのものから離れていったはずです。これは例えばアクエリアンエイジにおけるプロモカードの乱発でも同じ現象が起こっていたと思われます。どんどん新しいカードが発行され、皆の関心や購買がそちらにシフトする。でも自分は昔のカードだって集めたい、あるいは遊びたいのに、でも日を追うごとに手段がなくなる。だから“やめた”になる。話はそんなに難しくないし、心情として分からないことはないでしょう?

 で、そういうプレイヤー離れを嫌った某TCGは、カードゲームをほとんど競技イベントの話題性のみによって売ろうとしたわけです。確かに競技なら特定のカードやデッキに対する思い入れは薄くなりますし、どれだけ環境が変わろうが、どれだけゲームバランスが崩壊していようが、そういう環境を受け入れて競技をするしかなくなります。カードイラストにしてもそれ程話題にならないので適当に手が抜ける訳で (^^; おかげでアート・ディレクターが自分が気に入らない人気イラストレーターを解雇するなんて芸当まで可能になりました。 :-P ところが実際問題として、そういうTCGって“本来のゲームとしての純粋な面白さ”が失われる傾向にあるようです。特定のカードやデッキが台頭することによってトレードが停滞する。対戦相手のデッキが判で押したように画一化する。自分が好きだったカードやデッキが「競技ルールで禁止された」「最新の競技ルールに準拠していない」という理由だけでゴミ扱いされる。要するに自分は今まで自分が好きで遊んできたカードやデッキでずっと遊びたいのに、周囲がそれを許してくれない。あまつさえメーカーや販売店までもがそういう風潮を助長している。これでそれでもそのTCGに残れるプレイヤーというのはかなり希少か、よほど環境やお店といった運に恵まれた人だけでしょう。

 例えばガンプラという趣味は、それこそ自分が使える範囲の予算で、好きなタイミングで買って作って飾って楽しめる趣味です。だからこれだけ長く続いているし、それで1つの市場を形成し得たのです。TCGもそういう趣味になるべくシステムを改めるべきでしょう。別にそれでも月に数万円単位の投資をする人が現れるのは構わないのですが、それがTCGというゲームを遊ぶ上での大前提になってしまっては、やはりTCGの大成というのはあり得ないだろうと思います。競馬が数百円程度の馬券を買って楽しむ多くの女性ファンによってブームになった、これと同じ発想をそろそろTCGも持つべきだろうと思います。

常に“未経験者/初心者”に視点を置いた販売もすべし。
 我々が初めてあるTCGに手を出して遊び始めたときに、果たしてどんなデッキが遊びやすいのか。この問題に関する結論そのものはかなり単純明快です。要は“手持ちのカードで作れる物”なのです。そこにはフォーマットとかレギュレーションなんて物は存在しないし、あってもむしろ邪魔でしかありません。ゲームを成立させるために最低限必要な約束事というのはあるのでしょうが、例えば「そのカードは持っていても使えない」なんて制約ははっきり言って不要です。現状のTCGの多くが競技的なイベントで維持されている以上、そこで適用されるフォーマット/レギュレーションの存在は重要です。しかし同時に「手持ちのカードで自由に楽しもう!」という啓蒙活動もしておかないと、初心者と中・上級者の敷居が高くなる一方ですし、未経験者を招き入れる手段もなくなってしまうのです。善意から無償で余剰カードを差し上げたのに、どういう訳か「こんな使えねえ紙屑よこしやがって・・・」とか逆に非難されてしまう。そんな不条理がまかり通るゲームは滅びる運命しか持ち合わせていないでしょう。

一度作ったカードをずっと遊んでもらい、買ってもらうという発想もすべし。
 “新しいカードが買えるメリット”は、少なからぬプレイヤーにとって“古いカードが手に入らなくなるデメリット”に勝てない。これは例えば Magic における一部絶版カードの高騰にも見られるように、やはり考えないといけない重要な問題です。もしこの問題をメーカーが自力で完全解決しようと思ったら、その策は基本的に2択です。“いつでも昔のカードが買える。”という状況を作るか、または“誰の目から見ても明らかな程、新作のカードが、すべての点において旧作のカードを超えている。”という状況を生み出すしかありません。でも諸事情あって前者は無理だし、後者もなかなかできない、あるいはクオリティに関してはデグレード(ダウングレード)すら疑われる。そうなるとそのTCGの衰退というのは避けて通れないし、メーカーはそれを前提とした販売戦略を取らざるを得ないでしょう。ただそもそもの話、それだけの人気を得られる新しいカードのアイディアとかイラストなんて、そんなにポンポンと量産できる物じゃないのです。だとすれば、例えばの話「基本的にカードセットの内容を固定して何年も遊び続ける。明らかにバランスを崩しているカードや、逆に誰も使わない不人気なカードは、次版でエラッタを出すか別の能力の物に差し替える。人気のないイラストのカードはイラストのみ差し替える。」という作り方だって可能なはずなのです。これなら古参でも新しいカードセットを買おうという気になるんじゃないですか。

カードを絶版にするのはメーカーの都合。だったら流通に対して十分な責任を取れ。
 メーカーが自社の都合で古いカードセットを絶版にし、ゲームイベントでのサポートを打ち切る。だったら販売店向けに“絶版カードセットの返品を認める”という措置くらいあってもいい気がします。これって出版業界は普通にやってますし、だから中小の出版社が出す話題性に乏しい書籍でも、安心して店頭に置けるわけです。X年経った製品は作らないし、イベントによるサポートもしない。それは明らかにメーカーの自己都合で生まれたシステムでしょう。でも実際には販売店もプレイヤーもそのカード(セット)を手元に抱え続けるわけで、そういうデッド・ストックを何年にも渡って蓄積すれば、誰だって新製品の購入(仕入)を躊躇し始めるのです。でもこういう形でせめて販売店の負担だけでも軽減すれば、その恩恵がプレイヤーにも及ぼされて市場が多少なりとも活性化すると思いますが。

 あ、勘違いして欲しくないのですが、私は別に「絶版カードをメーカーが回収し、それを全額メーカーの負担で処分しろ。」と言っている訳ではありません。むしろ大事なのはその回収後の話でして、要は「回収した旧作を希望する販売店に回せる流通システムを構築してくれ。」と言いたいのです。メーカーのサポートが打ち切られたTCGを販売するには、販売店側にかなりのやる気とスキルが求められます。ただ逆にそれができる販売店にとっては、絶版カードセットというのはあればあるだけ欲しい商材になる可能性があります。メーカーがそういうカードセットを(増刷による不良在庫増といったリスク回避のために)作りたくないと言うのであれば、せめてその程度の在庫管理くらいはして欲しいと思います。そうすればメーカー側もその商品の市場での人気度が把握しやすくなりますから、場合によっては「こんなに人気があるなら再生産するか。」という判断もしやすくなると思います。

 これはかなり以前から書いている意見ですが、どうもTCG業界って他の業界の成功事例や失敗事例に学んでいない気がします。これはメーカーにもプレイヤーにも当てはまるだろうと思います。メーカー側が他の事例に学んでいれば、少なくとも現状のような明らかに将来的に破綻が来ることが避けられない流通を続けるはずがないだろうと思います。またプレイヤー側がそれを学んでいれば、そういう手抜きの販売やユーザーサポートに何の文句も言わないということはあり得ません。プレイヤーが賢くないからメーカーが手抜きを許される。実際対戦格闘ゲームの業界などはそれ故滅んでいるのです。例えメーカーがどれだけ手抜きをしても、それで結果として一定の売上が維持できているのであれば、メーカーが方針を変えるなんて事はほぼ100%期待できません。私が個人的に考えるベストなやり方は、例えば「あるTCGタイトルにはプレイヤーはやたらたくさんいるのに、皆さん揃いも揃って『昔のカードは面白いねえ』とか言って最新のカードを買わない。」という状況を作ることです(笑)。こうすれば販売店はその昔の人気カードを売れば商売が維持できますし、メーカーは多分大慌てで「最新のカードのどこがダメなのか?」を吟味して対策を打ち出してくるでしょう。もちろん最新のカードが面白いと思えば大いに買えばいいのです。一番ダメなのは“最新のカードだから取りあえず買っておこう”という姿勢です。 Magic の競技イベントなんかは、プレイヤーにそういう発想をさせてカードを買わせるために存在していると思われます。それはつい先日の禁止カード発表にも良く現れているでしょう。でもはっきり言って既にそのシステムには破綻が訪れている訳で、もうそろそろ根本的な改善策を打ち出すべきなのです。まあ今となってはかなり手遅れ感が濃厚ですが(嫌爆)。

あいせんの“本音の部分”

 最近特に感じるのですが、やはりTCGというゲームは“ある世界観をモチーフにしたゲームを単発に出して楽しませる物”という気がします。10年以上続いている Magic にしても、今では1年ごとに全く異なる世界観をモチーフにした新商品を出して、それで何とか無理やり維持しています。 (^^; でもそれは別に“ Magic ”という1つのゲームとして括る必要はなかったりもしますし、ましてや異なる世界観を持つゲームを混ぜて遊ばせる必要もない気がします。ただその1つ1つのゲームの作り込みが甘いが故に、最近のTCGは同じゲームを長く遊んでもらうということがなかなかできていないようです。私は「あるゲームの真の評価は、発売から5年あるいは10年経った時点で下される。」という持論を持っています。そうなるとやはりTCGというゲームは、全体的に“あまり秀作とは言えない”という結論を下さざるを得ないのかな、という気がしています。ただしTCGコレクターという視点から言うと、例えば Magic にしろアクエリアンエイジにしろ「これは!」というカードは少なからず存在しますけどね。

   

このコンテンツに関するご意見/ご感想(特に苦情系の内容 (^^; )はメールにてお寄せ下さい。