刑部左衛門尉女房御返事
刑部左衛門尉女房御返事の概要 【弘安三年十月二十一日、刑部左衛門妻女、聖寿五十九歳】 今月飛来の雁書に云く、此の十月三日、母にて候もの十三年に相当れり。銭二十貫文等云云。 夫外典三千余巻には忠孝の二字を骨とし、内典五千余巻には孝養を眼とせり。不孝の者をば日月も光ををしみ、地神も瞋をなすと見へて候。 或経に云く、六道の一切衆生仏前に参り集りたりしに、仏、彼れ等が身の上の事を一一に問ひ給ひし中に、仏、地神に汝大地より重きものありや、と問ひ給ひしかば、地神敬て申さく、大地より重き物候と申す。 仏の曰く、いかに地神偏頗をば申すぞ。此の三千大千世界の建立は皆大地の上にそなわれり。 地神答て云く、仏は知食しながら人に知らせんとて問ひ給ふか。我地神となること二十九劫なり。其の間、大地を頂戴して候に頚も腰も痛むことなし。虚空を東西南北へ馳走するにも重きこと候はず。 但不孝の者のすみ候所が身にあまりて重く候なり。頚もいたく、腰もおれぬべく、膝もたゆく、足もひかれず、眼もくれ、魂もぬけべく候。 あわれ此の人の住所の大地をばなげすてばやと思ふ心たびたび出来し候へば、不孝の者の住所は常に大地ゆり候なり。 されば教主釈尊の御いとこ提婆達多と申せし人は閻浮提第一の上臈、王種姓なり。 然れども不孝の人なれば、我等彼の下の大地を持つことなくして、大地破れて無間地獄に入り給ひき。 我れ等が力及ばざる故にて候と、かくの如く地神こまごまと仏に申し上げ候ひしかば、仏はげにもげにもと合点せさせ給ひき。 又仏歎て云く、我が滅後の衆生の不孝ならん事、提婆にも過ぎ、瞿伽利にも超えたるべし等云云〈取意〉。 涅槃経に、末代悪世に不孝の者は大地微塵よりも多く、孝養の者は爪上の土よりもすくなからんと云云。今日蓮案じて云く、此の経文は殊にさもやとをぼへ候。 父母の御恩は今初めて事あらたに申すべきには候はねども、母の御恩の事、殊に心肝に染て貴くをぼへ候。 飛鳥の子をやしなひ、地を走る獣の子にせめられ候事、目もあてられず、魂もきえぬべくをぼへ候。 其につきても母の御恩忘れがたし。胎内に九月の間の苦み、腹は鼓をはれるが如く、頚は針をさげたるが如し。 気は出づるより外に入る事なく、色は枯れたる草の如し。臥ば腹もさけぬべし。坐すれば五体やすからず。 かくの如くして産も既に近づきて、腰はやぶれてきれぬべく、眼はぬけて天に昇るかとをぼゆ。 かかる敵をうみ落しなば、大地にもふみつけ、腹をもさきて捨つべきぞかし。 さはなくして、我が苦を忍て急ぎいだきあげて血をねぶり、不浄をすすぎて胸にかきつけ、懐きかかへて三箇年が間、慇懃に養ふ。 母の乳をのむ事、一百八十斛三升五合なり。此乳のあたひは一合なりとも三千大千世界にかへぬべし。 されば乳一升のあたひを検へて候へば、米に当れば一万一千八百五十斛五升、稲には二万一千七百束に余り、布には三千三百七十段なり。何に況や一百八十斛三升五合のあたひをや。 他人の物は銭の一文・米一合なりとも盗みぬればろう(牢)のすもり(巣守)となり候ぞかし。 而るを親は十人の子をば養へども、子は一人の母を養ふことなし。あたたかなる夫をば懐き臥せども、こごへたる母の足をあたたむる女房はなし。 給孤独園の金鳥は子の為に火に入り、■尸迦夫人は夫の為に父を殺す。 仏の云く、父母は常に子を念へども、子は父母を念はず等云云。影現王の云く、父は子を念ふといえども、子は父を念はず等是なり。 設ひ又今生には父母に孝養をいたす様なれども、後生のゆくへまで問ふ人はなし。 母の生てをはせしには、心には思はねども一月に一度、一年に一度は問ひしかども、死し給てより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事なれば形の如く問ひ訪ひ候へども、十三年四千余日が間の程はかきたえ問ふ人はなし。 生てをはせし時は一日片時のわかれをば千万日とこそ思はれしかども、十三年四千余日の程はつやつやをとづれなし。如何にきかまほしくましますらん。 夫外典の孝経には、唯今生の孝のみををしへて、後生のゆくへをしらず。身の病をいやして、心の歎きをやめざるが如し。 内典五千余巻には人天・二乗の道に入れて、いまだ仏道へ引導する事なし。 夫目連尊者の父をば吉占師子、母をば青提女と申せしなり。母死して後餓鬼道に堕ちたり。しかれども凡夫の間は知る事なし。 証果の二乗となりて天眼を開て見しかば、母餓鬼道に堕ちたりき。あらあさましやといふ計りもなし。 餓鬼道に行て飯をまいらせしかば、纔に口に入るかと見えしが飯変じて炎となり、口はかなへの如く、飯は炭をおこせるが如し。 身は灯炬の如くもえあがりしかば、神通を現じて水を出だして消す処に、水変じて炎となり、弥火炎のごとくもゑあがる。 目連自力には叶はざる間、仏の御前に走り参り申してありしかば、十方の聖僧を供養し、其の生飯を取て纔に母の餓鬼道の苦をば救ひ給へる計りなり。 釈迦仏は御誕生の後、七日と申せしに母の摩耶夫人にをくれまいらせましましき。凡夫にてわたらせ給へば母の生処を知しめすことなし。 三十の御年に仏にならせ給て、父浄飯王を現身に教化して証果の羅漢となし給ふ。 母の御ためには、利天に昇り給て、摩耶経を説き給て、父母を阿羅漢となしまいらせ給ひぬ。 此れ等をば爾前の経経の人人は孝養の二乗、孝養の仏とこそ思ひ候へども、立ち還て見候へば、不孝の声聞、不孝の仏なり。 目連尊者程の聖人が母を成仏の道に入れ給はず、釈迦仏程の大聖の父母を二乗の道に入れ奉て、永不成仏の歎きを深くなさせまいらせ給ひしをば、孝養とや申すべき、不孝とや云ふべき。 然るに浄名居士、目連を毀て云く、六師外道が弟子なり等云云。仏自身を責めて云く「我則ち慳貪に堕ちなん、此の事は為めて不可なり」等云云。 然らば目連は知らざれば科浅くもやあるらん。仏は法華経を知ろしめしながら、生てをはする父に惜み、死してまします母に再び値ひ奉て説かせ給はざりしかば、大慳貪の人をばこれより外に尋ぬべからず。 つらつら事の心を案ずるに、仏は二百五十戒をも破り、十重禁戒をも犯し給ふ者なり。 仏、法華経を説かせ給はずば、十方の一切衆生を不孝に堕し給ふ大科まぬがれがたし。故に天台大師此の事を宣べて云く「過則ち仏に属す」云云。 有人云く、是れ十方三世の御本誓に違背し、衆生を欺誑すること有るなり等云云。 夫四十余年の大小・顕密の一切経並に真言・華厳・三論・法相・倶舎・成実・律・浄土・禅宗等の仏・菩薩・二乗・梵釈・日月及び元祖等は、法華経に随ふ事なくば何なる孝養をなすとも、我則堕慳貪の科脱るべからず。 故に仏、本願に趣て法華経を説き給ひき。而るに法華経の御座には父母ましまさざりしかば、親の生れてまします方便土と申す国へ贈り給て候なり。 其の御言に云く「而かも彼の土に於て、仏の智恵を求めて、此の経を聞くことを得ん」等云云。 此の経文は智者ならん人人は心をとどむべし。教主釈尊の父母の御ために説かせ給て候経文なり。 此の法門は唯天台大師と申せし人計りこそ知てをはし候ひけれ。其の外の諸宗の人人は知らざる事なり。日蓮が心中に第一と思ふ法門なり。 父母に御孝養の意あらん人人は法華経を贈り給ふべし。教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給て候。 日蓮が母存生してをはせしに、仰せ候し事をもあまりにそむきまいらせて候しかば、今をくれまいらせて候があながちにくやしく覚えて候へば、一代聖教を検へて母の孝養を仕らんと存じ候間、 母の御訪ひ申させ給ふ人人をば我が身の様に思ひまいらせ候へば、あまりにうれしく思ひまいらせ候間、あらあらかきつけて申し候なり。 定めて過去聖霊も忽に六道の垢穢を離れて霊山浄土へ御参り候らん。 此の法門を知識に値はせ給て度度きかせ給ふべし。日本国に知る人すくなき法門にて候ぞ。くはしくは又又申すべく候。恐恐謹言。 十月二十一日 日蓮花押 尾張刑部左衛門尉女房御返事 |