阿部語録 第十 正信会破門"5">
☆四四二号
(昭和五十七年十一月五日・日精上人第三百回遠忌法要の砌)
「すなわち本来、末法の仏法の流布、因縁ということを本当の信心によって、根本の三大秘法の血脈のうえから信解することのできなかった邪僧ども百数十人を、処分いたしておるのでございます。」P四二
☆四四三号
(昭和五十八年元旦・新年の辞)
「日興上人御化導の特性の一つに、聖門下ながら似て非なる五人の弟子等の法義・信仰に対する破折と峻別が存し、それが必然的に正法の万年弘通の根幹となったのである。これと符節を合する如く、日興上人第六百五十回遠忌奉修の昨年において、宗内に盤踞する似て非なる迷僧・邪僧どもの専断横道の謗法に対し、最終の処分を断行する運びとなった。これも経典・祖書の大精神および先師方の御指南に照らすとき、止むを得ざる処置であり、更に未来への大法弘通の基礎を確立したものと信ずる。」P四
☆四九〇号
(昭和六十一年十月八日・本種山徳成寺落慶入仏法要)
「つい最近の宗門の情勢のなかでも一部の僧侶の者どもが、仏法の流布の深い因縁も知らずに総本山に背き、また、このように日本ないし世界に大法を広宣流布してくださったところの創価学会の方々に怨嫉を生じて様々な悪口雑言を唱え、そして宗門の僧侶にあるまじき姿をもつに至りました。これらの者どもについて、いかに諭しても改めることがありませんので、ついにその者どもを破門にしたのでございます。」P五四
☆五二六号
(平成元年十一月六日・大法山妙種寺落慶入仏法要の砌)
「さて、先般来の様々の問題のなかで自称、正信会とやら称する者達の不心得と申しましたが、これが一にかかって大所高所の判断から外れておるところにあったのであります。私はあらゆる面から過去においてその大所高所をよく見て、そこに一切が具わるのであるということからの意義において僧俗の一致ということを説いてきたつもりであります。
しかしながら彼等はその時その時のおかしな考え方に執着してしまって一向に改心をいたしませんので、やむをえずある時期に宗門を破門いたしました。」P五四
これよりケンカ別れの後の発言
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