窪尼御前御返事

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窪尼御前御返事弘安元年五月三日の概要

【弘安元年五月三日、窪尼、聖寿五十七歳、真筆−断存】 
粽五把・笋十本・千日ひとつつ給ひ畢ぬ。
いつもの事に候へども、ながあめ(長雨)ふりてなつ(夏)の日ながし。
山はふかく、みち(路)しげければ、ふみわくる人も候はぬに、ほととぎす(郭公)につけての御ひとこへ(一声)ありがたしありがたし。
さてはあつわら(熱原)の事、こんどをもつてをぼしめせ。さきもそら事なり。
かうのとの(守殿)は人のいゐしにつけて、くはしくもたづねずして、此の御房をながしける事あさましとをぼして、ゆるさせ給てののちは、させるとが(科)もなくては、いかんが又あだせらるべき。
すへの人人の法華経の心にはあだめども、うへにそし(毀)らばいかんがとをもひて、事にかづけて人をあだむほどに、かへりてさきざきのそら事のあらわれ候ぞ。
これはそらみげうそ(虚御教書)と申す事はみぬさきよりすいして候。さど(佐渡)の国にてもそらみげうそを三度までつくりて候しぞ。これにつけても上と国との御ためあはれなり。
木のしたなるむしの木をくらひたうし、師子の中のむしの師子を食らいうしなふやうに、守殿の御をん(恩)にてすぐる人人が、守殿の御威をかりて一切の人人ををどし、なやまし、わづらはし候うへ、
上の仰せとて法華経を失て、国もやぶれ、主をも失て、返て各各が身をほろぼさんあさましさよ。
日蓮はいやしけれども、経は梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩のまほらせ給ふ御経なれば、法華経のかたをあだむ人人は剣をのみ、火を手ににぎるなるべし。
これにつけてもいよいよ御信用のまさらせ給ふ事、たうとく候ぞ、たうとく候ぞ。
五月三日  日蓮花押 
窪尼御返事 

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