阿部語録 第十二 広布"5">
☆四一八号
(昭和五十五年十一月二十六日・創価学会創立五十周年記念幹部登山の砌)
「次に三代池田会長の時代には更に七五〇万世帯を達成され、未曽有の正法広布がなされたのであります。これ、まことに歴代会長の優れた指導力によるものであり、昭和年間における正法広宣流布の相は、その短い期間において多大の実績を残された点、世界宗教史にも類例を見ない特筆すべきものであって、その宗教的意義はまことに大きいというべきであります。」P五五
「確かに昭和五十三年六月三十日の訂正に見られる如き、逸脱があったのは事実でありますが、それは終局的に宗旨に背反するものでなく、未曽有の成果の実証にともなう教義解釈の行き過ぎ等に起因するのであります。
故に、その根底に宗門の宗旨をないがしろにするごとき底意は、なかったと信ずるのであります。」P五七
☆四一九号
(昭和五十六年一月一日・衆和会勤行会の砌)
「創価学会は、広宣流布の団体として五十年前に創立され、以来五十年間、命懸けの大折伏によって正法を世界のすみずみにまで弘めてくれました。また法華講の方は、それぞれの寺院において御本尊を守り、僧侶を守って、法を七百年間伝えてきてくださっったのであります。故に、そのいずれもが、間違っておるというようなことは絶対にあり得ないわけであります。」P四七
☆四四七号
(昭和五十八年三月三十一日・第四回非教師指導会の砌)
「そういうところからも、僧侶が主体となって折伏教化していくというような基盤が、昔のかたちとは違ってしまっておるのです。このへんも、歴史と現実の姿、あるいは色々と宗教の状態を見てみると、よく解るはずであります。
そのような時代の特殊性、現実性ということも全く忘れ、考えないで、ただむやみに僧侶が主導権をもつことが祖道のかい復だというようなことを、狂った者どもが考えたり言っておりますが、これも現実を本当に正しく見ていない姿であります。
今日、こうして非常に正法が弘まったのも、はっきり言って、創価学会の折伏によるところであるといえます。その創価学会がこのように弘まったことの根本について、君達はどのように思っているだろうか。
これは、当時の御法主上人が、あるいは当時の宗門の責任者が、創価学会の折伏と、その折伏による成果をどのように受けとめていくかということを、宗門の今までのある固定化したところの考え方、殻を破って自由に、広く開いたからなのであります。」P九三
「これはやはり、一つは”時”であり、一つは実際の”広宣流布の状況”であります。また正法正義が現在、どのようなかたちで受持されているかということ、あるいは僧俗の色々な関係についても現実を見る必要があります。そのうえで、私どもがその時、その時に応じての正しい筋道を示していっておるのであります。
そういうことが全く解らないで、自分勝手なことから他人を誹謗し悪口を言う、その悪口を言ったことが原因となって、またさらに自分も救われないようなひどい境界に落ち込んでいっているのが、あの正信会とやら称する者どもであります。」P九五
☆四五四号
(昭和五十八年十月十五日・開高山法厳寺移転新築寺号公称落慶入仏法要の砌)
「戦後においては第二代会長・戸田城聖氏、さらにまた第三代会長・池田大作氏の卓越したところの信心と指導によりまして今日、広宣流布の相が実に目覚ましく、日本ないし世界に弘まっておるのでございます。
これはまことに、大聖人出現以来七百年にして、真の仏法が日本ないし世界に広宣流布をし、未来万年の衆生の成仏の大功徳をここに植えられるところでございます。まことに大聖人の御金言が、まさに時を得て実証せられたということが感ぜられる次第でございます。」P五四
☆四五五号
(昭和五十八年十一月十七日・日淳上人第二十五回忌法要の砌) (※二十五回忌…有師はないと)
「当時、宗門には宗門の昔の形における形式がございまして、それぞれ末寺の縁故の者はそのところによって御授戒を受け、信徒として育成されていくということが一つの鉄則でありました。今日、法華講のほうはそのような形でおりますけれども、そういう形だけに執われていたならば到底、この大きな広宣流布はできなかったと思います。やはり、戸田会長が眦を決して牧口先代会長の真の報恩のために、また弔いのために折伏を開始され、また第三代・池田会長につながれてこのような広布の相が顕われたことも、これはその元に、当時の宗門の状勢のなかで古い形に執われないで、しかもなおかつ、その伝統を正しく活かして山法山規を根本とするきちっとした僧俗の在り方を打ち立てられておるところに、今日の姿があるのでございます。」p六七
☆四六一号
(昭和五十九年五月九日・法清寺落慶入仏法要)
「そのような点から、しかも宗門の本筋の化儀、化法に則って、このように創価学会の折伏によって日本ないし世界に正法が興隆したということは、まことに前代未曽有のことでございます。」P五四
(昭和五十九年五月二十三日・深妙寺移転新築落慶入仏法要の砌)
「どうぞ皆様は、縁あってこの正法に縁せられましたから、本日の慶事を契機とせられましていよいよ、創価学会の指導に基づいて正しく信心修行に励み、また折伏を行われて、さらに多くの人々を本当の幸せな、未来永遠への幸せの道に導いていかれるための御精進をお祈りいたしまして、一言、本日の祝辞に代える次第でございます。」P六九
☆四六四号
(昭和五十六年十一月十六日・妙源寺移転新築落慶法要の砌)
「今日、それが日蓮正宗に伝わり、創価学会の現れによって今、世界にこの大聖人様の三大秘法の正法が弘まっておるということも、これはやはり折伏ということ、法華経の根本の法の相をあくまでも素直に正しく、大聖人様の御意にしたがって説いておることが『時』によって広宣流布の相を顕わし、また、したがって正法を信受する人々が本当に幸せになっておるということをお互いに確信いたして、いよいよ信心修行に邁進することが肝要であると存じます。」P三五
☆四六七号
(昭和五十九年十一月十日・実法山大善寺落慶入仏法要の砌)
「創価学会においては、初代会長、二代会長、そして三代・池田会長と、総講頭の池田先生が指揮を取られて戦後、未曽有の広宣流布の相が顕れました。しかしまた、それによって様々な誤解も生じ、魔が興って宗門のなかが混乱したのでありますけれども、やはり時来たり、正法正義の根幹を護持し給うた御先師の大慈悲によって今日の宗門が、すなわち僧俗が本当に正しく一致して広宣流布に向っていくところの態勢が今日、ここに確立しておると信ずるのでございます。
その上から、今までにたくさんの寺院が御供養せられたにもかかわらず、残念なことに日本全国のなかで百二十数ヶ寺は今日、日蓮正宗の寺院としての機能を果たしておりません。それは要するに、邪義に執われて正法の流れを正しく拝することを失ったところの誤った悪侶の者どもがそこに蟠踞して、いまだにその寺院を明け渡さないからでありまして、この益田市においてもそのような一ヶ寺が現在、残っておることは皆さんも御承知のとおりであります。しかし、これらの邪義の者どもには、必ず正しい仏法を鏡として、その誤りの姿がはっきりと顕され、仏法におけるところの大きな罰の相が顕れてくることを確信するのでございます。」P七二
☆四六八号
(昭和五十九年十二月二十一日・久道山顕妙寺落慶入仏法要の砌)
「まさに今回、創価学会によって再び二百ヶ寺建立の発願をせられたということは、この仏法を末法万年に広宣流布していくところの大願による外護の顕れと存じまして、私は深く敬意を表するものでございます。
二度と過去のようなことがないように、僧侶においても充分に信徒の立場を理解し、僧俗、真の一致和合を招来して、正法の護持、興隆に邁進するように教えてある次第でございます。」P六二
☆四七九号
(昭和六十年十二月四日・法益寺落慶入仏法要)
「近年に至って創価学会の初代会長・牧口先生が提唱されました。それ以来、第二代会長・戸田先生、第三代会長・池田先生等、引き続いて多くの人々を、正しい仏法を根幹として、しかも正しい利益を得せしめて、それによって本当の幸せを得、確立していくということが強く指導されてきたのでございます。これは大聖人様の御法の広宣流布の姿として、実に正しく、また尊いものであったと私は常々考えておるのでございます。」P一〇四
☆四八三号
(昭和六十一年三月十八日・神力山要言寺落慶入仏法要の砌)
「我が日蓮正宗においては、いかなる時流にも媚びず、大聖人様の御法をどこまでも正しく伝えることこそ根本であるという確信に基づいて今日まで伝えてまいりまして、近年においては創価学会の勇猛精進の折伏によって今日、日本ないし世界に広宣流布をされておる状況であります。」P五九
☆四八四号
(昭和六十一年・智妙寺落慶入仏法要)
「しかし、このような状況が出来た時に、さらに寺院を建立して末法万年の広宣流布のために御供養するということは、到底、普通の人ではできうるものではありません。その点、特に法華講総講頭・池田先生ほか創価学会の幹部の方々、また一般会員の方々が、この大聖人様の仏法、そして日蓮正宗をどこまでも護り、広宣流布をしていくこと以外に人類の幸せはないという深い信念においてこのような御供養をしてくださっておるということを、私は有り難く存じておるのであります。まことに深い実相の上からの信解があればこそのことと思うのであります。」P六三
☆四九〇号
(昭和六十一年十月八日・本種山徳成寺落慶入仏法要)
「大聖人様御出現ののち七百年の今日において、この妙法の三大秘法を深く信ぜられ、真剣なる信心修行をもって世界広布の大事業を遂行されたのが皆様方、創価学会の方々でございます。この功徳は大御本尊が深くみそなわすところであり、大聖人様が成仏という未来の大功徳をはっきりとお述べあそばされておるのであります。」P五三
☆四九一号
(昭和六十一年十一月二十日・御大会)
「近年、創価学会の勇猛精進の大折伏により、この正法正義が世界に広布することは、まことに釈尊の予言、宗祖大聖人の御金言、符節を合するところであります。この正法流布の功徳はまた、算数譬喩も能わざるところであります。」P五五
☆四九二号
(昭和六十一年十二月二十五日・大法山妙乗寺落慶入仏法要の砌)
「末法においては、正法正義は常に、勝れ、高いが故に世間の邪義邪法の徒から悪口雑言等があり、また世間の低い通念の考え方の上からその正法の本当の意義を知らせることがなかなかに難しいのであります。しかし近年、創価学会のまことに勇猛果敢な大折伏によって日本ないし世界に信徒が多く輩出し、しかも、その信徒の方々のため、正法広宣流布のため、大法を護ってここに二百カ寺の建立が着々と推進をされておるわけでありますが、これは口で言うことはまことにたやすいけれども、実に困難な、また特別な浄業であると思うのであります。その発願主である池田先生の赤誠、そして創価学会信徒皆様の外護の志を仏祖三宝にも深く御嘉納あそばされることと存ずるのでございまして、願わくばこの浄業を元としてさらに正法が日本の隅々にまで光被し、多くの衆生の真の幸せを確立していくことができるようにお互いに考えていくことが大切と思うのでございます。」P八三
☆四九五号
(昭和六十二年四月六日・霊法虫払大法会の砌)
「その一大実証は、近年、正法の日本ないし世界広布の礎を開かれた、創価学会における初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります。その指導による広布の大前進において、有智も無智も男女を嫌わず、妙法の実践をもって真の勝妙の境を得、仏国土の建設と世界平和に貢献する活動の実証において、深く広くその意義と功徳が顕れております。この信心の血脈は、古来よりの法華講の信心の歴史においてもまた多く見ることができます。P四二
☆五〇一号
(昭和六十二年九月十日・大宣寺本堂落成法要)
「そしてまた、そのあとを現在の法華講総講頭、名誉会長・池田先生に引き継がれて、その十倍という大きな広宣流布が成し遂げられたということも、初代、二代、三代の会長の方々の熱烈なる正法流布の信念とともに、その人格の勝れたところによるものと思うのであります。」P五三
☆五二六号
(平成元年十月十九日・法華講支部指導教師指導会の砌)
「そのうち創価学会については昔からの形成の因縁からしましても、その創価学会の組織のなかにおける独自の掌握・指導ということが今日に至るまで行われておるわけでありまして、また宗門においても創価学会のそのような指導体制をそのまま了承し、またそれの正しい方向への発展を常に願っておりまするし、側面からその在り方を補助しておるという姿もあるのであります。根本は大聖人様の三大秘法を中心としての布教でありますけれども、また創価学会の方向性というものはその独自性に任せて今日までやってきておるわけであります。
そのなかで特に最近において私が喜んでおるのは、創価学会の会員の人々がそれぞれの各所属寺院における毎月十三日の御報恩御講に盛大に参詣をされておるということでありまして、創価学会のそういう組織のなかだけのことでなく、寺院における僧侶の指導を受けながら学会の会員の人達も信行に励んでいくという姿が存することであります。」P四七
☆五二八号
(平成二年一月一日・平成二年元旦勤行の砌)
「私がまだ所化で学生の頃、ある通夜の席で牧口会長と偶然一緒になった時、当時は正宗信者もいませんし、百名前後の通夜の客はすべてが謗法者でありましたが、それに対して牧口会長が折伏の言葉を十五分ほど真剣に述べておられたことを拝見いたしまして、感動したことがあります。その頃から牧口会長の信心の熱意により、またその教訓によって多くの信徒の方が輩出してきたように考えております。
戦後においては第二代会長・戸田城聖先生、さらにまた第三代会長・池田大作先生等の歴代会長の死身弘法による正法興隆に向う姿、また会員の方々、信徒各位がさらに増加をして折伏を行じ、今日、日本ないし世界に信徒がたくさんできたということも、まさに閻浮広布の時が来ておるということを感ずる次第でございます。」P五七
(平成二年一月七日・衆和会初勤行の砌)
「それからあと、九月に総講頭・池田先生の発願によりまして、まだこれは内定でありますが、だいたい判っておることは、大文化祭をちょうど広くなったこの客殿の前の広場で行うということになっています。これにはずいぶん大勢の外国の人達もみえることになっておりまして、池田先生の構想においては下種の意味においてはできるだけ世界の著名人も聖域に参加させ、この盛儀をみさせたいというようなこともあるようでありまして、やはりこれが将来の正法世界広布の大きな因縁となっていくものと私も感ずるのであります。」P七三
☆五三〇号
(平成二年三月八日・妙義山啓道寺落慶入仏法要の砌)
「その意味からここに今日、創価学会が大折伏を敢行され、特に戦後においては法華講総講頭、またSGI会長として池田大作先生が今日、世界広宣流布の指揮を執られ、先般もアメリカにおいて広布のひとつの段階、礎をさだめられてきたように承っております。この姿もことごとく、僧俗一致して正法を護持興隆していくところに真の人類の未来への功徳が存するということを実証するものと思うのでございます。」P七三
☆五三二号
(平成二年五月一日・総本山大石寺開創七百年記念大行尊霊法要の砌)
「終戦後、第二代会長に就任された戸田城聖先生は、日本国民を大聖人の正法によって救済すべき時まさに至るを感じて、六十四世日昇上人、六十五世日淳上人の深い理解と庇護のもとに折伏の指揮を執られ、多大にして未曽有の正法流布を進められました。
また第三代会長・池田大作先生はさらにその跡を受けて、六十六世日達上人の深意と加護のもとに本尊流布の浄業を進められ、さながら燎原の火の如く偉大な広布の成果を招来したことは我々の記憶に新しいところであります。
かくて本宗信徒の急増に伴い、本門戒壇の大御本尊は御宝蔵より奉安殿へさらに正本堂へ御遷座となり、またこれに準じて当・大客殿をはじめ総本山の境域の建設・整備や末寺の建立寄進等、内外の供養は挙ぐるにいとまなく、さらに海外における弘法の足跡は百十五カ国に及んでおります。これらは現総講頭・池田先生の外護と、ならびに広布の指揮の賜物であると存じます。」P八九
これよりケンカ別れの後の発言
☆五三九号
(平成二年十一月二十八日・富士学林研究科閉講式)
「さらに三代・池田先生の就任後にその十倍乃至十数倍の形が出来た。
また、池田先生の組織的なまとめによって世界にもその広宣流布の形が、はっきり言えば戦争花嫁だけれども、要するに戦後の人的交流が世界的に行われて、世界に日本人が進出しつつ正法を受持する人が弘まったために、それらの組織的な形の薫陶があり、また指導、拡大発展が行われて、今日、一二〇数万というような信徒が世界におるということが言われておる時代になっております。
しかしこのような形の中での広宣流布ということが、たしかに行われておるけれども、我々僧侶の面から見たときに、果たしてこれでいいのかということもまた考えなければならないことだろうと思うのであります。」P九二
☆五五二号
(平成四年一月一日・平成四年元旦勤行の砌)
「私は昨年度において、仏法の上からの非常に深い意義を感ずるのであります。それは、過去において信徒団体としての創価学会によって、特に牧口初代会長、戸田二代会長等の命懸けの折伏、その組織作りの成果として大きな広布の進展が見られ、またその上に、今日は誤りのなかに堕しておりますが、池田第三代会長以下による広布への前進の姿も見られたのであります。しかし、やはり根本において自分の一身を法に捧げるという心を忘れ、我見・我慢をもって仏法の根本を解釈し、法を考えるところに大きな誤りが存在して、今日のような事態となったのであります。
この過去の広布の姿は、いわゆる在家の信徒団体によるところの正法広布の姿でありました。しかし、七百年の昔の『祖道恢復』を深く考え奉るならば、やはり本来は、僧侶と信徒の方々が心を一にして、僧俗一致の上からの広布の体制が確立することこそ、真の正法の光輝が正しく日本ないし世界に光被する所以であると存ずるのでございます。」P六五
☆五五五号
(平成四年三月二十九日・法華講連合会第二回壮年部大会)
「したがって、戸田会長のころの創価学会の在り方は、その根本において、あくまで総本山が根本であり、そのための創価学会であるという気持ちの上から、あの大折伏が遂行されたということが、はっきりと言えるのであります。
ですから、三代の池田会長は、戸田氏が命懸けで作られた組織と、その流れの上に乗ったに過ぎないのであります。戸田氏は、本当に命懸けで指揮を執りましたが、広布七十五万世帯の時点でお亡くなりになりましたので、そのあとを受けたあと、たしかに数としては増えているようでありますが、既にその時には、そののち発展する内容は戸田氏によって出来上がっていたというように、私ははっきり見抜いておるものであります。」P六四
☆五六一号
(平成四年八月二十八日・全国教師講習会)
「昭和四十年には、いわゆる『妙光寺事件』がありました。このなかにもあの時にその場にいた人が何人かおりますが、私も正本堂建設委員会の委員の一人としてその場におりました。とにかく、その理由は猊下より席が下であったとか、出されたメロンが小さかったとか色々とあったようでありますが、池田大作が当時、総監をしておられた大東院さんに対して、実にひどく怒鳴りつけたのです。二時間近く怒鳴っていたと思いますが、本当に修羅というか何というか、何を怒鳴っているのかよく解らないのだけれども、ありとあらゆる宗門に対する怒りを爆発させて、次から次へと文句が出てくるのです。
やはり、当時は、広布の進展の相を深く鑑み、宗門全体が創価学会の横暴に対して忍辱の衣を着て、教導せんとしていた姿があるのであります。」P六二
☆五六一号
(平成四年九月二十七日・北海道第一布教区御親教の砌)
「その広布の考え方が、最初のころは正法をどこまでも自分達が弘めさせていただくのであるという気持ちで行われたのでありますが、いつとはなしに責任者の心のなかに我見・邪見が入り込んだ姿があります。それが第三代会長を務めた池田大作という者でありまして、下種三宝を根本としてどこまでも広宣流布に向って身を捧げていくということが本来の姿であるにもかかわらず、むしろ自分達が広宣流布の中心であるという慢心を生じ、本末転倒して宗門を侮り、僧侶をみくびって、様々な誤った考えによるところの指導が長い間、行われてきたのであります。
一時はそれも、先師日達上人の時代に、なんとかこれを正しくしようという宗門僧俗の心ある方々の指摘により、形として一往は改めたのであります。しかし、その根底にある我見・我欲、いわゆる創価学会があくまで中心であるという考えを捨てきることができず、さらに様々なところからその誑惑の考えが表れてまいりました。」P七四
「やはり、中心から世界の辺国に及ぼしていくということこそ、広宣流布の真実の姿でなければなりません。
それを、自分が少しばかり海外へ行って信徒が増えたからといって、キリスト教も仏教もみんな一つであるという内外一致の考え方を持ち、それに基づく文化運動とか平和運動というような安っぽい考えをもって、『これからは一切、ほかの宗教のことを言う必要はありません。ただ創価学会を信じてやってくれればいいんです』というようなことが聞こえてくるのは、本末転倒の、大聖人の教えの基本を忘れた考えが根底において存在するからであります。」P七七
「要するに、これまで、本門の本尊も題目も戒壇も、すべて大聖人の根本の御法体、御命、御智慧を忘れて、池田大作の狂った解釈によるところの三大秘法ということが、ずっと説かれていたようであります。今日、創価学会があるゆる面で社会的にも嫌悪されるような不道徳の形が現れておるのも、その源はすべて、大聖人の教えの根本に背反した我見・我欲によるということを、よく我々は知らなければならないと思います。」P七九
☆五七五号
(平成五年十一月二十六日・富士学林研究科閉講式)
「それは創価学会のような形で、なんでもいいから大勢の人間に広宣流布すればいいということではありません。それこそ、日達上人も仰せになったように、あのような形のなかで大聖人の仏法でない、驕慢謗法以下十四誹謗の歴然たる形まで表れてくるのであれば、結局、広く流布してもなんにもならないのです。」P六九
「現に、宗門は着々と前進しているのです。今日、我々は、僧侶は僧侶なりの立場のなかで真剣に教学を研鑽し、また、一人ひとりがそれぞれの立場においてどんなことも忍びつつ法を弘め、修行しております。これが僧道です。また、これが広宣流布への道なのであります。数が多くならなければ広宣流布の行ではないなどという考え、いたずらに数にばかり執われる姿、あの学会的な考え方が広宣流布の在り方だというような考えは、ぜひ捨ててもらいたいと思うのです。」P七〇
☆六〇三号
(平成八年三月三十日・講頭・副講頭指導会の砌)
「創価学会は、ただいまの下種のことについても、『創価学会によってこそ、折伏ができたのだ、広宣流布が進んだのだ』と放言しています。たしかに終戦後の形、あるいは昭和七、八年から十年以降の形のなかでは、創価学会の牧口初代会長、戸田二代会長の指導により大きく広布が前進したことは事実であります。しかし、その根本は、下種の本法が七百年、この富士の麓に厳然として相伝されてきたからであります。」P六五
「その創価学会は、なかんずく、その首魁である池田大作は、仏法の基本を全く知らないにもかかわらず、仏教用語についても好き勝手に解釈する癖を持っておりました、例えば発心下種と聞法下種ということについても、まことにわがまま勝手な解釈をしております。」P六六
☆六一一号
(平成八年十一月二十日・御大会に参詣の海外信徒お目通りの砌)
「しかしながら、あの創価学会のように、ただ数さえ増やせばいいというような、実にめちゃくちゃな在り方は、今日においてはむしろ大謗法になると思います。
これからの広宣流布の在り方は、けっしてあせらず、また、数だけを増やし、その力によって、わがまま非道なことや自分の我欲・我見を通していくという創価学会のような考え方は絶対にあってはならないと思うのです。」P六七
☆六一五号
(平成九年四月六日・霊宝虫払大法会の砌)
「しかるに、かの池田創価学会は、その首領・池田大作が、信心弱く、増上慢に陥って、大聖人の仏法の根幹たる三大秘法を我意によって誤るとともに、『一心欲見仏 不自惜身命』の本義を弁えず、世間の批判に対し私利私欲による安易な道を常に模索したため、正本堂の意義付けなどに対しても、根本的に狂うに至りました。
すなわち、正本堂の着工法要の時、『三大秘法抄』の戒壇の文を挙げて、
『この法華本門の戒壇たる正本堂』(大日蓮二七三号)
と言い、あたかも広宣流布の達成という、大それた我見の意味を述べたにもかかわらず、本人自身、今もって一言も反省懺悔がありません。
さらに、これに関連してその後も長きにわたって、くどくどと述べた『広布第二章」なる仏法違背の邪義も、自らの名聞名利と安易な我見により、大聖人の厳格な下種仏法の構格、すなわち、謗法厳戒、折伏為正の道を、日本国内において安易な摂受に切り換えて流布の順序次第を狂わしたのであり、大迷見であります。」P三九
「池田大作は、口に『大聖人直結』などと言いつつ、大聖人の終始の大難と乏少忍受、少欲知足の御生涯に対し、ありとあらゆる贅沢三昧の上に、さらに人間として最も恥づべき行いがあったとして、目下、その屈辱を受けた方より、司法の裁断を訴えられている始末であります。これではとても『大聖人直結』などと言えたものではなく、地獄、餓鬼相当の一闡提にこそ直結している、と断ずるものであります。」P四〇
第十三 池田評(讃嘆・批判)へ
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