弁殿御消息
弁殿御消息の概要 【建治二年七月二十一日、日昭、聖寿五十五歳、真筆−完存】 たきわう(滝王)をば、いゑふく(家葺)べきよし候けるとて、まか(退)るべきよし申し候へば、つかわし候。 ゑもん(衛門)のたいう(大夫)どののかへせに(改心)の事は、大進の阿闍梨のふみに候らん。 -大進の阿闍梨- 一、十郎入道殿の御けさ。悦び入て候よしかたらせ給へ。 一、さぶらうざゑもん(三郎左衛門)どのの、このほど人をつかわして候しが、をほせ給ひし事、あまりにかへすがへすをぼつかなく候よし、わざと御わたりありて、きこしめして、かきつかはし候べし。又さゑもん(左衛門)どのにもかくと候へ。 かわのべ(河辺)どの等の四人の事。はるかにうけ給はり候はず。をぼつかなし。かの辺になに事か候らん。一一にかきつかはせ。 度度この人人の事はことに一大事と天をせめまいらせ候なり。さだめて後生はさてをきぬ、今生にしるしあるべく候と存ずべきよし、したたかにかたらせ給へ。 伊東の八郎ざゑもん、今はしなの(信濃)のかみ(守)はげんにしにたりしを、いのりいけて、念仏者等になるまじきよし明性房にをくたりしが、かへりて念仏者真言師になりて無間地獄に堕ぬ。 のと(能登)房はげんに身かたで候しが、世間のをそろしさと申し、よく(欲)と申し、日蓮をすつるのみならず、かたき(敵)となり候ぬ。せう(少輔)房もかくの如し。 をのをのは随分の日蓮がかたうど(方人)なり。しかるをなづき(頭脳)をくだきていのるに、いままでしるしのなきは、この中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ。 をもいあわぬ人をいのるは、水の上に火をたき、空にいゑ(舎)をつくるなり。此の由を四人にかたらせ給ふべし。 むこり(蒙古)国の事のあうをもつてをぼしめせ、日蓮が失にはあらず。 ちくご(筑後)房・三位・そつ等をばいとまあらばいそぎ来るべし。大事の法門申すべしとかたらせ給へ。 十住毘婆沙等の要文を大帖にて候と、真言の表のせうそくの裏にさど(佐渡)房のかきて候と、そうじてせせとかきつけて候ものの、かろきとりてたび候へ。紙なくして一紙に多く要事を申すなり。 七月二十一日 日蓮花押 弁殿 |