『日朝本目録』『平賀本目録』『刊本録内』等は 番号34「月水御書」の一部としてその末尾に収録されている。『三宝寺録外目録』が「題目弥陀勝劣事」として分離独立させ、『高祖遺文録』がそれを踏襲し、
以降『縮冊遺文』『定本』『新定』等これに従う。 本書は題目と弥陀等諸仏の名号との勝劣を、法勝人劣の立場から論じ、『法華経』就中その題目は諸仏能開の根本であるとして、それを捨閉閣抛する浄土教を破折し、 且つ法華浄土一体を主張する習いそこないの天台真言をも批判している。文中問者が「法華経は不浄の身には叶いがたいので、念仏によって極楽世界に往生し、そこで法華経を覚るのである」と述べるのと、浄土教の諸師 の通力を以って法の正当を主張する問者を「仏の最後の禁めに、通を本とすべからずと見えたり。」と破折するのは、番号23「唱法華題目抄」の文に共通している。また『法華経』を極楽浄土往生の正因とするのは、番号41 「薬王品得意抄」番号42「女人往生抄」番号44「法華経題目抄」と共通する。また念仏者の臨終が思わしくないことを指摘するのは、番号4-200「念仏破関連御書」(旧名「念仏者臨終現悪相御書」)と共通し、さらに宗祖 が幼少の頃に習いそこないの天台真言の諸師に「南無妙法蓮華経即南無阿弥陀仏」との邪義を教えられた、と述べるのは、番号38「南条兵衛七郎殿御書」に「法然善導等がかきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時より しりて候き。」とあるのと共通している。く |