別当御房御返事
別当御房御返事の概要 【文永十一年五・六月頃、聖寿、真筆曽存】 聖密房のふみにくはしくかきて候。よりあいてきかせ給ひ候へ。なに事も二間清澄の事をば聖密房に申しあわせさせ給ふべく候か。 世間のり(理)をしりたる物に候へばかう申すに候。これへの別当なんどの事はゆめゆめをもはず候。いくらほどの事に候べき。但なばかりにてこそ候はめ。 又わせいつをの事、をそれ入て候。いくほどなき事に御心ぐるしく候らんと、かへりてなげき入て候へども、我が恩をばしりたりけりと、しらせまつらんために候。 大名を計るものは小耻にはぢすと申して、南無妙法蓮華経の七字を日本国にひろめ、震旦高麗までも及ぶべきよしの大願をはらみて、其の願の満すべきしるしにや。 大蒙古国の牒状しきりにありて、此の国の人ごとの大なる歎きとみへ候。 日蓮又先きよりこの事をかんがへたり。閻浮第一の高名なり。 先きよりにくみぬるゆへに、ままこ(継子)のかうみやう(功名)のやうに専心とは用ひ候はねども、終に身のなげき極まり候時は辺執のものどもも一定とかへぬとみへて候。 これほどの大事をはらみて候ものの、少事をあながちに申し候べきか。 但し東条、日蓮心ざす事は生処なり。日本国よりも大切にをもひ候。 例せば漢王の沛郡ををもくをぼしめししがごとし。かれ生処なるゆへなり。 聖智が跡の主となるをもつてしろしめせ。日本国の山寺の主ともなるべし。 日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。天のあたへ給ふべきことわりなるべし。 米一斗六升、あはの米二升、やき米はふくろへ。それのみならず人人の御心ざし申しつくしがたく候。 これはいたみをもひ候。これより後は心ぐるしくをぼしめすべからず候。 よく人人にしめすべからず候。よく人人にもつたへさせ給ひ候へ。乃時。 |