窪尼御前御返事
窪尼御前御返事弘安二年五月四日の概要 【弘安二年五月四日、窪尼、聖寿五十八歳、真筆断存】 御供養の物、数のままに慥に給ひ候。 当時は五月の比おひにて民のいとまなし。其の上、宮の造営にて候なり。 かかる暇なき時、山中の有り様思ひやらせ給て送りたびて候事、御志殊にふかし。 阿育大王と申せし王は、この天の日のめぐらせ給ふ 此の王は昔徳勝とて五になる童にて候ひしが、釈迦仏にすな(沙)のもちゐ(餅)をまいらせたりしゆへに、かかる大王と生れさせ給ふ。 此の童はさしも心ざしなし、たわふれなるやうにてこそ候ひしかども、仏のめでたくをはすれば、わづかの事もものとなりてかかるめでたき事候。 まして法華経は仏にまさらせ給ふ事、星と月と、ともしびと日とのごとし。 又御心ざしもすぐれて候。されば故入道殿も仏にならせ給ふべし。 又一人をはするひめ御前も、いのちもながく、さひわひもありて、さる人のむすめなりときこえさせ給ふべし。 当時もおさなけれども母をかけてすごす女人なれば、父の後世をもたすくべし。 から(唐)国にせいし(西施)と申せし女人は、わかなを山につみて、をひたるはわ(老母)をやしなひき。 天あはれみて、越王と申す大王のかりせさせ給ひしが、みつけてきさき(后)となりにき。 これも又かくのごとし。をやをやしなふ女人なれば天もまほらせ給ふらん、仏もあはれみ候らん。 一切の善根の中に、孝養父母は第一にて候なれば、まして法華経にてをはす。 金のうつわ(器)ものに、きよき水を入れたるがごとく、すこしももるべからず候。めでたし、めでたし。恐恐謹言。 五月四日 日蓮花押 くぼの尼御前御返事 |