祈祷経送状
祈祷経送状の概要 【文永十年正月二十八日、最蓮房日浄、聖寿五十二歳】 御札の旨委細承はり候ひ畢ぬ。兼ては又末法に入て法華経を持ち候者は、三類の強敵を蒙り候はん事は、面拝の時大概申し候ひ畢ぬ。仏の金言にて候上は不審を致すべからず候か。 然らば則日蓮も此の法華経を信じ奉り候て後は、或は頭に疵を蒙り、或は打たれ、或は追はれ、或は頚の座に臨み、或は流罪せられ候し程に、結句は此の島まで遠流せられ候ぬ。 何なる重罪の者も現在計りこそ罪科せられ候へ。日蓮は三世の大難に値ひ候ぬと存し候。其の故は現在の大難は今の如し。 過去の難は当世の諸人等が申す如くば、如来在世の善星・倶伽利等の大悪人が、重罪の余習を失せずして如来の滅後に生れて是くの如く仏法に敵をなすと申し候是なり。 次に未来の難を申し候はば、当世の諸人の部類等謗じ候はん様は、此の日蓮房は存在の時は種種の大難にあひ、死門に趣むくの時は自身を自ら食して死る上は、定めて大阿鼻地獄に堕在して無辺の苦を受くるらんと申し候はんずるなり。 古より已来、世間出世の罪科の人、貴賎・上下・持戒・ 日蓮が三世の大難を以て、法華経の三世の御利益を覚し食され候へ。 過去久遠劫より已来未来永劫まで、妙法蓮華経の三世の御利益尽くすべからず候なり。 日蓮が法華経の方人を少分仕り候だにも加様の大難に遭ひ候。まして釈尊の世世番番の法華経の御方人を思ひ遣りまいらせ候に、道理申す計りなくこそ候へ。されば勧持品の説相は暫時も廃せず。殊更殊更貴く覚え候。 一、御山篭の御志しの事。凡そ末法折伏の行に背くと雖も、病者にて御座候上、天下の災・国土の難強盛に候はん時、我が身につみ知り候はざらんより外は、いかに申し候とも国主信ぜられまじく候へば、日蓮尚篭居の志候。 まして御分の御事はさこそ候はんずらめ。仮使山谷に篭居候とも、御病も平癒して便宜も吉候はば、身命を捨て弘通せしめ給ふべし。 一、仰せを蒙て候末法の行者息災延命の祈祷の事。別紙に一巻註し進らせ候。毎日一返欠如無く読誦せらるべく候。 日蓮も信じ始め候し日より毎日此れ等の勘文を誦し候て仏天に祈誓し候によりて、種種の大難に遇ふと雖も、法華経の功力・釈尊の金言深重なる故に今まで相違無くて候なり。 其れに付ても法華経の行者は信心に退転無く、身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり。 一、御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云。権教を信ぜし大謗法の時の事は、何なる持戒の行人と申し候とも、法華経に背く謗法罪の故に、正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。 彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に堕す。正法の大俗は破戒なりと雖も成仏疑ひ無き故なり。 但今の御身は念仏等の権教を捨てて正法に帰し給ふ故に、誠に持戒の中の清浄の聖人なり。尤も比丘と成ては権宗の人すら尚然るべし。況や正法の行人をや。 仮使権宗の時の妻子なりとも、かかる大難に遇はん時は、振捨て正法を弘通すべきの処に、地体よりの聖人、尤も吉し尤も吉し。 相構へ相構へ向後も夫妻等の寄来とも遠離して、一身に障碍無く、国中の謗法をせめて釈尊の化儀を資け奉るべき者なり。 猶猶向後は此の一巻の書を誦して、仏天に祈誓し御弘通有るべく候。但此の書は弘通の志有らん人に取ての事なり。 此の経の行者なればとて器用に能はざる者には左右無く之を授与すべからず候か。穴賢穴賢。恐恐謹言。 文永十年〈癸酉〉正月二十八日 日蓮花押 最蓮房御返事 |