大果報御書
大果報御書の概要 【文永十年九月頃、聖寿五十二歳】 者どもをば少少はをひいだし、或はきしやう(起請)かかせて、はう(法)にすぎて候ひつるが、 七月末八月の始に所領かわり、一万余束の作毛をさへかられて、山や(野)にまど(惑)ひ候ゆへに、日蓮なをばう(謗)じつるゆへかとののしり候上、御かへりの後、七月十五日より上下いしばい(石灰)と申す虫ふりて、国大体三分のうへそん(損)じ候ぬ。 をほかた人のいくべしともみへず候。これまで候をもいたたせ給ふ上、なに事もとをもひ候へども、かさねての御心ざしはう(法)にもすぎ候か。 なによりもおぼつかなく候ひつる事は、とののかみの御気色いかんがとをぼつかなく候ひつるに、なに事もなき事申すばかりなし。 かうらい(高麗)むこ(蒙古)の事うけ給はり候ぬ。なにとなくとも釈迦如来法華経を失ひ候ひつる上は、大果報ならば三年はよもとをもひ候ひつるに、いくさ(軍)けかち(飢渇)つづき候ぬ。国はいかにも候へ、法華経のひろまらん事疑なかるべし。 御母への御事、経をよみ候事に申し候なり。此の御使ひそぎ候へばくはしく申さず候。恐々。 |