内容としては大略前後二段に別れ、前段は題目の功徳を明かし、後段は女人往生について述べられている。前段については、先ず信心口唱の功徳が示され、解がなくとも妙法を信受唱題すれば悪道を脱れることができることが明かされる。 次に『法華経』は広略要の中には要を本とすることが示される。これは後「法華取要抄」に繋がるものである。そしてその要法たる妙法蓮華経には爾前並びに法華経本迹の一切の功徳が納ることが示されている。 後段では成仏往生しがたきものとして先ず提婆等謗法一闡提の悪人の成道が示され、次に女人成道が示される。女人成道については、末代の女人は即身成仏は叶わぬ故に『法華経』によって極楽に往生し、そこにおいて成仏するというこの時期の『薬王品』に約した女人往生成仏が展開されている。また与えた形ではあるにせよ弥陀称名を認めるかの如き文言が見られる。 或いは対告者の誘引の為であろうか。日目所持本の奥に「私云、此御書ハ未勘之時文ニテ西方往生ノ文弥陀名号ヲ口遊ニハスヘキ由ヲ載給タル計ニテ、妙字事女人成仏事ハ尤貴尤貴」とある(堀日亨師は日目筆とみているが、本奥書に続く「建武三年八月丙子八月四日一見ヲ加ヘ候畢。白蓮」とある日道の字と一筆にも思われる)。 また、内題の下に、「根本大師門人 日蓮撰」とあり、「天台沙門」とともに当時の確実な名乗りの一つである。本書は日目所持本により系年が確定しており、当時の思想・筆跡の基準となる御書である。なお、末文の日付に続けて、『日朝本』には日目所持本には見られない「清澄寺未時書了」の文言がある。同文を『高祖遺文録』は「於清澄寺末寺書了」と、『縮冊遺文』『定本』『新定』は「於清澄寺未時書了」としている。また『日朝本』には日目所持分にはない「在御判」があり、『縮冊遺文』『定本』では「日蓮花押」としている。『刊本録内』『高祖遺文録』には見られない。 |