阿部語録 


第二十 題目


  ☆四一四号

 (昭和五十五年七月四日・全国教師指導会)


 「ただしこれは、阿部日顕個人ではなく、唯授一人の血脈を紹継するうえから申しますけれども、法主の心に背いて唱える題目は、功徳がありません。これだけは、はっきりと申し上げておきます。ですから『法主にも誤りはあるんだ』などということを信者に言いふらす僧侶も、また、それを信じて平気で法主を誹謗するような信徒も同じく、そういう人の唱えるお題目には功徳はない、と私は申し上げるものであります。」P一六

☆四二五号

 (昭和五十六年六月二十日・道種山信法寺落慶入仏法要の砌)


 「今日、宗門には様々の思い違いをしておる僧侶や、一部の信徒がおりますが、その人達はその根本である宗門の法義を否定し、信仰を否定して、自らの小さな善悪観に執われて法主の悪口を言っております。このような姿は、自ら法門の無尽を究めようとする心を捨てて、仏道の無上を得んとする心を捨て、また衆生の無辺なるを救わんとする心を放棄しておるところの姿であります。これは、根本の大聖人様の血脈の仏法に反しておるのでありまして、したがってその人達の唱える題目は、いかほど唱えても全く功徳はないのであります。」P五九

☆四二七号

 (昭和五十六年八月二十五日・全国教師講習会)


 「また、私はかつて『法主の指南に背いて唱える題目は功徳がない』ということを申しました。これについて正信会とやらの者共は、私が自ら仏であると言ったかのよう誹謗しておりますが、これは全く反抗の心からくる意味の取り違えです。本宗伝統の血脈相伝の立場において、即ち仏法を継承する責任者、僧団・僧衆の上首としての法主が、仏法の道理に基づいて行う指示に対し、背く者はとりも直さず異端者であり、背信者であります。

 それは現在の法主に背くのみでなく、御本仏大聖人、日興上人以下、代々の上人に背き奉ることであるから、その背謗の言動・行為を改めずに題目を唱えても功徳がないのは当然であります。否、功徳がないどころか、大聖人様への背謗に当たる故に三途堕在の道であります。」P五一

☆四五二号

 (昭和五十八年八月二十九日・第三十二回全国教師講習会開講式の砌)


 「ところで、御本尊に向ってお経をあげ、お題目を唱えるという場合に、御老僧の方のなかには目をつぶって気持ちよさそうにお題目を唱えておられる方もおります。これについては私は、それはそれなりに意味があると思うのです。若い時から色々な体験を積んできて、御本尊の前に座ればもうそのことだけで、目をつぶっていようとつぶっていまいと、おのずから事の一念三千の深い御本仏の御慈悲、御智慧等がほうふつとしてその心身に浮かび、そのなかで妙法を唱えておるという方もあると思います。そのような方のことは論外でありまして、目をつぶっていようとつぶっていまいと結構だと思います。

 ところが若い人の場合は、目をつぶっているとその状態が禅宗の座禅に似てくるのです。そして、そこには変なことばかりを考えてしまうこともあるのではないかと思います。故に今、私は総本山の所化・小僧に対して”御本尊をできるだけ目でしっかり拝していくことによって、眼根を通じて我が心、我が命が即、御本尊と一体となるのである。それが一つの修行の大きな功徳を得る姿であるから、なるべくそのようにしなさい”と言うのですけれども、どうもお年寄りの方の姿を見習うせいか、目をつぶり、手をだらんとして、下を向いてお題目を唱えておる者が、つい最近までおりました。しかしこれも、だんだんと少なくなってきております。」P七八

これよりケンカ別れの後の発言

 ☆五四三号

(平成三年三月十八日・法華講支部指導教師指導会の砌)


 「ところが、お題目を唱えているにもかかわらず、前に誓ったことを平気で破る人もおります。考えてみれば、皆さん方も誰だか判るでしょう。約束をしたことは必ずきちんと行う。そしてどんなに不利なことでも、もし自分に間違っていたことがあるならば、正直に言ったらいいではないですか。そしてきれいになって、初めて堂々と前進できるということになるのであります。」P四三

 (平成三年三月二十六日・法華講連合会春季荘登山お目通りの砌)

 「ある団体の長が『嘘も百遍言えば本当になる』と言ったということを聞いたことがありますが、その指導を聞いている人達は、『ああ、それならば都合の悪いところはみんな嘘を言ってごまかしてしまえ』と、嘘を言うことも平気になる。また、わざわざ嘘を嘘でこねあげて、本当のことを全く隠して人の悪口を言い、それで自分達の目的さえ達成すればいいのだというようになってしまう。

 このような考えは、たとえ南無妙法蓮華経の正しい法を持っているとしても、大きな誤りであります。

 ではなぜ、お題目を唱え正しい御本尊を戴いている人達がそのようになるのかと思われるかもしれませんが、指導者が悪ければそのような考え方になり、またそれを受けての指導になってしまうのであります。」P五八

 「御本尊を受持し、お題目さえ唱えていれば、どんなに悪いことをしてもいいし、いくら嘘を言ってもいいのだという考え、また『嘘も百遍言えば本当になる』と言って衆生を導くことは非常に大きな誤りであります。」P五九

☆五六三号

 (平成四年十一月二十九日・大阪布教区御親教)


 「たしかに形だけは御本尊を受持しておるようであり、お題目を唱えてはいても、それは池田大作の濁った考えに基づいた題目ですから、地獄行きの因縁を自分で作っておるということになるのであります。」P七六

☆五六九号

 (平成五年五月三十日・静岡南布教区御親教の砌)


 「その現証は、あの人々の日々夜々の行動のなかに現れておりますが、皆さん方も既に色々と聞かれたことがあるでしょう。お題目を唱え、日蓮正宗の正しい御本尊を持ちながら、どうしてそのような不幸な形が出ておるのかと不思議に思われたことがあると思います。

 その原因を考えてみますと、これはその指導者が邪見・悪見をもってあらゆる悪徳・悪義を行い、常に嘘をつき、そして会員に嘘をつかせておるところに存するのであり、その功徳が根本的に壊れてしまっておるのであります。まことに気の毒な、哀れな人々であると思います。」P八三

☆五七六号

 (平成六年一月六日・末寺住職、寺族初登山)


 「私は色々な用務の関係も考えまして、二時間の唱題を一度にやってしまおうと思いました。つまり、毎朝、七時から九時までの二時間を唱題の時間と定めてはじめたのでありますが、開始から一時間まではそれほど痛痒がありませんけれども、それを越えて二時間目になると、身体にかなりの負担が生じてくるということをあちらこちらで聞きました。率直に言って、私も多少は感じたのであります。

 そこで考えたのですが、この唱題行を二時間連続で行わなければならないという必然性は全くないわけであります。要するに一日に二時間、五千遍の唱題ということでありますから、その人の生活状態に応じて、四回に分けようと三回に分けようと、あるいは二回に分けてもいいわけです。考えるべきことは、唱題の際には合掌の姿勢をとりますが、同じ姿勢が長ければ長くなるほど筋肉が緊張し、それによって疲労してきまして、それが蓄積されると様々な病気を起こすということもないとは言えません。」P六七

☆五八一号

 (平成四年十一月二十八日・北近畿布教区御親教の砌)


 「今日においても衆生が種々に迷う姿があります。なかでも創価学会などは、形は法華経の教えを信じているようであっても、下種三宝という一番基本の意義を無視してしまっているために、地獄・餓鬼・畜生・修羅の根性をむき出しにしておりますが、せっかく知りえた妙法においては、どのような境界にも仏界が具わるということを本当に理解してお題目を唱えれば、あのような状態にはならないのです。おそらく、一往は勉強もしているでしょうし、知識では知っているはずです。けれども、『宗門憎し、日顕憎し』で忘れてしまっているし、また、本当の意味では信じていないのです。

 しかし、それでは大聖人様の教えを受持しているとは言えません。」P三五

☆六一五号

 (平成九年三月二十九日・第四回講頭・副講頭指導会の砌)


 「このお題目の功徳は、普通の考え方とは全く違う御仏智によるのです。ですから、一生懸命に信心ばかりしていると、世法のほうがおろそかになるというように考えておる人は、はっきり言えば、お題目が足りないのです。」P五四

☆六一五号

 (平成九年三月三十日・法華講連合会第三十四回総会の砌)


   「残るところが本門の題目でありますが、心に本門の本尊を念じ、信じて題目を唱えるところが本門の題目であります。全く別な、誤ったものを念じてお題目を唱えても、それは本門の題目にはならないのであります。ところが、創価学会では、池田を心に念じてお題目を唱えるというような指導が行われているやに聞いております。皆さんも聞いたことがあるでしょう。あるいは以前にそのようにやってきた方がこのなかにもいるかも知れません。しかし、このような狂った誤りはありません。

 日寛上人の御指南にもありますように、南無仏、南無法、南無僧という本門下種三宝を念じてお題目を唱えるということが基本であります。」P六四

 「池田大作などという、名聞名利に凝り固まった、大謗法の者を、仏様のように心から信じてお題目を唱えるならば、その人は必ず地獄へ堕ちなければならない。そういう不幸な人達が学会員なのであります。」P六五

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