ちょっとネット上での論議について思うところを書いてみます。
私はそれなりに古いネットワーカーです。インターネットが個人に普及する前から、商用ネットや草の根ネット等で活動していました。私は人の意見を読むよりも自分から意見を出す方が性に合っているようで、そのためROM(リード・オンリー・メンバーの略)歴がネットを使い始めて2時間で終わってしまいました(笑)。過去に私も色々な“論議”を見てきました。特に私が深く関与したネット上の論議は、かつて私が趣味の主力としていた対戦格闘ゲームに関する、一般的なマナーやいわゆる“待ち/ハメ論議”と言われていた物です。対戦格闘ゲームはゲームシステムへの配慮不足から、戦術的にかなりの高確率で勝てる戦い方が存在します。それを単に繰り返すだけのプレイヤーは是か非か、そんな論議が延々と繰り返されていました。
最近私は「ネット上での論議ほど不毛かつ無駄な物はないのではないか?」と感じ始めています。論議という物は“自分とは意見が異なる人間を論破する”事を1つの目的にしています。この目的を持っていない論議があるとすれば、それは論議ではなく単なる“意見交換”なのです。私に言わせると、こういった趣味の世界で発生する論議っぽい話し合いって、その大部分がこの意見交換に留まっていると思うのです。
ところが、こういう意見交換をしていると、中にはそれを論議だと勘違いして参加される方が少なからず現れます。「私はこう思う。」という話をしている中に「俺はこう思うからお前もこう思え!」等と言い出す方が現れれば、当然周囲の参加者は困惑します。そう言う形で意見交換の場が混乱を来したケースを私は何例も見てきています。
あと論議って参加者が「自分の意見はしっかり主張するが、もしそれよりもベターな案があったら採用してみよう。」という意識を持って参加するべきだと私は思います。でも意見交換ではそう言う心構えはあまり必要ではありません。少なくとも自分の意見が誰かに否定されたり、怒濤のような反論を受ける心配がほとんど無いからです。またそれ故に発言に対してあまり準備が無かったりするのですが、そこにいきなり「お前は間違っている!」なんて食ってかかる参加者が現れたら普通どう思います?。それだけで「こいつ掲示板荒らしか?」と思われたって仕方ないのです。 (^^;
例えば国勢に関わる公聴会といった場の論議は、参加者全員が自分の意見を十分に述べた上で、その参加者全員の統一見解を出してその実現を目指すのが普通です。それがない論議は何も生み出さないので、本当に単なる時間の無駄なのです。ですから「そういう統一見解を生み出す気がない論議なら始めない方がいい。」というのが私の意見です。これはその論議を始めた人間、あるいはその場を取り仕切る管理者の責任が大きいと思うのです。
私も幾つかインターネット上での論議(もどき)を見てきたのですが、やはり匿名である(=自分が不利になったらすぐ逃げられる)故の安心感からか、そのレベルは全体としてあまり高くない気がします。私は自分の論議に関する能力をそんなに過大評価していないので、基本的にインターネット上で論議に参加する事はしていません。というか、やはりインターネット上では“意見交換”レベルの情報交換しかできないと私は思います。本来はそれなりに濃い論議ができる場が作れれば理想なのですが、それには参加者をかなり制限(厳選)する必要があるでしょう。私が自分のHPの掲示板で、基本的に論議を禁止したのにはこういった背景があります。HP開設当時は「もしかしたらうまく機能するかな?」とも思ったのですが、案の定というか予想通り揉めましたので(笑)。自分で議題を発案し、発展させたり取りまとめたりするスキルが無い人間が、安易に論議を煽ったり自分に有利な結論を導き出すために論議を利用したりする事は止めた方がいいと思います。そう言うやり方は決してネットワーカーとして頭の良いやり方だとは私には思えないのですが。去年うちであった論争もどきは、本当に低レベルな書き込みが続いて今LOGを読み返しても閉口しちゃいますよ。 (^^;