念仏者令追放宣旨御教書集列五篇勘文状の概要

『平賀本目録』『日朝本目録』『刊本録内』等所収。また『金綱集』「浄土見聞集下」(『日宗全』13巻214頁以下)、日興の『法門要文』(『興全』65頁以下)に同文書が数点収められている。
 本書はその題号の示すとおり、念仏宗に対する追放 の御教書等を列挙したもので、「奏状篇」「宣旨篇」「勘文篇」の三篇からなる。ただし末尾の「勘文篇」は名目があるのみで、あるいは散逸したか。また冒頭に宗祖のコメントが記されており、まずは建永から嘉禄の法難に至る経緯を略述し「日蓮不肖なりと雖も、 且つは天下の安寧を思ふが為に、且つは仏法の繁昌を致さんが為に、強ちに先賢の語を宣説し称名の行を停廃せんと欲す、又愚懐の勘文を添へ、頗る邪人の慢幢を倒さんとす、勘注の文繁くして見難、知り易からしめんが為に、要を取り諸を省き、略して五篇を列ぬ、 委細の旨は広本に在くのみ」と結んでいる。これによれば本書はその略本で、広本の存在していたことが知られよう。本書に省略された文言は 番号6「念仏無間地獄抄」、日興の『法門要文』、日向の『浄土宗見聞下』などによって補われ、これらを含めた関連史料は 『大日本史料・第五編之四』にまとめて収録
されている。
 専修念仏追放に関する一連の資料が宗祖ならびにその門下に伝来した理由として、平雅行は、嘉禄法難の際に宝地房証真の弟子や俊範が主導的な役割を果たしていたことや、宗祖が 俊範に師事していたという『日大直兼台当問答記』の記述に着目し、宗祖は俊範や証真の弟子たちを介して、専修念仏弾圧関係の資料を入手したのではないかと推測している。入手先としては、まず叡山が考えられるが、日蓮門下の手元に伝わった弾圧関 係資料は、東国に住した定照へ宛てたものが圧倒的に多く、あるいは東国において入手された可能性もあろう。