阿部語録 


三 反省・懺悔


  ☆四〇九号

 (昭和五十五年一月二十六日・第四回全国檀徒総会)


 「しかし私は『現在、創価学会がその基本・原点において、今までの弊害を相当程度に既に自覚・反省している』との心証を持っております。また事実問題として、反省のための一般向き学習会も行っています。その悪い面を学会自身が深く自覚し、反省し、矯正しきっていくならば、私はこの団体の折伏力・指導力・組織力は、大聖人の仏法の更にこれからの広宣流布のため、現在及び未来においても有意義であると信ずるのであります。」P四五

☆四一一号

 (昭和五十五年四月六日・御代替法要)


 「これらの一切を鑑み、当時の責任者であった池田名誉会長は、特に今月二日の聖教新聞に『恩師の二十三回忌に思う』と題する所感を投じ、過去の種々の面を総合的に含み、且つ要点を括って根本的な反省を致されております。私はこれをまことに誠意と勇気に充ちた、また深い信心を根本とする仏祖三宝への懺悔と受けとめるものであります。

 大聖人の御書の精神に照すとき、一時の誤りはあっても懺悔があればその罪が消えることは明らかであり、まして現に正法を受持信行する人達に根本的な謗法はありえないのであります。正法広布の大実績を持つ唯一の信徒団体である創価学会の逸脱は、それを改めなければ謗法に帰する意味はあっても、既に改めんと決意し、行いつつある以上、現在において謗法をあげつらう事は大きな誤りであります。」P一五

 「思うに創価学会のあくまで御本尊を中心根本とする信心や体験、組織等のあり方、そして池田名誉会長の過去における七八〇万世帯までの未曽有の折伏を果された指導性、平和文化に関する世界的な実績等を考えるとき、将来の世界に渉る広宣流布の為、大いに必要な団体であり、人物であると私は信ずるのであります。」P一六

☆四一七号

 (昭和五十五年十一月三日・「宗内檀徒の皆さんへ」)


 「前者のように正宗の外にある人、または、いったん入信しても退転し、御本尊や大聖人を誹謗するようになった場合を大謗法といいます。これに対して、正しい信心をしているうえにおける僑慢、計我等の謗法は、中あるいは小謗法というべきものであり、僧俗ともに犯しやすいのであります。

 この意味から、三大秘法の御本尊を受持信行している以上、大謗法はないといえます。しかも、『大逆なれども懺悔すれば罪消えぬ』との仰せがあるように、たとえどのような謗法を犯したとしても、心からそれを改悔し、戒壇の御本尊を根本に仏道修行に励むならば、罪は次第に消えるのであります。この両意から考えて、学会の場合、過去において大謗法があったとすることも間違いであります。まして現在においても大謗法であるとすることはたいへんな間違いであり、そのような考えは、大聖人、大御本尊に背くものといわなくてはなりません。」P六九

 「この点、学会は池田前会長をはじめ最高幹部は率直に誤りを認め、その是正を誓っています。すなわち五十三年十一月七日には

 『これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗内をお騒がせし、また、その収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽くせなかったことは、総講頭の立場にある身として、この席で、深くおわびいたします』(池田会長)」P七二

 「今年に入ってからも、池田名誉会長は四月二日、機関紙上において過去のいろいろな面を総合的に含み、要点をくくって根本的な反省をしております。これは深い信心のうえから発した仏祖三宝への懺悔と思われます。」P七三

 「なかでも御本尊模刻の件は、二年前の五十三年十月、すべての経緯を見きわめられたうえで御本尊に関する一切の大権を所持される御法主のお立場から、日達上人が処置を完了し、今後このことについてとかくの論議は無用と決断済みであります。今もって蒸し返して謗法論議をすることは逆に日達上人の御意に背く謗法といわなくてはなりません。」P七三

 「過去に謗法があっても、それを指摘されて素直に改め、信伏随従して御奉公を誓う者は謗法の罪が消滅していくので罰する必要はありません。しかし宗務院が、大聖人の御書の精神に則り何度注意しても改めることなく反抗し、我意我見をもって、止められた行為を敢えて行うのは、逆に謗法を犯す者であり秩序統制上からもやむを得ず処分するのは当然といえます。」P七四

☆四一八号

 (昭和五十五年十一月三日・第五回衆象会の砌)


「御本尊を受持して信心している人においては、絶対に大謗法はありません。ただし、”中”や”小”というような形の謗法は当然ありますし、過去において、創価学会がそれを犯したことも事実であります。しかし、今は全く反省されています。」P五一

これよりケンカ別れの後の発言

☆五四〇号

(平成三年一月六日・全国教師指導会)


 「けれども、この問題に関して池田名誉会長は、昭和四十三年の正本堂着工大法要の時に『三大秘法抄』の文を引き、

 『この法華本門の戒壇たる正本堂』とはっきり言っております。すなわちこれは『三大秘法抄』の戒壇がそのまま正本堂であるということを言ったのであります。そのほかの所においても、ほぼそれと同じような意味において述べております。先程申しました、信徒一切を含めての宗門の公式発表である『正本堂は現時における事の戒壇』という意味と非常に違っておるのであります。」P六三

 「『正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』という決定の前に、『おれは偉いから、これはこうなのだ』というようなことを、ある一人の信徒の方が確定してしまい、発言してしまったということは、言い過ぎでありますから、これははっきりと反省しなければならない。また、訂正しなければならないと思います。

 ところが、今日に至るまで、本人がそれに対する反省も、また訂正も全然ありません。我々は、『自分はこれだけの立場(正本堂建立発願者)にあるのだから、大聖人の仏法はこうだ』と言い切るというようなことは、やはり仏法上、心して考えなければならない問題だと思うのであります。」P六四

strong>☆五五〇号

 (平成三年十一月七日・創価学会解散勧告書)

 「以上、創価学会は、現在、日蓮正宗の仏法の本義と、宗教法人設立時の三原則と、昭和五十二年路線への反省・誓約に、ことごとく違背しているのであります。  あまつさえ、昨年十一月十六日の第三十五回本部幹部会における、池田氏の、

 『五十周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から。馬鹿にされ、そいでその上北条さんが「もう、お先まっ暗ですね。」「何を言うか、六十周年を見ろ。もう絢爛たる最高の実が、六十周年が来るから元気だせ。」会長だから、これがよ。私は名誉会長だ。「そうでしょうか。」馬鹿か。』

 との発言は、『恩師の二十三回忌に思う』等で見せた昭和五十二年路線への真摯な反省と、再び宗教法人設立時の三原則を遵守するとの堅い誓いが、まさに宗門を欺く偽りの言辞であったことを露呈しているのであります。」P九四

☆五五〇号

 (平成三年十一月二十八日・創価学会破門通告書)


 「しかも、池田氏は、過去にも、あろうことか何体もの板御本尊を、勝手に模刻するという大罪を犯しております。」P九九

 「最近における創価学会の宗門に対する攻撃は、まさに『山崎・八尋文書』『北条文書』等の、『宗門支配か、しからずば独立か』との野望を、そのまま密かに懐き続け、機会を窺っていたことを示すものであり、昭和五十二年路線の反省が、まさしく欺瞞であったことを証する、無慚無愧の著しい背信行為と言わなければなりません。」P一一〇

☆六一五号

 (平成九年四月六日・霊宝虫払大法会の砌)


 「しかるに、かの池田創価学会は、その首領・池田大作が、信心弱く、増上慢に陥って、大聖人の仏法の根幹たる三大秘法を我意によって誤るとともに、『一心欲見仏 不自惜身命』の本義を弁えず、世間の批判に対し私利私欲による安易な道を常に模索したため、正本堂の意義付けなどに対しても、根本的に狂うに至りました。

 すなわち、正本堂の着工法要の時、『三大秘法抄』の戒壇の文を挙げて、

 『この法華本門の戒壇たる正本堂』(大日蓮二七三号)

と言い、あたかも広宣流布の達成という、大それた我見の意味を述べたにもかかわらず、本人自身、今もって一言も反省懺悔がありません。

 さらに、これに関連してその後も長きにわたって、くどくどと述べた『広布第二章」なる仏法違背の邪義も、自らの名聞名利と安易な我見により、大聖人の厳格な下種仏法の構格、すなわち、謗法厳戒、折伏為正の道を、日本国内において安易な摂受に切り換えて流布の順序次第を狂わしたのであり、大迷見であります。」P三九

 「池田大作は、口に『大聖人直結』などと言いつつ、大聖人の終始の大難と乏少忍受、少欲知足の御生涯に対し、ありとあらゆる贅沢三昧の上に、さらに人間として最も恥づべき行いがあったとして、目下、その屈辱を受けた方より、司法の裁断を訴えられている始末であります。これではとても『大聖人直結』などと言えたものではなく、地獄、餓鬼相当の一闡提にこそ直結している、と断ずるものであります。」P四〇

☆六一五号

 (平成九年三月二十九日・第四回講頭・副講頭指導会の砌)


 「池田大作は、正本堂の着工法要において『三大秘法抄』の文を挙げて、『この法華本門の戒壇たる正本堂』と言明しております。これは、慢心と我見により、自分が広宣流布を達成したことにしたいがために、御本仏の御遺命をないがしろにする大謗法であり、ここに根本的な誤りが存していたのです。

 ところが、このような大謗法を犯しておきながら、自分自身は少しの反省も見せず、あとになって幹部の和泉などという者に、体裁を繕うような形でその発言を訂正させているのです。日蓮正宗の信徒でありながら、しかも創価学会という巨大な組織のなかで絶大な影響力を持つ立場にありながら、日蓮大聖人様の御遺命をないがしろにする大謗法の発言をしたのですから、はっきりと『間違っておりました』と自分自身で言うべきなのです。しかしながら、これは今もっていたしておりません。」P五二

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