真蹟二四紙完、京都府妙顕寺蔵。但し最末日付署名花押を含む四行他筆。寺尾英智の論攷「京都妙顕寺所蔵の日蓮真蹟」(『仏教思想仏教史論集』413頁以下)はこれを妙顕寺五世朗源筆と見ている。『本満寺録外』『三宝寺録外目録』『刊本録外』等所収。 本書は題名の示す如く倶舎宗・成実宗・律宗・華厳宗・三論宗・法相宗・真言宗・浄土宗の八宗、中でも真言宗・華厳宗の本尊観並びに成仏論の誤りを示し、天台宗との違目が述べられている。冒頭法報応の三身と三因仏性が図示されるのは、仏身論において『法華経』のみ三身相即の教主釈尊を本尊とし、また仏性論においては『法華経』のみが三因仏性を具しており、他経はそれらが十全に説かれないことを示すためであろう。次に主師親が三身に配され、主師親たる三身相即の教主釈尊を本尊としない宗は、父を知らざる禽獣と等しいことが『五百問論』『古今仏道論衡』によって示され、各宗の本尊観が破折されている。次に別して華厳宗・真言宗の成仏論が天台の一念三千論を盗んで立てられているものであることが具体的に指摘されている。中に華厳宗が一念三千を立てることの証拠として、中古天台文献に多用される伝不空作『蓮華三昧経』の所謂「本覚讃」の文が引用されることが注目される。このことは間接的ながら宗祖の、華厳・真言そして中古天台本覚思想が同一根であるとの認識を示すものといってよいのではないか。八品日隆は本書を「諸門流並に目録に入れざる日像門流秘伝ノ八宗違目抄に、開目抄の意を略して之を釈し玉ヘリ。」(『本門弘経抄』)と述べるが、まさに本書は「開目抄」の本尊論・一念三千成道論と、それに基づく華厳真言の破折を要約したものといえるであろう。なお、番号3-20「一代五時図」には本書に引文される『五百問論』『古今仏道論衡』の同文が収録されており(主師親たる教主釈尊を忘れるのは禽獣に同ずるという「開目抄」の意がこの両文で示されている)、この時期に作成されたものと推せられる。 |