三惑 (さんわく・さんなく)  関連語句 見思。塵沙。無明。三観。 
「さんなく」とも読む。天台宗で一切の煩悩を三種に分類したもので、見思惑(界内見思惑)・塵沙惑(界外化道障塵沙惑)・無明惑(中道障無明惑)の三つ。見思惑は声聞・縁覚・菩薩の三乗が共通して伏すべき惑であるゆえに通惑といい、塵沙・無明の二惑は別して菩薩が断ずべき惑ゆえに別惑という。
 第一・見思惑は見惑と思惑(修惑)の並称で、三界六道の苦果を招く惑をいう。見惑は仏教の真理である四諦の理に迷うことや邪教などに迷って起こす知的な煩悩で、五利使・五鈍使を四諦と三界にそれぞれ配した八十八使からなる。思惑は現象的なものにとらわる情的な迷いで、根本となる貪・瞋・痴・慢の四種を三界・九地・九品に配当した八十一品からなる。
 第二・塵沙惑は大乗の菩薩が他人を教導する時の障害で、塵沙のごとき無数の現実の事象に対してそれぞれ的確な判断をして正確な対処ができないことをいう。
 第三・無明惑は非有非無の理に迷って中道法性の悟りを妨げる惑で、一切煩悩の根本となるもの。別教では十二品、円教では四十二品に分けて、最後の一品を元品の無明と称して断ずれば成仏すると規定される。天台教学ではこの三惑を治するのが空・仮・中の三観で、空観によって見思惑を破し、仮観によって塵沙惑を破し、中観によって無明惑を破すとされるが、智は『摩訶止観』巻四上等において即空・即仮・即中の円融三観によって三惑を同時に断ずる旨を示している。『薬王品得意抄』〔13854〕などに説明されている。