早 勝 問 答

ホームへ 資料室へ 御書の目次へ メール

早 勝 問 答の概要

            【文永八年、聖寿】 
浄土宗問答。
問ふ、六字の名号は善悪の中には何ぞや。答ふ、一義に云く、今問ふ所の善悪は世出の中には何ぞや。一義に云く、云ふ所の善悪を治定せば堕獄治定なるか。
一義に云く、名号悪と治定せば堕獄治定なるか。一義に云く、念仏無間治定して其の上に善悪を尋ぬるか。一義に云く、汝が依経は権実の中には何れぞや。

問ふ、念仏無間と云はば法華も無間なり。答ふ、一義に云く、法華無間とは自義なるか経文なるか。一義に云く、念仏無間をば治定して法華無間と云ふか。
一義に云く、祖師の謗法を治定して法華も無間と云ふか。一義に云く、汝が云ふ所の法華は超過の法華か、又弥陀成仏の法華か。

問て云く、念仏無間の証拠、二十八品の中には何れぞや。答ふ、一義に云く、二十八品の中に証拠有らば堕獄必定なるか。一義に云く、法華を誹謗ずるを証拠とするなり。一義に云く、法華の文を尋ぬるは信じて問ふか、信ぜずして問ふか。
一義に云く、直に入阿鼻獄の文を出すなり。一義に云く、妙法蓮華経其の証拠なり。一義に云く、弥陀の本誓に背く故なり。一義に云く、弥陀の命を断つ故なり。一義に云く、有縁の釈尊に背く故なり。念仏無間は三世諸仏の配立なり。
問ふ、止観の念仏の事。答ふ、一義に云く、法然所立の念仏は堕獄治定して止観を問ふか。一義に云く、西方の念仏と一なるか異なるか。一義に云く、止観の念仏は法華を誹謗するか。一義に云く、彼に文段を問ふべし。一義に云く、止観に依て浄土宗を建立するか。
問ふ、観経は法華已後の事。答ふ、一義に云く、此の故に法華を謗ずるか。一義に云く、已前ならば無間は治定なるか。一義に云く、汝が謗法は無間をば治定して問ふか。
問ふ、観経と法華と同時なり。答ふ、一義に云く、同時なる故に法華を謗ずるか。さては返て観経をも謗ずるなり。
問ふ、先師の謗法は一往なり。且くの字を置く故なり。答ふ、一義に云く、且く謗ぜよとは自義か経文か。一義に云く、始終共に謗ぜば堕獄は治定なるか。

問ふ、未顕真実(みけんしんじつ)は往生に非ず成仏の方なり。答ふ、一義に云く、此の故に法華を謗ずるか。一義に云く、余経は無得道と云ふ人は僻事か。
問ふ、法華本迹の阿弥陀をば如何。答ふ、一義に云く、法華の弥陀は法華経を謗ぜんと誓ひ給ひしか。一義に云く、法華の弥陀と三部経と同じきか異なるか。異ならば無間治定なるか。
問ふ、一称南無仏と。何んぞ称名を無益と云はんや。答ふ、一義に云く、此の故に法華を謗ずるか。一義に云く、法華を信じて問ふか、信ぜずして問ふか。
問ふ、法華に「諸の如来に於て」、「諸仏を恭敬す」と。何ぞ弥陀を捨つるや。答ふ、一義に云く、此の故に法華を謗ずるか〈大旨上の如し〉。
問ふ「余の深法中に示教利喜す」と。何ぞ余経を謗ずるや。答ふ、一義に云く、此の故に法華を謗ずるや。一義に云く、汝が誹謗は治定して問ふか。又自義か経文か〈大旨上の如し〉。
問ふ、普門品に観世音の称名功徳を挙ぐと見えたり。何ぞ余の仏菩薩を捨てんや。答ふ、一義に云く、此の故に法華を謗ずるか。一義に云く、此の観音は法華を謗ずるか。

一義に云く、此の品に依て念仏を立つるか。私に云く、彼が経文釈義を引かん時は先ず文段を一一問ふべし。大段万事の問には誹謗の言を先とすべきなり。前の当家の義云云。

禅宗問答。
問ふ、禅天魔の故如何。答ふ、一義に云く、仏経に依らざる故なり。一義に云く、一代聖教を誹謗する故なり。
問ふ、禅とは三世諸仏成道の始は坐禅し給へり如何。答ふ、一義に云く、汝が坐禅は仏の出世に背かば天魔治定なるか。又坐禅は大小の中には何れぞや。一義に云く、仏の端座六年は法華に無益と云ふか。
問ふ、禅法には仏説無益なり。答ふ、一義に云く、是自義なるか経文なるか。一義に云く、やがて是が天魔の所為なり。
問ふ、経文には「是法不可示」と如何。答ふ、一義に云く、此の文は法華無益と云ふ文なるか。一義に云く、爾らば法華に依るか。一義に云く、文段を以て責むべきなり。
問ふ、竜女は坐禅の成仏なり。其の故は経文に「深く禅定に入て諸法に了達す」と説き給へり。知ぬ、法華無益と云ふことを。答ふ、一義に云く、此の義は自義なるか経文なるか。
一義に云く、若し法華の成仏ならば天魔治定なるか。一義に云く、文殊海中の教化は論説妙法と宣べたり如何。
問ふ、常に坐禅を好み深く禅定に入て常に坐禅を貴ぶとも説けり如何。答ふ、一義に云く、文段を以て責むべし。一義に云く、此の文は法華無益と云ふ文なるか。一義に云く、此の文を以て禅宗を建立するか。
問ふ、唯独り自のみ明了にして余人の見ざる所と云ふ。故に禅宗ひとり真性を見て余人は見ずと云ふなり。答ふ、一義に云く、文段を以て責むべし経文を見るべし。

問ふ、像法決疑経に云く「一字不説」と。爾らば一代は未顕真実(みけんしんじつ)と聞きたり。真実は只迦葉一人教の外に別伝し給へり如何。答ふ、此の文は仏説か。若し仏説ならば汝此の文に依る故に自語相違なり。
一義に云く、言ふ所の迦葉は何なる経にて成仏するや。一義に云く、言ふ所の経文は三説の中には何れぞや。一義に云く、楞伽経は仏説なるか。
問ふ、三大部に観心之有り、何ぞ禅天魔と云ふや。答ふ、一義に云く、汝は三大部にて宗を立つるか。一義に云く、三大部の観心は汝が禅と同じきか。一義に云く、汝は天台を師とするか。一義に云く、三大部の観心は諸経を捨つるか。
問ふ、双非の禅の事如何。答ふ、一義に云く、一度は法華に依り一度は法華無益なり。一義に云く、二義共に天魔なり。一義に云く、此の義に背かん者は僻事なるか。
問ふ、法華宗は妙法の道理を知るや。答ふ、一義に云く、汝は天魔を治定して問ふか。一義に云く、汝は法華を信じて問ふか。一義に云く、妙法を知て問ふか、知らずして問ふか。
一義に云く、汝が問ふ所の妙法は今経に付て百二十の妙有り。其の品品を問ふか。一義に云く、汝は此の妙法に依て禅を建立するか。

天台宗問答。
問ふ、天台宗を無間と云ふ証拠如何。答ふ、一義に云く、法華を誹謗する故なり。一義に云く、経文に背く故なり。
問ふ、余経無益と云ふ事は麁を判ずる一往の意なり。再往の日は諸乗一仏乗と開会す。何ぞ一往を執して再往の義を捨つるや。答ふ、一義に云く、今言ふ所の開会とは何れの教の開会ぞや。
一義に云く、今経に於て本迹の十妙の下に各二十の開会あり。亦教行人理の四一開会の中には何れぞや。一義に云く、能開所開の中には何れぞや。一義に云く、開会の後善悪無しと云ふか。一義に云く、天台宗は法華を信ずるか。
一義に云く、開会の後諸宗を簡ばずと云はば、天台大師僻事なるか。其の故は南三北七云云。伝教大師は六宗と云云。一義に云く、天台宗は悪行をも致すべきか。性悪不断と云ふが故に自語相違なりと責むべきなり。
一義に云く、開会の後に権実を立つる人は僻事なるか。爾らば薬王の十喩、法師の三説超過云云。一義に云く、此の故に開会の心を以て慈覚は法華を謗ずるか。一義に云く、汝は慈覚の弟子なるか。爾らば謗法治定なるか。
問ふ、善悪不二邪正一如の故に強ちに善悪を云ふべからず、元意の重是なり。答て云く、天台の出世は悪を息めんが為か、又悪を増さんが為か。一義に云く、悪事を致せとは法華経二十八品の中には何れの処に見えたるや。

問ふ、絶待妙の事。答ふ、一義に云く、先ず文段を問ふべし。一義に云く、何れの教の絶待ぞや。一義に云く、此の故に慈覚は法華を謗ずるか。
問ふ、相待は一往、絶待は再往と見えたり如何。答ふ、自義なるか経文なるか。一義に云く、相待妙一往と云ふは二十八品の中には何れに見えたるや。一義に云く、相待妙は法華に明すか、余経に明すか。若し法華に明さば法華は一往なるか。
問ふ、約教約部の故に約部の日は一往爾前の円を嫌ふなり。答ふ、一義に云く、言ふ所の約教は天台の判釈の四種の約教の中には何れぞや。一義に云く、約部は落居の釈なるか。一義に云く、約部を捨つべきか。
一義に云く、約教の時爾前の円を嫌はば堕獄は治定なるか。一義に云く、約教の辺にて今昔円同じとは法華経二十八品の中何れぞや。一義に云く、玄文の第一の施開廃の三重の故に開会の後も余経を捨つると云ふ文をば知るか知らざるか。

山門流の真言宗問答。
問ふ、法華第一と云ふは顕教の門なり。真言に対すれば第一とは云ふべからず。答ふ、自義なるか経文なるか。爰を以て慈覚大師を無間と申すなり。
一義に云く、真言に対して法華第一ならば亡国治定なるか。一義に云く、真言は已今当の中には何れぞや。若し外と云はば一機一縁の一往にして秘密とは云はるべからざるなり。
問ふ、法華と真言とは理同事勝(りどうじしょう)の故に真言に対すれば戯論の法と云ふか。答ふ、一義に云く、さてこそ汝は無間治定なれ。一義に云く、さては慈覚は真言をも謗ずるなり。其の故は理同の法華を謗ずる故なり。
問ふ、伝教の本理大綱集の文を以て顕密同と云ふ事。答ふ、一義に云く、此の書は伝教の御作に非ざるなり。一義に云く、此の書に依て法華を慈覚は謗ずるか。

東寺流の問答。
問ふ、真言は釈尊の説と云ふ事其の証拠如何。答ふ、若し真言釈尊の説ならば亡国は治定なるか。若し然なりと云はば、弘法大師五蔵を立つる時法華を六波羅蜜経の五蔵の第四般若波羅蜜蔵、第五の陀羅尼蔵をば真言と建立し給へり如何。
問ふ、真言宗を未顕真実(みけんしんじつ)とは言ふべからず。其の故は釈迦の説の外に建立する故なり如何。答て云く、若し釈尊の説教ならば亡国は治定なるか。一義に云く、六波羅蜜経は釈迦の説なるか、大日の説なるか、若し釈迦の説ならば未顕真実(みけんしんじつ)は治定なるか。
他云く、釈迦所説の顕教無益なりと。尋ねて云く、六波羅蜜経は顕教密教の中には何れぞや。
他云く、六波羅蜜経は雑部の真言なり。我が家の三部は純説の真言なり。答ふ、助証正証と云ふ事全く弘法の所判に見えず。若し弘法の義ならば堕獄は治定なるか。
他云く、真言は速疾の教顕教は迂回歴劫の教なり云云。自ら云く、自義なるか経文なるか。
他云く、五秘密教に云く「若し顕教に於て修行する者は久しく三大無数劫を経」と説けり。是れ其の証拠なり如何。答ふ、さて此の経は釈迦の説なるか、大日の説なるか。若し釈迦の説ならば未顕真実(みけんしんじつ)は治定なるか。

問ふ、法華宗は何れの経に依て仏の印契相好を造るや。顕教には無し。但真言の印を盗むと覚えたり如何。答ふ、之に依て法華を謗ずるか。
一義に云く、汝盗むの義相違せば亡国は治定なるか。一義に云く、汝法華宗の建立する所の大段の妙法蓮華経をば本尊と落居して問ふか。
一義に云く、釈尊を三部に依て建立する故に驢牛の三身と下すか。若し爾なりと云はば返て汝は真言を誹謗する者なりと責むべし。一義に云く、三世の諸仏の印契相好実に妙法蓮華経に依て具足するの義、落居せば亡国は治定なるか。又盗人は治定なるか。
一義に云く、竜女霊山に即身に印契相好具足し南方に成道を唱へしは真言に依て建立するか。若し爾なりと云はば直に経文を出せと責むべきなり。

問ふ、亡国の証拠如何。答ふ、法華を誹謗する故なり云云。一義に云く、三徳の釈尊に背く故なり云云。一義に云く、現世安穏後生善処の妙法蓮華経に背き奉る故に今生には亡国、後生には無間と云ふなり。
一義に云く、法華経第三の劣とは経文なるか自義なるか、若し爾らば亡国治定なるか。
他云く、密教に対すれば第三の劣なり。答ふ、一義に云く、此の義経文なるか、自義なるか。
一義に云く、顕教の内に法華第一なる事、落居するか。若し爾なりと云はば、さては弘法は僻事なり。顕教の内にして法華を華厳に対して第二、真言に対して第三と云ふ故なり。一義に云く、真言に対して第一ならば亡国は治定なるか。
他云く、印真言を説かざるが故に第三の劣と云ふなり。答ふ、此の故に劣とは経文なるか自義なるか。一義に云く、若し法華に説かば亡国は治定なるか。
他云く、大日釈迦各別なり。答ふ、一義に云く、此の故に法華を謗ずるか。一義に云く、若し一仏ならば亡国は治定なるか。一義に云く、各別なれば劣とは経文なるか自義なるか。
他云く、顕教は応身密教は法身の説なり。此の故に法華は第三の劣なり。自ら云く、応身の説の故に法華劣とは経文なるか自義なるか。一義に云く、法華法身の説ならば亡国治定なるか。一義に云く、真言は応身の説ならば亡国は治定なるか。
他云く、五智五仏の時は北方は釈迦、中央は大日と見えたり如何。答ふ、一義に云く、中央釈迦ならば亡国治定なるか。一義に云く、北方釈迦と云ふ事は三部の内に無し、不空の義なり。仏説に非ず。
他云く、法華は穢土の説なり。真言は三界の外の法界宮の説なり。答ふ、一義に云く、真言は三界の内の説ならば亡国治定なるか〈義釈の文〉。
他云く、顕教の内にて大日釈迦一体と説くとも密教の内にては二仏各別なり。名は同じけれども義異るなり如何。答ふ、此の故に亡国と云ふなり。一義に云く、此くの如く云ふ事直に経文を出すべきなり。

他云く、竜女は真言の成仏、法華には三密欠くる故なり。答ふ、自義なるか経文なるか。
他云く、経文なり「陀羅尼を得不退転を得たり」云云。陀羅尼は三密の加持なり。答ふ、此の陀羅尼を真言と云ふは自義なるか経文なるか。
一義に云く、さては弘法の僻事なり。其の故は此の陀羅尼を戯論第三の劣と下すなり。一義に云く、自語相違なり。法華に印有る故なり。
他云く、守護経の文に依れば釈迦は大日より三密の法門を習て成仏するなり。答ふ、此の故に法華を謗ずるか。一義に云く、此の文は三説の内なるか外なるか。一義に云く、此れに相違せば亡国は治定なるか。
他云く、法華経には「合掌を以て敬心し具足の道を聞かんと欲す」と云へり。何ぞ印真言を捨つるや。答ふ、此の故に法華を謗ずるか。
一義に云く、自義なるか経文なるか。一義に云く、此の故に真言を捨てずとは経文なるか。一義に云く、此の文は真言を持つと云ふ文なるか。一義に、文段を以て責むべし。

他云く、弘法大師を無間と云ふは経文なるか自義なるか。答ふ、経文なり。
他云く、二十八品の中には何れぞや。答ふ、二十八品の中に有らば堕獄治定なるか。
他云く、爾なり。答ふ、法華を誹謗すること治定なるか。若し爾らば経文を出して責むべきなり。

ホームへ 資料室へ 御書の目次へ メール