第六部・総括 
 
 

あ い こ :ということで、第六部の総括です。」
あいせん:今回のテーマも難しかったねえ。何しろこの手の話ってどこをどう辿っても“精神論”に帰着する領域だから。」
あ い こ :そうですね。結局はマジックをどう楽しむかなんて個人の問題だ。それで片づいちゃいますから。」
あいせん:でも今はそうも言ってられないんだよなあ。何しろ競技偏重が主たる原因で日本のマジックは危機を迎えてるわけだし。」
あ い こ :こういうのってどうすればいいんでしょうか。」
あいせん:普通こういう話をするとき、我々はよくマジックを1本の木に例えたりするよね。そして普通はメーカーが根で流通が幹、枝が販売店で葉や花がユーザー…マジックで言うとデュエリストであると考えることが多いと思うんだ。」
あ い こ :確かに。」
あいせん:でもそれって本当にそうなんだろうか。」
あ い こ :というと?」
あいせん:最近僕は逆なんじゃないかという気がするんだ。つまり我々ユーザーはむしろマジックという木においては根っこの役目を果たしてる。そういうことです。」
あ い こ :ちょっと私にはピンとこないんですけど。」
あいせん:根は地中から水や養分を吸い上げて木全体に送り込む。それがマジックで言うと購入資金とかイベント動員ということになると思うんだ。それを流通という幹を通して葉が受ける。葉は一生懸命光合成をして栄養分を作り出す。つまりウィザーズが提供するカードとかユーザーサポートですな。葉が十分な栄養を作れれば花も咲くし実もなる。そしてその栄養が幹や根といった木全体の成長にも役立つ。」
あ い こ :あ、そう言われると何となくそんな気がします。」
あいせん:そう考えると今のマジックはどういう状態なんだろう。昔のマジックは色々な方向に根が伸びてて、それこそちょっとやそっとじゃ倒れそうにないくらいしっかりした木だった。ところが最近どういう訳か競技マジックという方向にしか根が伸びなくなって、それ以外の根がどんどん枯れてきてるんだ。」
あ い こ :そうなると幹や葉に供給される水や養分も当然減って、いずれは木全体の元気がなくなりますよね。しかも根がこれだけ不安定だと、ちょっとした風や地震なんかで倒れちゃうかも。」
あいせん:その天災に相当するのが遊戯王OCGといったライバルのTCG、あるいはネットゲームといった他の遊びの世界になるのかな。昔のマジックはそんな物にはびくともしないくらい根がしっかりしてた気がするけど、最近のマジックは抜けかけの乳歯みたいに右へぐらぐら左へぐらぐらしてる。それで枝や幹もダメージを受けて一部が壊死を起こしてるし。」
あ い こ :なんかそう考えるとしっくりきますね。」
あいせん:じゃあマジックってそもそも何を間違えたんだろうか。それは多分“葉の都合に合わせて根を伸ばす方向を決めちゃった”ということだろうと思うんだ。競技指向をあおってカードを大量に売るという、いわば日の光に溢れた日向がそっちの方角に見える。だからマジックはそっちに枝を伸ばして葉をたくさん付けようとした。それは企業としては当然の発想だと思われる。ところが下の根が昔のままじゃあ競技指向に伸びた枝葉を支えられない位に伸ばし過ぎちゃって、仕方なくその伸びたい方向の根だけに栄養を与えて育てちゃった。」
あ い こ :それで結果的にマジックという木は大きくなったから、今までは誰もその育ち方の歪さに気が付かなかった。ところがその成長の過程で壊死した根や幹や枝が木全体のかなりの部分を占め始めて、今やマジックという木そのものが危機を迎えてる。」
あいせん:少なくとも昔のマジックって、どの根にもそれなりに平等に栄養が行き届いてたんだ。競技イベントも今ほど大規模じゃなかったし、そういうイベント会場でもファンデッキでのデュエルやコレクションのためのトレードだって楽しめたから。」
あ い こ :根ってちゃんと十分な栄養をもらってれば、目の前に多少大きな石なんかがあってもそこを避けたり割ったりして勝手に育つんですけどね。」
あいせん:たださすがに今みたいに競技プレイヤーと名乗る根にしか栄養が来ないんじゃあ、そりゃあ他の趣向を持った根は枯れて当然だわな。」
あ い こ :別にそういう根をわざわざ枯らす必要はなかったんですけどね。放っておけば木全体の成長にだって貢献してくれるわけですし。」
あいせん:そういう根が伸びたり太くなるために一番必要な栄養って、多分“マジックは面白い”という実感なんだろうと思う。でもそういう栄養が今は競技プレイヤーにしか届いていない。これじゃあマジックがこうなるのは当たり前だな。」
あ い こ :今回のエッセイを書いてて思ったんですけど、本当に競技プレイヤー以外の人達にとってマジックってつまらないゲームになっちゃったんでしょうか?」
あいせん:少なくとも言えるのは“マジックを楽しいと感じるためのコストが昔よりも格段に高くなってる”ということですよ。」
あ い こ :それはありますね。」
あいせん:例えばコレクションにしてもそう。最近はコレクションなんて話題にも登らないし、しかもカードイラストも昔に比べて“あれ”だから、ちょっとしたコレクションを見せても誰にも話題にしてもらえない。うちは多分日本で一番有名なマジック・コレクターのWebサイトの1つだと思うけど、ここまでしないとコレクションは話題にならないんだ。」
あ い こ :でも、うちはちょっと方向性が“あれ”ですけどねえ(笑)。これが競技マジックの話題なんか扱ってると、プロツアー予選でちょっと上位に入ったというだけで話題になったりしますから。」
あいせん:その辺の差はかなりもの凄いよね。いかに日本のデュエリストが“最強のデッキ”“最強のカード”にしか興味がないかが歴然だよ。」
あ い こ :そうなると、例えば“あの話”なんかも世の関心は薄いんでしょうか?」
あいせん:え!?、“あの話”ってなによ?」
あ い こ :ほら、例の“セラの天使”のお話ですよ。」
あいせん:ああ、『セラ天の原画が日本にやってきた。』という話ですね。」
あ い こ :そうです。」
あいせん:まあ昔からのデュエリストが聞けばかなり関心を持ちそうな気がするけど。しかも Douglas Shuler 氏が描いたセラ天だけじゃなくて、いわゆる“レベッカ・セラ”の原画も同じ日本人が所有してるとなると尚更かな。」
あ い こ :しかもその同じ人がカードのセラ天を3200枚以上持ってる…一体いくらかかったんでしょうか?(笑)」
あいせん:それは言うな。怖くて考えたくないし本人にも聞けない(爆)。」
あ い こ :この前久しぶりに萌え道を見て思ったんですけど、実は日本のマジックってコレクションという分野で見るとかなり世界の先端をいってる気がするんですけど。あ、でもこれってひょっとすると過去形のお話になっちゃうかもしれませんが。」
あいせん:もちろんカードの総所有量で言うと米国が圧倒的首位なんだろうけど、その集積度という点で言うと日本はかなりいい線行ってると思うよ。リバイアサン1000枚クラスのコレクターが同じイベント会場に2人現れた現場も見てるし。 (^^;」
あ い こ :あいせん君も今はすっかり“牛姉”の人ですけど、でも“第5版限定・高潔のあかし”も今のところ上回る人は現れてないんですよね。しかも両方とも常人には追いつくのが難しいくらいの枚数集めてますし。」
あいせん:まあね。ただ“常人には”というのがミソかな。バイヤーの中にはその位の枚数をすべてのカード持ってる人もいるみたいだし。実際にブルー・ハリケーンを1人で30枚以上所有してる方もいらっしゃるわけだから。というか、さすがにSerraさんの原画入手の話題の後じゃあその程度のコレクションなんか霞んで見えちゃうって。 (^^;」
あ い こ :でも昔のマジックって、それこそコレクションを話題にしてイベント会場に人が呼べたじゃないですか。それを何もわざわざコレクション市場を干上がらせてマジックを競技一辺倒のゲームにする必要はなかったと思うんですけど。実際にそれで様々な弊害が出てますし。」
あいせん:例えば僕自身、今は“集めたくなるようなカード”という栄養を葉から供給されなくなって幾久しいんだよ。結局のところマジックという木が吸える水、吸い込める二酸化炭素、そして幹を行き来する水分や栄養分には限度がある。そんな中で木が全体としてある一方方向にその根や枝葉を伸ばそうと思ったら、間違いなくその方向にない根や幹は犠牲にならざるを得ない。」
あ い こ :それはそうなんですけど。」
あいせん:ウィザーズだってマジックの世界から意図してコレクターを追い出そうと思ったわけじゃないだろう。でもウィザーズは競技イベントにかけるだけの情熱をカードイラストにかけなかったし、そこに競技偏重によるトレードの沈滞化もあって、結果的に我々コレクターは多くがマジックから追い出されたんだ。同じことがファンデッキプレイヤーにも言えるかな。」
あ い こ :そんな中で“マジックを楽しもう!”って言っても、実現というか実行は難しいですよね。」
あいせん:でも本編の振り返りでも触れたけど、こんな話って本来は我々ユーザーが心配することじゃないと思うんだ。初心者が遊んでみて面白いと感じることのできないゲームは売れない。売れなければ競技もへったくれもないし、そんな失敗作は衰退という運命しか持ち合わせない。そんなの常識だよ。でもそれにしてはウィザーズって相変わらず随分と暢気というか殿様商売だよね。それだったらいっそのこと、一度とことんどん底まで落ちてみればいいと思うよ。」
あ い こ :…あまり首を縦に振りたくない意見なんですけど、こうなってみるとやむを得ない気もします。」
あいせん:1人のデュエリストとしてそれが嫌だというならば、1個人としてでもできる限りのことをやるしかないよ。例えば初心者とのデュエル用にコモンデッキを常に持ち歩くとか。別に中級者や上級者同士のデュエルにしても、そういう制約を持ったデッキ同士なら問題なくデュエルはできるはずだし。」
あ い こ :でもそういう意見が出ると必ず反論が来ますよね。『対戦相手は結局トーナメント指向のデッキで勝って悦に入るだけだ。』『それで負けるとデッキのせいにされるから面白くないし、あまつさえ勝つと鬼の首取ったみたいにデッキのうんちくを聞かされる。』とか。」
あいせん:そういう相手とはデュエルをしない。これに尽きるな。」
あ い こ :そこまで言い切りますか(笑)。」
あいせん:マジックを面白いと感じたければ、そもそも対戦相手にしてもちゃんと選ぶべきだよ。なんで日本で競技イベントが重宝されるかって、どんな質の悪いプレイヤーがいても無理やり対戦させられるからなんだって。大会の対戦カードは参加者側に選択権がないから。でもそういうイベントでないなら対戦拒否したっていいじゃない。『僕は過去にあなたと対戦して不快な思いをしました。もうあんな思いをするのは嫌なので対戦はしません。』って。」
あ い こ :あ、そういえばこの前言ってましたよね。対戦格闘ゲームにはそういう対戦拒否の手段が無くて、それが嫌でゲームセンターから足が遠のいたゲーマーが相当数いるって。」
あいせん:まあ格ゲーの失敗事例がこういう部分でも生きてないのは問題だけどねえ。でも僕個人はそういう自己主張はするべきだと思うけど。ちなみに僕は最近、だから自分から『デュエルしませんか?』とは言わないようにしてる(笑)。」
あ い こ :本来はユーザーがそんな心配なんかしなくても楽しめる、そういうマジックが理想なんですけどね。」
あいせん:先日の新聞に“原っぱと公園”という話が載ってたんだ。公園みたいに利用目的や方法を管理される場は面白味に欠ける。それよりも多少リスクを伴っても原っぱで自由に遊べる方がいいって。主旨としては賛同するんだけど、でもさすがに包丁持って赤の他人を殺傷するキ○ガイが現れるようなご時世じゃあ、そんな理想論は言ってられないと思うよ。」
あ い こ :ただ日本のマジックがこうなっちゃったのも、ある意味“管理マジック”の弊害なんですよね。メーカーやディストリビューターが公園を管理してある特定の目的を持った利用者だけを優遇した。途端にその選ばれた利用者は殿様気分で他の目的を持った利用者を公園から追い出して、あまつさえ他で買った遊具を大量に持ち込んで好き勝手やり放題。」
あいせん:普通なら『そんな公園には行かなきゃいい。』とか言えるんだけど、でも日本のマジックには今はその“公認トーナメントを軸とした競技イベント”という公園しか残ってないからなあ。」
あ い こ :そうなるとさっきのお話のように、一度マジックという世界がリセットされて原っぱに戻った方が幸せかもしれない。そういう意見はありそうですね。」
あいせん:やっぱりこの問題は根が深すぎて、2人で話したくらいじゃ結論は出ないよ。まあ出たとしても実際にそれで世の中が変わるわけじゃないし、今もマジックは確実に衰退への道を進み続けてるわけだから。」
 
 
あいせん:あ、ところで第七部のテーマですが。」
あ い こ :まだ決まってません。というか、一通り書いたんで一度休筆してもいいかな、と思ってます。」
あいせん:ということは、今後は当分第零部のみの更新ということになるのかな。」
あ い こ :そうですねえ、いっそのことあいせん君のエッセイの方にも登場したいかなあとか(笑)。」
あいせん:…」
あ い こ :何か不都合でも?」
あいせん:…いや、別にいいんですけど。 (^^;」

   
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