金吾殿御返事
金吾殿御返事の概要 【七年十一月二十八日、聖寿、真筆−完存】 止観の五、正月一日よりよみ候て、現世安穏後生善処と祈請仕り候。 便宜に給ふべく候。本末は失て候ひしかども、これにすり(修理)させて候。多く本入るべきに申し候。 大師講に鵝目五連給ひ候ひ了ぬ。此の大師講三四年に始めて候が、今年は第一にて候ひつるに候。 抑此の法門の事、勘文の有無に依て弘まるべきか、弘まらざるか。 去年方方に申して候ひしかども、いなせの返事候はず候。今年十一月の比、方方へ申して候へば少少返事あるかたも候。 をほかた人の心もやわらぎて、さもやとをぼしたりげに候。又上のけさん(見参)にも入て候やらむ。 これほどの僻事申して候へば、流死の二罪の内は一定と存ぜしが、いままでなにと申す事も候はぬは不思議とをぼへ候。 いたれる道理にて候やらむ。又 山門なんどもいにしへ(古)にも百千万億倍すぎて動揺とうけ給はり候。それならず子細ども候やらん。 震旦高麗すでに禅門念仏になりて、守護の善神の去るかの間、彼の蒙古に聳い候ひぬ。 我が朝も又此の邪法弘まりて、天台法華宗を忽諸のゆへに、山門安穏ならず、師檀違叛の国と成り候ひぬれば、十が八九はいかんがとみへ候。 人身すでにうけぬ。邪師又まぬがれぬ。法華経のゆへに流罪に及びぬ。今死罪に行はれぬこそ本意ならず候へ。 あわれさる事の出来し候へかしとこそはげみ候て、方方に強言をかきて挙げをき候なり。 すでに年五十に及びぬ。余命いくばくならず。いたづらに広野にすてん身を、同じくは一身法華のかた(方)になげて、雪山童子・薬王菩薩の跡ををひ、仙予・有徳の名を後代に留めて、法華涅槃経に説き入れられまいらせんと願ふところなり。南無妙法蓮華経。 十一月二十八日 日蓮花押 金吾殿御返事 |