阿仏房御書

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阿仏房御書の概要

【建治二年三月十三日、阿仏房、聖寿五十六歳】 
御文委く披見いたし候ひ了ぬ。抑も宝塔の御供養の物、銭一貫文・白米・しなじなをくり物、たしかにうけとり候ひ了ぬ。
此の趣き御本尊・法華経にもねんごろに申し上げ候。御心やすくおぼしめし候へ。
一御文に云く「多宝如来涌現の宝塔何事を表し給ふや」云云。
此の法門ゆゝしき大事なり。宝塔をことわるに、天台大師文句の八に釈し給ひし時、証前・起後の二重の宝塔あり。
証前は迹門、起後は本門なり。或は又閉塔は迹門、開塔は本門、是即ち境智の二法なり。しげきゆへにこれををく。
所詮三周の声聞、法華経に来て己心の宝塔を見ると云ふ事なり。
今日蓮が弟子檀那又々かくのごとし。末法に入て、法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。
若し然れば貴賎上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして、我が身又多宝如来なり。
妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり。宝塔又南無妙法蓮華経なり。
今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。此の五大は題目の五字なり。
然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此より外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慙の七宝を以てかざりたる宝塔なり。
多宝如来の宝塔を供養し給ふかとおもへば、さにては候はず、我が身を供養し給ふ。
我が身又三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給て南無妙法蓮華経と唱へ給へ。
こゝさながら宝塔の住処なり。経に云く「法華経を説くこと有らん処は、我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり。
あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。
阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩うまれかわり給てや、日蓮を御とふらい給ふか。不思議なり不思議なり。
此の御志をば日蓮はしらず、上行菩薩の御出現の力にまかせたてまつり候ぞ。
別の故はあるべからず、あるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ。委くは又々申すべく候。恐恐謹言。
九年壬申三月十三日  日蓮花押 
阿仏房上人所へ。

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