阿部語録 


第二十二 その他


  イ、二百箇寺御供養

☆四六〇号

 (昭和五十九年五月十九日・全国宗務支院長会議の砌)


 「その内容といたしましては先般、四月一日に創価学会側から聖教新聞紙上で発表がありましたとおり、向こう十年間に末寺二百箇寺を建立・御供養するということであります。こういうふうなことももちろん、その前々から色々と話があり、それが煮詰められて四月一日の発表となった次第なのであります。」P七三

☆四六六号

 (昭和五十九年十月十九日・法光山大護寺落慶入仏法要の砌)


 「先般、創価学会名誉会長・池田法華講総講頭には宗門に対し、二百ヶ寺の寺院を建立寄進の発願をせられました。これはまことに偉大な淨業であります。

 その第一号として本日、この江戸川の地に法光山大護寺を御寄進くださいまして、このことは仏祖三宝尊には深く御嘉賞あそばされ給うところと拝するのでございます。池田先生、まことに有り難うございました。」P四七

☆四六八号

 (昭和五十九年十二月二十一日・久道山顕妙寺落慶入仏法要の砌)


 「まさに今回、創価学会によって再び二百ヶ寺建立の発願をせられたということは、この仏法を末法万年に広宣流布していくところの大願による外護の顕れと存じまして、私は深く敬意を表するものでございます。

 二度と過去のようなことがないように、僧侶においても充分に信徒の立場を理解し、僧俗、真の一致和合を招来して、正法の護持、興隆に邁進するように教えてある次第でございます。」P六二

☆四八四号

 (昭和六十一年・智妙寺落慶入仏法要)


 「しかし、このような状況が出来た時に、さらに寺院を建立して末法万年の広宣流布のために御供養するということは、到底、普通の人ではできうるものではありません。その点、特に法華講総講頭・池田先生ほか創価学会の幹部の方々、また一般会員の方々が、この大聖人様の仏法、そして日蓮正宗をどこまでも護り、広宣流布をしていくこと以外に人類の幸せはないという深い信念においてこのような御供養をしてくださっておるということを、私は有り難く存じておるのであります。まことに深い実相の上からの信解があればこそのことと思うのであります。」P六三

☆四九二号

 (昭和六十一年十二月二十五日・大法山妙乗寺落慶入仏法要の砌)


 「末法においては、正法正義は常に、勝れ、高いが故に世間の邪義邪法の徒から悪口雑言等があり、また世間の低い通念の考え方の上からその正法の本当の意義を知らせることがなかなかに難しいのであります。しかし近年、創価学会のまことに勇猛果敢な大折伏によって日本ないし世界に信徒が多く輩出し、しかも、その信徒の方々のため、正法広宣流布のため、大法を護ってここに二百カ寺の建立が着々と推進をされておるわけでありますが、これは口で言うことはまことにたやすいけれども、実に困難な、また特別な浄業であると思うのであります。その発願主である池田先生の赤誠、そして創価学会信徒皆様の外護の志を仏祖三宝にも深く御嘉納あそばされることと存ずるのでございまして、願わくばこの浄業を元としてさらに正法が日本の隅々にまで光被し、多くの衆生の真の幸せを確立していくことができるようにお互いに考えていくことが大切と思うのでございます。」P八三

ロ、寄付・御供養(六壺・客殿)

☆四九二号

 (昭和六十二年一月六日・末寺住職・寺族初登山の砌)


 「しかし、これは総本山で行うということにいたしておりますから、宗門人として寄付を集めるというようなことはありません。しかし皆さん方で、極端に言えば百円でも千円でも、六壷が出来るから御供養したいという気持ちのある方は遠慮なく総本山内事部のほうへ申し出ていただいて結構であります。それを受けないということではありません。そうかといって、なにもたくさん御供養してほしいということを言っているのではありませんから、誤解しないようにしてください。応分の真心をもって御供養したいという方は、それは結構だということを申し上げておるのであります。

 しかし、これはかなりの額になります。六壷のみでなく、周りの工事から色々と関連工事がありますので、大坊の六壷とその周辺の工事でもって相当の額になりますけれども、とにかく基本としては総本山で一切行うというふうに考えておる次第であります。」P六二

☆五三三号

 (平成二年五月二十三日・大妙寺本堂新築落慶法要の砌)


 「これはおそらく参詣の信徒の人達がどこに座っても御本尊様を拝せるようにという、住職が信心の上から非常に細やかな心遣いをもってこのようにしたのではないかと思ったのであります。

 私もそのような配慮をもって先般、総本山の六壷を建立いたしました。」P六一

これよりケンカ別れの後の発言

☆五六八号

 (平成五年四月二十一日・全国宗務支院長会議の砌)


 「それを、『大きなものを造って、果たして必要があるのか』とか『それらの建設費用が自分達の負担になるのではないか』というようなことがささやかれておるようでありますが、そのような論議は必要ありません。

 例えば、もしも宗内の皆さん方に、建設費を全額、あるいは一部分をお願いするとするならば、この計画の一番最初に適当な方法をもって御相談をしたはずであります。また、あらかじめ、皆の同意をえるようにしたでありましょう。けれども、これは総本山だけでお造りさせていただくという考え方でありましたから、それについての費用等の件は皆さん方に御相談いたしませんでした。また、これからもするつもりはありません。」P七〇

☆五八二号

 (平成六年七月二十四日・地涌六万大総会の砌)


 「この広布坊の建設費用は、当初の計画では一般の本宗僧俗からの寄付・供養を一切募集せず、総本山において支出する予定でありました。しかるに、先般の六万塔建立に対する僧俗の、特に法華講皆様の心からの御供養金によって、この広布坊の建設費用に至るまで、そのほとんどを充当することができました。ということは、この広布坊は総本山の発意により、そして全国法華講の皆様の広布への熱誠によって建設されたのであり、その功徳と意義はこの六万総登山と相まって、万代に輝く地涌法華講衆の護法の金字塔であると信ずるものであります。」P五七

☆六〇三号

 (平成八年四月六日・虫払大法会に参詣の海外信徒お目通りの砌)


 「さて、明日、客殿の起工式が執り行われることになっております。これは、皆さんも御存じかと思いますが、昨年の一月十七日に兵庫県の神戸市という所を中心に大地震が襲い、大変な被害をもたらしました。その前日、前々日、創価学会において、あの辺一帯に『ニセ本尊』を配布していたことが判っておりますが、このような大謗法の因縁によって、実に修羅の様相とも言えるような悲惨な状況でありました。

 この神戸の震災を契機として、また、この東海地方に大地震が起こるということが以前から言われていることもあり、総本山内の諸堂宇の安全性等を調査した結果、種々の状況を鑑みて、今回、客殿を新築をすることにいたしました。」P八二

ハ、二十六箇条

☆五三九号

 (平成二年十二月十四日・日顕上人お誕生祝賀会の砌)


 「そういうところは日興上人様が、いくら大勢の大衆の意見であっても間違ったことをしたときには、貫主すなわち法主がこれを挫くべきである、また法主が間違っているところは、その法主の間違ったことに対して大衆はしたがってはならないという御指南があるとおりです。従ってはならないということは、消極的ではあるけれども一つの反抗をするわけですから、その反抗の姿を見て、私なら私の立場において、自分が間違っていたように思うこともあると思います。

 ですから要するに、正理をもって先として、あくまで仏法を護持し、立てていくということが日蓮正宗の僧侶および寺族の大事なことだと思います。」P一〇二

これよりケンカ別れの後の発言

☆五五七号

 (平成四年五月二十八日・全国教師・寺族指導会の砌)


 「その上から拝していくならば、日興上人様が『遺誡置文』に、

 『時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用うべからざる事』

ということをお示しでありますが、この御遺誡はまことに一切をお考えになっておる、正しく勝れたお言葉と思うのであります。もしも私が間違ったことを言い出したならば、皆さん方はそれを用いてはいけないのであります。これは大聖人様、日興上人様の御指南であります。

 しかしながら、『用うべからざる事』とあるのであって、直ちに法主の立場にある者に対して反逆し、悪口をいい、謗るということではないのです。この『用うべからざる事』とは、あくまで受動的な意味でありまして、そこに法華経の本義、すなわち大聖人様から日興上人、日目上人と付嘱されておる意義が存するわけであります。

 したがって、次の文において、

 『衆義たりと雖も仏法に相違あらば貫首之を摧くべき事』

とあるのです。今度は『用うべからざる事』ではなく、『摧くべき事』とあるのです。つまり、私の責任は誤りを摧くというところにあるのです。ですから、今般、創価学会の誤りをはっきりと摧くべきであるということを確信いたしましたので、ある時から決意をして、今日の経過に至っておるのであります。」P五七

ニ、御影

☆四四三号

 (昭和五十七年十一月二十七日・富士学林研究科閉講式の砌)


 「御本尊の前に御影様を御安置すれば御影様のお身体で十界互具の大曼荼羅がよく拝せないという場合が出てまいります。そういう点で信心の強い御信者が、むろん御影様も有り難いけれどもきちんと御本尊を拝したいという意味で、そのようなかたちで御本尊を拝したいというような希望を過去において聞いたこともあります。」P六九

 「ただし、今でもいくつかの寺院においては御堂式の奉安形式が残っておりますが、この場合はなるべく将来、その本堂改築等の時に当たって、さらに日興上人の御影様をお造り申し上げて左右に御安置するか、あるいは御本尊一体の奉安形式としてその大聖人の御影様は総本山へ収めるかのかたちにすればよいと思います。」P七〇

ホ、総講頭

☆四五六号

 (昭和五十九年一月四日・法華講連合会初登山)


 「そこで最も大切なことは、今まで法華講の組織のなかにおいて総講頭という重要な役職が欠けておりましたので、本年のこの新しい発足の時に当たりまして、創価学会の池田名誉会長を本年の一月二日に、法華講総講頭として任命いたしました。この総講頭という職は、さきほども申しましたように法華講連合会あるいは創価学会、そのすべてを一丸とした日蓮正宗の法華講信徒という立場の、すべての束ねといたしましての重要な役目でありますが、そこに改めて法華講総講頭の役職を任命いたしまして、これからの宗門の様々な前進の事態に備えることにいたした次第でございます。」P一九

 (昭和五十九年一月六日・全国末寺住職・寺族初登山の砌)

 「そこで、この時を考えて私は、総講頭を任命することを決意いたしまして、一月二日に池田創価学会名誉会長を宗門の法華講総講頭として任命をした次第であります。

 これには、過去からの色々ないきさつもありましたけれども、これからの新しい、一切を築いていく宗門のなかで、信徒の立場においてやはり一番の束ねである総講頭がくうせきであるということはいささかどうかとも思われる意味がありますので、その点を考えて、その処置をいたした次第でございます。」 P二三

これよりケンカ別れの後の発言

☆六〇四号

 (平成八年四月十六日・正蓮寺震災復興落慶入仏法要ならびに兵庫布教区御親教の砌)


 「それまでは池田大作が総講頭になっておりましたけれども、任期は定められておりませんでした。つまり、総講頭に任命されたならば、一生、総講頭なのです。悪心をもって宗門を支配せんとする人間が死ぬまで信徒の代表である総講頭という立場にあるなどということでは将来にわたって困りますし、信徒の役職において任期がないということもおかしいことです。ほかの役職は全部、任期が定められているのに、総講頭だけ定められていなかったのです。これは将来からその不備が指摘されていた点でありました。そこで、総講頭の任期を五年とし、大講頭については二年であった任期を三年に改正いたしました。この規則は今日も当然、生きております。」P五三

ヘ、難

☆五三二号

 (平成二年四月二十日・涌徳山興本寺落慶入仏法要)


 「今日、創価学会の方々の大折伏によって妙法が弘まっておりますが、ここに至るまでにはその方々に大きな難がたくさんあったことと思います。また現在でも種々の難が、特に総講頭・池田先生に対し、またその他の方々に対していわれなき中傷・誹謗等が常に充満しております。世間では非常に悪いことをしておる者がたくさんいるにもかかわらず、その者達のことは何も言わない。そしてむしろ妙法を受持し信仰している者に対して色々と悪口雑言を言うところが、この妙法を鏡として起こるところの煩悩の姿であります。そしてまた、むしろそれによって真の正法が一切衆生の心のなかに下種されていくということを考えるものでございます。」P八三

 

☆四五二号

 (昭和五十八年八月二十九日・第三十二回全国教師講習会開講式の砌)


 「ところで、御本尊に向ってお経をあげ、お題目を唱えるという場合に、御老僧の方のなかには目をつぶって気持ちよさそうにお題目を唱えておられる方もおります。これについては私は、それはそれなりに意味があると思うのです。若い時から色々な体験を積んできて、御本尊の前に座ればもうそのことだけで、目をつぶっていようとつぶっていまいと、おのずから事の一念三千の深い御本仏の御慈悲、御智慧等がほうふつとしてその心身に浮かび、そのなかで妙法を唱えておるという方もあると思います。そのような方のことは論外でありまして、目をつぶっていようとつぶっていまいと結構だと思います。

 ところが若い人の場合は、目をつぶっているとその状態が禅宗の座禅に似てくるのです。そして、そこには変なことばかりを考えてしまうこともあるのではないかと思います。故に今、私は総本山の所化・小僧に対して”御本尊をできるだけ目でしっかり拝していくことによって、眼根を通じて我が心、我が命が即、御本尊と一体となるのである。それが一つの修行の大きな功徳を得る姿であるから、なるべくそのようにしなさい”と言うのですけれども、どうもお年寄りの方の姿を見習うせいか、目をつぶり、手をだらんとして、下を向いてお題目を唱えておる者が、つい最近までおりました。しかしこれも、だんだんと少なくなってきております。」P七八

☆四六一号

 (昭和五十九年五月九日・法清寺落慶入仏法要)


 「日達上人のお考えとしては、将来、当職を退かれて隠居をされたときに、隠居後に住む所としてこの寺院を建立しておきたい、というようなお考えがあったようでございます。実は私は直接、そのことは承らなかったのでありますけれども、その後の、総本山における色々なちょっとした書き物やらその他、お弟子方からのお話をうかがいますと、そういうお考えであったようでございますが、昭和五十四年七月二十二日の突然の御遷化によりまして、その寺院の建立が御生前中に見ることはできなかったのでございます。」P五一

☆四八三号

 (昭和六十一年三月二十八日・総本山大坊在勤式の砌)


 「丁度この位置からは所化・小僧達の御本尊に向っての礼拝の姿がまことによく判ります。そこで、色々と正しい姿でなく、常に体を動かしたり、脇見をしたり、あるいは居眠りをしたり、その他、真剣に行っていない者に対しては常に私が注意をしてきました。これからもそのようにしていくつもりであります。」P七〇

☆四八六号

 (昭和六十一年六月二十六日・富士学林研究科開講式)


 「以前、宗門に色々と問題が起こった時に、いわゆる現在、正信会とか称するような者達があらゆることから創価学会や公明党の悪口を言い、その面から様々な批判・攻撃を行ったことがありました。それらのものを見てみると、仏法という次元と世法の政治という立場とを、場合によっては全く無視したり、場合によってはまた一緒にして、一往の仏法の見方から政治の一々の在り方について色々と悪口を言っておるというような形があったように思うのであります。

 やはり政治という立場は仏法そのものの立場と同一ではありません。けれども今、我々が公明党について考えるときに、日蓮正宗の信徒として大聖人様の仏法を日夜に受持信行する多くの人々の手によって立候補者が出、そして当選をして国政に参加しておるのであります。その根本には大聖人様の仏法の信心をもって、信徒として大聖人様の大慈悲の、また正しい仏法の精神を一番根底に置いて一切の民衆の真の幸せを図っていこうということであると私は思いますが、そうであるならば公明党の働きというものは、我々僧侶の立場からも大いにそれを理解していかなければならないと思うのであります。」P四一

これよりケンカ別れの後の発言

☆五四九号

 (平成三年五月十日・妙盛寺新築落慶入仏法要の砌)


 「だから法華経が本当に正しい教えであるという所以は、常に変わらないところにあるのです。どんなに昔でも、それからある時代でも、現在でも、また未来でも、永久に変わらないところが大真理です。ところが、今は成仏できるけれども、来年になったら駄目なのだというのでは、とても正しい教えとは言えないのです。正しい教法というものは全く変わってはいけないのです。それが基本的な教えの内容であります。だから絶対安心して信頼してください。」P二九

☆五五四号

 (平成四年三月五日・平成三年度富士学林大学科卒業式の砌)


 「たしかに他門のあるゆる大学、例えば禅宗設立の大学、あるいは真言宗の大学、あるいは浄土宗、真宗等の仏教大学等があり、そこには博士号も取っておる、現在の仏教界を代表するような仏教学者達がおりますけれども、その人達のやっておること、考えておることは仏教のほんの一分に過ぎないのであります。

 しかも、新たな研究ということで、大乗非仏説や仏教聖典の成立史等が様々な考え方や角度から喧伝されておるけれども、その仏教学者達の考えや研究には、直ちに多くの人々を正しい幸福の真善の境涯に導こうとする力は全くないのである。ただ、象牙の塔のなかで一分の仏教の考え方、在り方を論じているに過ぎないのである。」P八一

☆五六〇号

 (平成四年八月二十八日・全国教師指導会の砌)


 「先程から私のことが色々と取り沙汰されておりますが、私としては言葉もないという始末であります。

 つまり、一切がなんにも知らないことなのです。ただ、私としては、当時、約三十年まえに、スケジュールに従って御授戒をして歩いたというだけに過ぎないのです。だから、ホテルから出たとか、出ないとか言われても、そのホテルから出た覚えがないのですから、しようがありません。

 したがって、ヒロエ・クロウが証言したといわれるような内容について、そういうことを行っていないということは当然であり、そうに決まっておりますけれども、その時から未来においてそういうことを言われるなどとは考えたこともないわけです。」P六四

☆五六一号

 (平成四年八月二十八日・全国教師講習会)


 「あの四代会長の北条浩は、三座の観念において、日目上人までの観念しかしていなかったというようなことを聞いたことがあります。つまり、日道上人以下の御歴代に対しては御報恩を申し上げる必要はないとして、わざわざ省いておったというのです。このような狂った邪見の信心の在り方を、昔から創価学会では行っていたということでありますが、表向きの態度に私もずっとだまされておりました。

 私は、大聖人様の教えを信じている者は、その教えの上からも、常に正直たらんとしていると信じておりました。しかし、やはり彼等には根本的に信心がなかったということであると思います。

 このなかにも、昔、創価学会首脳の策謀を見抜いて立ち上がった方々がおりますが、私はその方々に対し、ここで改めて敬意を表するものであります。

 しかし、私がこのように申しますと、『だからあの時にこうしていれば・・・』と思われる人もいるかも知れませんが、やはり、『時』ということを考えていただきたいと思います。色々な時、種々の事情、因縁の姿があるのであります。

 終戦後、私は寺院において法華講を作って広布への御奉公を志しました。しかし、当時はまさに創価学会の興隆期で、色々な意味でぶつかったのです。ぶつかりぶつかり、ぶつかった上で、『これからの宗門においては創価学会を外して考えるべきではない』と言われ、そこで私は、寺院における僧俗和合という、自分の広布推進の考えは一時、見合わせ、創価学会が広宣流布の団体なんだ、僧侶として学会の発展のためにできる限りの援助をしなければならないというところに到達したのであります。」P五八

☆五六一号

 (平成四年八月二十八日・全国教師講習会)


 「昭和四十年には、いわゆる『妙光寺事件』がありました。このなかにもあの時にその場にいた人が何人かおりますが、私も正本堂建設委員会の委員の一人としてその場におりました。とにかく、その理由は猊下より席が下であったとか、出されたメロンが小さかったとか色々とあったようでありますが、池田大作が当時、総監をしておられた大東院さんに対して、実にひどく怒鳴りつけたのです。二時間近く怒鳴っていたと思いますが、本当に修羅というか何というか、何を怒鳴っているのかよく解らないのだけれども、ありとあらゆる宗門に対する怒りを爆発させて、次から次へと文句が出てくるのです。

 やはり、当時は、広布の進展の相を深く鑑み、宗門全体が創価学会の横暴に対して忍辱の衣を着て、教導せんとしていた姿があるのであります。」P六二

☆五七二号

 (平成五年八月二十六日・全国教師指導会の砌)


 「たしかに創価学会は、正法の弘通において色々と貢献する形がありましたし、基本的な意味で一番根本のところに従い奉る意味があれば、これは許せるのです。したがって、その後においてたとえ色々な意見の相違があっても、話し合いの上でそれが整合できると思います。

 ところが、根源のところで信心が狂い、自分中心ということになってしまったならば、これはもう全部が濁ってきます。そこにおいて、法脈をどこまでも正しく持ち、真の正法護持と広布を進めるためには、どうしても自浄作用の形が出てくるのであります。

 今までに何度もお話しいたしましたように、今度の学会問題もけっしてこちらから仕掛けたのではない。みんな向こうから仕掛けてきたのです。その仕掛けられた形のなかにおいて、筋道、立て分けをよく考えながら、きちんと処理をしてきたということなのです。しかもそれは、時が来て、総本山開創七百年という不思議な時に巡り値い、さらに、その他の因縁も相まって、そこに自浄作用がおのずと現れてきた姿なのです。したがって、それは何も学会との対立でもなければ、喧嘩をしているのでもありません。」 P七一

 「また、最近、『写真偽造事件』に関して裁判を起こしましたが、これについて、『世法に訴える必要があるのか』という見方もあるかも知れません。しかし、私はけっして世法に解決を依存するつもりはないのです。

 つまり、私個人の問題だけであるならば、どんなに悪口を言われようと、私自身がそれを忍んでおれば済むわけですから、世法に訴えるつもりは全くありませんでした。しかし、日蓮正宗の管長たる私が、すなわち法脈を戴く者が、全く歪められた偽造と悪宣伝の形で社会に広まり、何も知らない学会員の多くの人達がそれを盲目的に信じている姿がありますので、解る、解らないは別として、きちんとけじめをつける必要はあります。

 その方法論において、今日は法治国家のなかでの裁判という手段もありますから、一往、世法の形を利用してきちんとけじめをつけるということであります。だから、あくまで精神は仏法の正義を顕すことにあります。」P七二

  ☆五七六号

 (平成六年一月六日・末寺住職、寺族初登山)


 「私は色々な用務の関係も考えまして、二時間の唱題を一度にやってしまおうと思いました。つまり、毎朝、七時から九時までの二時間を唱題の時間と定めてはじめたのでありますが、開始から一時間まではそれほど痛痒がありませんけれども、それを越えて二時間目になると、身体にかなりの負担が生じてくるということをあちらこちらで聞きました。率直に言って、私も多少は感じたのであります。

 そこで考えたのですが、この唱題行を二時間連続で行わなければならないという必然性は全くないわけであります。要するに一日に二時間、五千遍の唱題ということでありますから、その人の生活状態に応じて、四回に分けようと三回に分けようと、あるいは二回に分けてもいいわけです。考えるべきことは、唱題の際には合掌の姿勢をとりますが、同じ姿勢が長ければ長くなるほど筋肉が緊張し、それによって疲労してきまして、それが蓄積されると様々な病気を起こすということもないとは言えません。」P六七

☆五七七号

 (平成六年一月十日・末寺在勤教師初登山)


 「もう既にその以前、昭和五十四年の時に、日達上人からお許しを頂きながらも、肚の底では池田大作は、『今まではあまりにも正直に言い過ぎた。今度は絶対に揚げ足を取られないようにする』と決意し、水面下では自分達の野望をどこまでも広げながら、結局は宗門を自分達の手によって操っていくのだというようなことを言っていたのであります。

 しかしながら、私は、一つには日達上人が最後にお許しになって彼等の将来を戒められたこともあり、なんとかこの者達を善導したいと思ってきたのです。しかし、一番根本にある彼等の邪悪な心は改めさせることができませんでした。」P五六

☆五七九号

 (平成六年四月六日・虫払い大法会に参詣の海外信徒お目通り)


 「私は今年で七十一歳になりますが、本当に心から言えることは、凡夫でありましたから、また現在も凡夫ですから、色々な意味で過去において間違いがありました。

 私は、創価学会が宗教法人を取得するという時に、弱冠二十何歳でしたけれども、『これは違います』と、時の宗務院の人に言ったのであります。しかし、それは聞かれませんでした。

 その後、戸田城聖氏と会って二時間、酒を酌み交わしながら話をしたことがありました。その時に戸田城聖氏より、これから命がけで広宣流布をするということを聞いて、それまでは嫌っていた創価学会を、自分の心を打ち破りながら無理に好きになろうとし、そして本当に好きになっていったのであります。すなわち、『戸田城聖氏のもとにおける創価学会は、本当の広宣流布の団体である』というように思っていきました。

 そのうちに第三代会長・池田大作の時代になりましたが、私はその気持ちでずっと来ましたので、実を言うと池田大作の根本的な悪い心を見抜けなかったのです。

 顧みれば、私が教学部長時代、十八,九年前のことですが、京都の平安寺の住職をしておりました時に自称正信会へ行ってしまった元僧侶が来まして、『池田大作は間違っている。池田大作の気持ちのなかには、池田本仏という考えがある。すなわち、大聖人の教えを蔑ろにして、自分が中心だという考えを持っている』ということを言ってきました。けれども、私は、『それは違う。これだけ一生懸命にやっているのだから、そんなことはない』と言って追い返したことがありました。しかし、その者の言うことは結局、本当だったのです。

 このことについて考えるとき、既に池田大作は根本的に間違っていたのですが、そのことを見抜けなかったということにおいて、私は今、一往、反省しております。」P八六

☆五八三号

 (平成六年七月二十三日・全国教師指導会の砌)


 「いつも申し上げているとおり、平成二年の暮れに処置をした時に、既に仏法の上においてはっきり勝っておるのです。それを、今ごろになって秋谷が勝利宣言をしたというけれども、とんでもないことです。平成二年の時に、仏法の上において宗門は創価学会・池田大作に対して完全に勝利をしておるのであります。」P四二

☆五八五号

 (平成六年八月二十四日・第四十三回全国教師講習会の砌)


 「結局、摧尊入卑なのです。ですから、創価学会の人達に対して、『あなた方の仏法は摧尊入卑です』ときちんと指摘していただきたい。池田大作がこの摧尊入卑の元凶なのです。創価学会の者達と話すときにはこれをきちんと言ってもらいたい。謗法の者に対しては徹底して破折しなければいけません。

 それを、宗教家として人格を疑われるというような考えから、尊称を付けて池田大作を呼ぶ人がいるようですが、正邪をはっきりと峻別する上からは呼び捨てでいいのです。

 『池田大作はこのような誤りを言っているが、これは摧尊入卑なのです』と堂々と破折するべきなのです。」P四二

☆六〇七号  (平成五年五月二十三日・中部布教区御親教の砌)

 「あれは昭和六十一年のことですが、阿部法胤師と椎名法宣師の古希の祝いで招待を受け、それで行ったに過ぎないのです。ただ、招待を受けたからその席に出て、終ったから帰ってきたということで、言うなれば無作のつもりだったのです。

 ところが、それを、先程の『好んで我等が過を出ださん』という教旨と同様、強いて過を見つけようとしたのが、創価学会による『写真偽造事件』であります。」P二〇

☆六〇八号

 (平成五年五月三十日・静岡南布教区御親教の砌)


 「例えば私の財布を見たならば、ドル札が、蛇が蛙を呑んだようにいっぱい詰まっていたというようなことも言っておるようですが、あの時に私が日本から持っていったのは、たった四百五十ドルだったのです。あるいはまた、私はたしかにシアトルに泊まりましたが、私は英語ができませんので、ノコノコ外に出ていったとしても、売春婦がどこにいるのかなど、判るはずもありません。仮にそこにいたとしても、言葉がしゃべれないのですから意志は通じませんし、そもそも、そういう考えは全くなかったのですから・・・。ともかく、印刷されたものでもインチキなものを信ずるのは誤りであります。」P33

☆六一五号

 (平成九年四月六日・霊宝虫払大法会の砌)


 「池田大作は、口に『大聖人直結』などと言いつつ、大聖人の終始の大難と乏少忍受、少欲知足の御生涯に対し、ありとあらゆる贅沢三昧の上に、さらに人間として最も恥づべき行いがあったとして、目下、その屈辱を受けた方より、司法の裁断を訴えられている始末であります。これではとても『大聖人直結』などと言えたものではなく、地獄、餓鬼相当の一闡提にこそ直結している、と断ずるものであります。」P四〇

☆六一五号

 (平成九年三月二十九日・第四回講頭・副講頭指導会の砌)


 「このお題目の功徳は、普通の考え方とは全く違う御仏智によるのです。ですから、一生懸命に信心ばかりしていると、世法のほうがおろそかになるというように考えておる人は、はっきり言えば、お題目が足りないのです。」P五四

☆六一五号

 (平成九年三月三十日・法華講連合会第三十四回総会の砌)


   「日達上人は、お亡くなりになる年の昭和五十四年五月三日、創価学会の謗法を戒められて、今後は一切、宗門に付き従って法を護り、広布に向うという約束のもとに創価学会を許されたのであります。

 その三ヶ月後に、生前のお約束によりまして、私が跡をお受けするような形になりました。故に、私といたしましては、あくまで御先師の決められた約束と在り方を忠実にお受けして、法を護持していくことが大切であったのであります。

 したがって、その時においては、創価学会においても志を新たにして宗門に付き従うということを言っておりましたし、また、御先師の御指南もそのとおりでありましたから、私としては創価学会を守り、正しく指導していきたいという気持ちをもって、昭和五十四年の八月以降、行ってまいりました。

 その時に、その在り方に反乱をして逆らったのが、いわゆる自称正信会の者達でありました。これは、一言もって言うならば、

 『仏法は時によるべし』

ということであります。」P六一

☆六一五号

 (平成九年三月三十日・法華講連合会第三十四回総会の砌)


   「ですから、しばらくの間は、創価学会、池田大作等を正しく導かんがために心を砕いてまいりました。しかし、本来、その本性・本音が謗法の姿として持っておる者どもでありましたので、結局、池田中心、創価学会中心といところに仏法の本義を乱してしまったのであります。そういうところから、様々な現証が起こってきた関係上、平成二年以来、その問題に対して、宗門はきちんとしたけじめを立て分けてきた次第であります。

 ですから、正信会の者どもが独走し、御先師が決められた轍を乱して創価学会を打ち破ろうとした姿は、まさしく時と機を知らなかった姿であります。彼等は、『自分達がやったから、日蓮正宗もまた、それをまねしたのだ』というようなことを言っております。しかし、それは大きな誤りであります。これは時に随って初めて、真実の正法正義とともに、真の破折の姿が顕れてくるのであります。

 今、宗門がここに僧俗一致して正法広布を目指しつつ、邪義・池田創価学会を破折するに至ったことこそ、本当の時を得たところの姿であります。したがって、今こそ創価学会の謗法を徹底的に破折していくべき時であります。」P六二

 「残るところが本門の題目でありますが、心に本門の本尊を念じ、信じて題目を唱えるところが本門の題目であります。全く別な、誤ったものを念じてお題目を唱えても、それは本門の題目にはならないのであります。ところが、創価学会では、池田を心に念じてお題目を唱えるというような指導が行われているやに聞いております。皆さんも聞いたことがあるでしょう。あるいは以前にそのようにやってきた方がこのなかにもいるかも知れません。しかし、このような狂った誤りはありません。

 日寛上人の御指南にもありますように、南無仏、南無法、南無僧という本門下種三宝を念じてお題目を唱えるということが基本であります。」P六四

☆六一五号

 (平成九年三月三十日・法華講連合会第三十四回総会の砌)
 

 「池田大作などという、名聞名利に凝り固まった、大謗法の者を、仏様のように心から信じてお題目を唱えるならば、その人は必ず地獄へ堕ちなければならない。そういう不幸な人達が学会員なのであります。」P六五

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