御本尊七箇之相承の概要

『日山本』(妙本寺日我弟子)稲田海素氏蔵。『日悦本』富谷日震氏蔵。日教所持本(「本因妙抄」「百六箇抄」「御本尊七箇之相承」「産湯相承」の合本)が静岡県光長寺に所蔵される由である。
また、「本因妙抄」の奥に「日文字口伝・産湯口決ノ二箇ハ両大師玄旨ニあつ。本尊七箇口伝ハ七面ノ決ニ之ヲ表ス。教化弘経七箇ノ伝ハ弘通者ノ大要也。」とあり、他の相承書と共に「本因妙抄」との関係が示されている。
なお成立・伝搬については 番号新3-002「本因妙抄」解題参照。/ 本書は題下に「高祖御談日興記之」とあり、宗祖の説示を日興が記録したという体裁になっている。但し『日宗全』(2巻41頁)によれば、『日山本』にはこの記載がない由である。
本尊及びその書写について七箇条に亘って述べられたものである。
 第一に、十界互具について、一往の義として本尊相貌の釈迦・多宝をはじめとする十界が示されている。
 第二に、真実十界互具について、先の一往の義を受けて再往所唱の題目は仏界、能唱の衆生は九界であり、十界互具するところが無作三身にして実仏であるとしている。
 第三に、点を長く引くことについて、日蓮の慈悲広大を示すものとしている。
 第四に、「王」の字に点を打つことについて、一般に点は小王にはつけず大王につけるが、法華経は諸経の王であり、四天王等はその眷属なる故に点を打つのであるとしている。
 第五に、不動・愛染を梵字にする意義について、かつて仏法がインドから和漢に将来されたように、今日本の仮名の仏法が梵漢に通ずることを示すものとしている。
 第六に、この本尊は序正流通の内いずれに属すかということについて、在世が正宗分であるに対し、滅後今日の曼荼羅は流通分であるとしている。
 第七に、「日蓮御判」とすることについて、曼荼羅の相貌たる十界が悉く日蓮たることを示すものであるとしている。
 この他に恐らく後に付け足されたものであろう四項がある。第一に、「仏滅後」云云の図顕讃文について、その文があってこそ御本尊なのであって、率爾に略してはならぬとしている。第二に、「日蓮在御判嫡々代々」と記すことについて、代々の聖人悉く日蓮という意であるとしている。 第三に、「明星直見本尊」について、かつて宗祖が末代幼稚のために何を以って本尊とすべきか虚空蔵に問うたところ、古僧が宗祖自身が本尊であるから明星池に身を浮かべよと指示され、そのようにしたところ大曼荼羅が映ったことが示され、日興はその映った御本尊を形の如く似せて書いたのであるから、書写は日興に限るとしている。ここで一応本書は終っているが、
 更に一項設けられ、蓮の字に点が二つあるのを天目が「点が一つ多いのでは」といったことによって、天目との名がつけられたことを記している。