兄弟抄
兄弟抄の概要 【文永十二年四月十六日、池上宗仲・宗長、聖寿、真筆断存】 夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄なり。三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ。 今現に経蔵に入て此れを見るに、後漢の永平より唐の末に至るまで、渡れる所の一切経論に二本あり。 彼の一切経は皆各各分分に随て我第一なりとなのれり。然るに法華経と彼の経経とを引き合せて之を見るに勝劣天地なり、高下雲泥なり。 彼の経経は衆星の如く、法華経は月の如し。彼の経経は燈炬星月の如く、法華経は大日輪の如し。此れは総なり。 別して経文に入て此れを見奉れば二十の大事あり。第一第二の大事は三千塵点劫、五百塵点劫と申す二つの法門なり。 其三千塵点と申すは第三の巻化城喩品と申す処に出でて候。此の三千大千世界を抹して塵となし、東方に向て千の三千大千世界を過て一塵を下し、又千の三千大千世界を過て一塵を下し、此くの如く三千大千世界の塵を下はてぬ。 さてかえつて、下せる三千大千世界と下さざる三千大千世界をともにおしふさねて又塵となし、此の諸の塵をもてならべをきて一塵を一劫として、経尽しては又始め又始め、かくのごとく上の諸塵の尽し経たるを三千塵点とは申すなり。 今三周の声聞と申して舎利弗・迦葉・阿難・羅云なんど申す人人は、過去遠遠劫三千塵点劫のそのかみ、大通智勝仏と申せし仏の、第十六の王子にてをはせし菩薩ましましき。 かの菩薩より法華経を習ひけるが、悪縁にすかされて法華経を捨つる心つきにけり。 かくして或は華厳経へをち、或は般若経へをち、或は大集経へをち、或は涅槃経へをち、或は大日経、或は深密経、或は観経等へをち、或は阿含小乗経へをちなんどしけるほどに、次第に堕ちゆきて後には人天の善根、後に悪にをちぬ。 かくのごとく堕ちゆく程に三千塵点劫が間、多分は無間地獄、少分は七大地獄、たまたまには一百余の地獄、まれには餓鬼・畜生・修羅なんどに生れ、大塵点劫なんどを経て人天には生れ候けり。 されば法華経の第二の巻に云く「常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること己が舎宅の如し」等云云。 十悪をつくる人は等活・黒縄なんど申す地獄に堕て、五百生或は一千歳を経、五逆をつくれる人は無間地獄に堕て、一中劫を経て後は又かへりて生ず。いかなる事にや候らん。 法華経をすつる人は、すつる時はさしも父母を殺すなんどのやうに、をびただしくはみへ候はねども、無間地獄に堕ては多劫を経候。 設父母を一人二人十人百人千人万人十万人百万人億万人なんど殺して候とも、いかんが三千塵点劫をば経候べき。 一仏二仏十仏百仏千仏万仏乃至億万仏を殺したりとも、いかんが五百塵点劫をば経候べき。 しかるに法華経をすて候ひけるつみによりて、三周の声聞が三千塵点劫を経、諸大菩薩の五百塵点劫を経候けることをびただしくをぼへ候。 せんするところは拳をもつて虚空を打てばくぶし(拳)いたからず、石を打てばくぶしいたし。悪人を殺すは罪あさし、善人を殺すは罪ふかし。 或は他人を殺すは拳をもつて泥を打つがごとし。父母を殺すは拳をもつて石を打つがごとし。 鹿をほうる犬は頭われず、師子を吠る犬は腸くさる。日月をのむ修羅は頭七分にわれ、仏を打ちし提婆は大地われて入りにき。所対によりて罪の軽重はありけるなり。 さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ、十方の仏の身より血を出す罪にもこへて候けるゆへに、三五の塵点をば経候けるなり。 此の法華経はさてをきたてまつりぬ。又此の経を経のごとくにとく人に値ふことは難にて候。 設ひ一眼の亀の浮木には値ふとも、はちす(蓮)のいと(糸)をもつて須弥山をば虚空にかくとも、法華経を経のごとく説く人にあひがたし。 されば 梵漢を空にうかべ、一切経を胸にたたへ、仏舎利を筆のさきより雨らし、牙より光を放ち給ひし聖人なり。 時の人も日月のごとく恭敬し、後の人も眼目とこそ渇仰せしかども、伝教大師これをせめ給ふには「雖讃法華経 還死法華心」等云云。 言は彼の人の心には法華経をほむとをもへども、理のさすところは法華経をころす人になりぬ。 善無畏三蔵は月支国うぢやうな(烏仗那)国の国王なり。位をすて出家して天竺五十余の国を修行して顕密二道をきわめ、後には漢土にわたりて玄宗皇帝の御師となる。 尸那日本の真言師、誰か此人のながれにあらざる。かかるたうとき人なれども一時に頓死して閻魔のせめにあはせ給ふ。いかなりけるゆへとも人しらず。 日蓮此れをかんがへたるに本は法華経の行者なりしが、大日経を見て法華経にまされりといゐしゆへなり。 されば舎利弗・目連等が三五の塵点を経しことは十悪五逆の罪にもあらず、謀反八虐の失にてもあらず。 但悪知識に値て法華経の信心をやぶりて権経にうつりしゆへなり。 天台大師釈して云く「若し悪友に値へば則ち本心を失ふ」云云。 本心と申すは法華経を信ずる心なり。失ふと申すは法華経の信心を引きかへて余経へうつる心なり。 結句は一人になりて日本国に流浪すべきみ(身)にて候。又たちとどまるみ(身)ならばけさん(見参)に入り候。恐恐謹言。 されば法華経を信ずる人のをそるべきものは、賊人・強盗・夜打ち・虎・狼・師子等よりも、当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人人なり。 此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり。 六道の中に二十五有と申すろう(篭)をかまへて一切衆生を入るるのみならず、妻子と申すほだしをうち、父母主君と申すあみ(網)をそら(空)にはり、貪・瞋・痴の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす。 但あく(悪)のさかな(肴)のみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ。たまたま善の心あれば障碍をなす。 法華経を信ずる人をばいかにもして悪へ堕さんとをもうに、叶はざればやうやくすかさんがために相似せる華厳経へをとしつ。杜順・智厳・法蔵・澄観等是なり。 又般若経へすかしをとす。悪友は嘉祥・僧詮等是なり。又深密経へすかしをとす。悪友は玄奘・慈恩是なり。 又大日経へすかしをとす。悪友は善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証是なり。 又禅宗へすかしをとす。悪友は達磨・恵可等是なり。又観経へすかしをとす悪友は、善導・法然是なり。 此は第六天の魔王が智者の身に入て善人をたぼらかすなり。法華経第五の巻に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は是なり。 設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入て、法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり。何に況や其の已下の人人にをいてをや。 又第六天の魔王或は妻子の身に入て親や夫をたぼらかし、或は国王の身に入て法華経の行者ををどし、或は父母の身に入て孝養の子をせむる事あり。 悉達太子は位を捨てんとし給ひしかば羅■羅はらまれてをはしませしを、浄飯王此の子生れて後出家し給へといさめられしかば、魔が子ををさへて六年なり。 舎利弗は昔禅多羅仏と申せし仏の末世に、菩薩の行を立てて六十劫を経たりき。 既に四十劫ちかづきしかば百劫にてあるべかりしを、第六天の魔王、菩薩の行の成ぜん事をあぶなしとや思ひけん。 婆羅門となりて眼を乞ひしかば相違なくとらせたりしかども、其より退する心出来て舍利弗は無量劫が間無間地獄に堕ちたりしぞかし。 大荘厳仏の末の六百八十億の檀那等は、苦岸等の四比丘にたぼらかされて、普事比丘を怨てこそ大地微塵劫が間無間地獄を経しぞかし。 師子音王仏の末の男女等は、勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を笑てこそ、無量劫が間地獄に堕ちつれ、今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり。 法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」。又云く「一切世間怨多くして信じ難し」。 涅槃経に云く「横に死殃に羅り訶嘖・罵辱・鞭杖・閉繋・飢餓・困苦・是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云。 設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入て、法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり。何に況や其の已下の人人にをいてをや。 文の心は、我等過去に正法を行じける者にあだをなしてありけるが、今かへりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまねぎこして少苦に値ふなり。 この経文に過去の誹謗によりてやうやうの果報をうくるなかに、或は貧家に生れ、或は邪見の家に生れ、或は王難に値ふ等云云。 この中に邪見の家と申すは 此二つの大難は各各の身に当てをぼへつべし。過去の謗法の罪を滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給ふ。 又法華経の行者をあだむ国主にあへり。経文明明たり、経文赫赫たり。我身は過去に謗法の者なりける事疑ひ給ふことなかれ。 此れを疑て現世の軽苦忍びがたくて、慈父のせめに随て存外に法華経をすつるよしあるならば、我身地獄に堕つるのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕てともにかなしまん事疑ひなかるべし。 大道心と申すはこれなり。各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに、過去の重罪をせめいだし給て候。 たとへばくろがね(鉄)をよくよくきたへば、きずのあらわるるがごとし。石はやけばはい(灰)となる。金はやけば真金となる。 此の度こそまことの御信用はあらわれて、法華経の十羅刹も守護せさせ給ふべきにて候らめ。 雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なり。尸毘王のはと(鳩)は毘沙門天ぞかし。 十羅刹、心み給はんがために父母の身に入らせ給て、せめ給ふこともやあるらん。 それにつけても心あさからん事は後悔あるべし。又前車のくつがへすは後車のいましめぞかし。 今の世にはなにとなくとも道心をこりぬべし。此の世のありさま厭ふともよも厭はれじ。日本の人人定て大苦に値ひぬと見へて候。眼前の事ぞかし。 文永九年二月の十一日にさかんなりし華の大風にをるるがごとく、清絹の大火にやかるるがごとくなりしに、世をいとう人のいかでかなかるらん。 文永十一年の十月ゆき(壱岐)・つしま(馬)のものども一時に死人となりし事は、いかに人の上とをぼすか。 当時もかのうて(討手)に向かいたる人人のなげき、老たるをや(親)、をさなき子、わかき妻、めづらしかりしすみか(住宅)、うちすてて、よしなき海をまほり、雲のみうればはた(旗)かと疑ひ、つりぶね(釣船)のみゆれば兵船かと肝心をけす。 日に一二度山えのぼり、夜に三四度馬にくら(鞍)ををく。現身に修羅道をかんぜり。 各各のせめられさせ給ふ事も、詮するところは国主の法華経のかたきとなれるゆへなり。 国主のかたきとなる事は、持斎等・念仏・真言師等が謗法よりをこれり。 今度ねう(忍)しくらして法華経の御利生心みさせ給へ。日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり。いよいよをづる心ね・すがた・をはすべからず。 定て女人は心よはくをはすれば、ごぜ(御前)たちは心ひるがへりてやをはすらん。がうじやう(強盛)にはがみ(切歯)をしてたゆむ心なかれ。 例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにてうちふるまい、いゐしがごとくすこしもをづる心なかれ。 わだ(和田)が子となりしもの、わかさのかみ(若狭守)が子となりし、将門・貞当(任)が郎従等となりし者、仏になる道にはあらねどもはぢををもへば命をしまぬ習ひなり。 なにとなくとも一度の死は一定なり。いろ(色)ばしあしくて人にわらはれさせ給ふなよ。 あまりにをぼつかなく候へば大事のものがたり一つ申す。白ひ(夷)・叔せい(斉)と申せし者は、胡竹国の王の二人の太子なり。 父の王、弟の叔せいに位をゆづり給ひき。父し(死)して後叔せい位につかざりき。白ひが云く、位につき給へ。叔せいが云く、兄位を継ぎ給へ。 白ひが云く、いかに親の遺言をばたがへ給ふぞと申せしかば、親の遺言はさる事なれども、いかんが兄ををきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ。 周の文王につかへしほどに、文王殷の紂王に打たれしかば、武王百箇日が内にいくさ(軍)ををこしき。 白ひ・叔せいは武王の馬の口にとりつきていさめて云く、をや(親)のし(死)して後三箇年が内にいくさ(軍)ををこすはあに不孝にあらずや。 武王いかりて白ひ・叔せいを打たんとせしかば、大公望せいして打たせざりき。 二人は此の王をうとみてすやう(首陽)と申す山にかくれゐて、わらび(蕨)ををりて命をつぎしかば、麻子と申す者ゆきあひて云く、いかにこれにはをはするぞ、二人上件の事をかたりしかば、麻子が云く、さるにてはわらびは王の物にあらずや。 二人せめられて爾の時よりわらびをくわず。天は賢人をすて給はぬならひなれば、天白鹿と現じて乳をもつて二人をやしなひき。 白鹿去て後に叔せいが云く、此の白鹿の乳をのむだにもうまし、まして肉をくわんといゐしかば、白ひせいししかども天これをききて来らず。二人うへて死ににき。 一生が間賢なりし人も一言に身をほろぼすにや。各各も御心の内はしらず候へば、をぼつかなしをぼつかなし。 釈迦如来は太子にてをはせし時、父の浄飯王太子ををしみたてまつりて出家をゆるし給はず。 四門に二千人のつわものをすへてまほらせ給ひしかども、終にをやの御心をたがへて家をいでさせ給ひき。 一切はをやに随ふべきにてこそ候へども、仏になる道は随はぬが孝養の本にて候か。 されば心地観経には孝養の本をとかせ給ふには「棄恩入無為 真実報恩者」等云云。 言はまことの道に入るには、父母の心に随はずして家を出て仏になるが、まことの恩をほうずるにてはあるなり。 世間の法にも、父母の謀反なんどををこすには随はぬが孝養とみへて候ぞかし。孝経と申す経に見へて候。 天台大師も法華経の三昧に入らせ給てをはせし時は、父母左右のひざ(膝)に住して仏道をさえんとし給ひしなり。此れは天魔の父母のかたち(形)をげんじてさうるなり。 白ひ・すくせいが因縁はさきにかき候ぬ。又第一の因縁あり。日本国の人王第十六代に王をはしき。応神天王と申す。今の八幡大菩薩これなり。 この王の御子二人まします。嫡子をば仁徳、次男は宇治王子。天王次男の宇治の王子に位をゆづり給ひき。 王ほうぎよ(崩御)ならせ給て後、宇治の王子の云く、兄位につき給ふべし。兄の云く、いかにをやの御ゆづりをばもちゐさせ給はぬぞ。 かくのごとくたがいにろむじて、三箇年が間位に王をはせざりき。万民のなげきいうばかりなし。 天下のさいにてありしほどに、宇治の王子云く、我いきてあるゆへにあに位に即き給はずといつて死させ給ひにき。 仁徳これをなげかせ給て、又ふししづませ給ひしかば、宇治の王子いきかへりてやうやうにをほせをかせ給て、又ひきいらせ給ひぬ。 さて仁徳位につかせ給ひたりしかば国をだやかなる上、しんら(新羅)、はくさひ(百済)、かうらい(高麗)も日本国にしたがひて、ねんぐ(年貢)を八十そう(艘)そなへけるとこそみへて候へ。 賢王のなかにも兄弟をだやかならぬれい(例)もあるぞかし。いかなるちぎりにて兄弟かくはをはするぞ。 大夫志殿の御をや(親父)の御勘気はうけ給はりしかども、ひやうへ(兵衛)の志殿の事は今度はよもあに(兄)にはつかせ給はじ。 さるにてはいよいよ大夫志殿のをや(親)の御不審は、をぼろげにてはゆりじなんどをもつて候へば、このわらわ(鶴王)の申し候はまことにてや候らん。 御同心と申し候へばあまりのふしぎさに別の御文をまいらせ候。未来までのものがたり(物語)なに事かこれにすぎ候べき。 西域と申す文にかきて候は、月氏に婆羅■斯国施鹿林と申すところに一の隠士あり。仙の法を成ぜんとをもう。 すでに瓦礫を変じて宝となし、人畜の形をかえけれども、いまだ風雲にのつて仙宮にはあそばざりけり。 此の事を成ぜんがために一の烈士をかたらひ、長刀をもたせて壇の隅に立てて息をかくし言をたつ。よひよりあしたにいたるまでものいはずば仙の法成ずべし。 仙を求る隠士は壇の中に坐して手に長刀をとつて口に神呪をずうす。約束して云く、設ひ死なんとする事ありとも物言ふ事なかれ。烈士云く、死すとも物いはじ。 此の如くして既に夜中を過て夜まさにあけんとす。如何が思ひけん、烈士大に声をあげて呼はる。既に仙の法成ぜず。 隠士烈士に言て云く、何に約束をばたがふるぞ、口惜しき事なりと云ふ。 烈士歎て云く、少し眠てありつれば、昔し仕へし主人自ら来て責めつれども、師の恩厚ければ忍で物いはず。 彼の主人怒て頚をはねんと云ふ。然而又ものいはず。遂に頚を切りつ。中陰に趣く我が屍を見れば惜く歎かし。然而物いはず。 遂に南印度の婆羅門の家に生れぬ。入胎出胎するに大苦忍びがたし。然而息を出さず。又物いはず。 已に冠者となりて妻をとつぎぬ。又親死ぬ。又子をまうけたり。かなしくもあり、よろこばしくもあれども物いはず。此くの如くして年六十有五になりぬ。 我が妻かたりて云く、汝若し物いはずば汝がいとをしみの子を殺さんと云ふ。 時に我思はく、我已に年衰へぬ、此の子を若し殺されなば又子をまうけがたしと思ひつる程に、声をおこすとをもへばをどろきぬと云ひければ、師が云く、力及ばず、我も汝も魔にたぼらかされぬ。終に此の事成ぜずと云ひければ、烈士大に歎きけり。 我心よはくして師の仙法を成ぜずと云ひければ、隠士が云く、我が失なり。兼て誡めざりける事をと悔ゆ。 然れども烈士師の恩を報ぜざりける事を歎て、遂に思ひ死にししぬとかかれて候。 仙の法と申すは漢土には儒家より出で、月氏には外道の法の一分なり。云ふにかひ無き仏教の小乗阿含経にも及ばず、況や通別円をや。況や法華経に及ぶべしや。 かかる浅き事だにも成ぜんとすれば四魔競て成じかたし。何に況や法華経の極理南無妙法蓮華経の七字を、始めて持たん日本国の弘通の始ならん人の、弟子檀那とならん人人の大難の来らん事をば、言をもつて尽し難し、心をもつてをしはかるべしや。 されば天台大師の 仏法漢土に渡て五百余年、南北の十師智は日月に斉く、徳は四海に響きしかども、いまだ一代聖教の浅深・勝劣・前後・次第には迷惑してこそ候ひしが、 智者大師再び仏教をあきらめさせ給ふのみならず、妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して、三国の一切衆生に普く与へ給へり。 此の法門は漢土に始るのみならず、月氏の論師までも明し給はぬ事なり。 然れば章安大師の釈に云く「止観の明静なる前代に未だ聞かず」云云。又云く「天竺の大論尚其の類に非ず」等云云。 其の上 此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずは正法と知るべからず。 第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起る。乃至随ふべからず畏るべからず。之に随へば将に人をして悪道に向はしむ。之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。 此の釈は日蓮が身に当るのみならず、門家の明鏡なり。謹て習ひ伝へて未来の資糧とせよ。 此の釈に三障と申すは煩悩障・業障・報障なり。煩悩障と申すは貪・瞋・痴等によりて障碍出来すべし。業障と申すは妻子等によりて障碍出来すべし。報障と申すは国主父母等によりて障碍出来すべし。又四魔の中に天子魔と申すも是くの如し。 今日本国に我も止観を得たり、我も止観を得たりと云ふ人人、誰か三障四魔競へる人あるや。 之に随へば将に人をして悪道に向はしむと申すは只三悪道のみならず、人天九界を皆悪道とかけり。 されば法華経を除て華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等なり。天台宗を除て余の七宗の人人は、人を悪道に向はしむる獄卒なり。 天台宗の人人の中にも法華経を信ずるやうにて、人を爾前へやるは悪道に人をつかはす獄卒なり。 今二人の人人は隠士と烈士とのごとし。一もかけなば成ずべからず。譬へば鳥の二つの羽、人の両眼の如し。 又二人の御前達は此の人人の檀那ぞかし。女人となる事は物に随て物を随へる身なり。夫たのしくば妻もさかふべし。夫盗人ならば妻も盗人なるべし。 是れ偏に今生計りの事にはあらず。世世生生に影と身と、華と果と、根と葉との如くにておはするぞかし。 木にすむ虫は木をはむ、水にある魚は水をくらふ。芝かるれば蘭なく、松さかうれば柏よろこぶ。草木すら是くの如し。 比翼と申す鳥は身は一つにて頭二つあり。二つの口より入る物一身を養ふ。ひほく(比目)と申す魚は一目づつある故に一生が間はなるる事なし。夫と妻とは是くの如し。 此の法門のゆへには設ひ夫に害せらるるとも悔ゆる事なかれ。一同して夫の心をいさめば竜女が跡をつぎ、末代悪世の女人の成仏の手本と成り給ふべし。 此くの如くおはさば設ひいかなる事ありとも、日蓮が二聖・二天・十羅刹・釈迦・多宝に申して順次生に仏になしたてまつるべし。 心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文なり。 設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさはぐらせ給ふべし。 中にも日蓮が法門は古へこそ信じかたかりしが、今は前前いひをきし事既にあひぬれば、よしなく謗ぜし人人も悔る心あるべし。 設ひこれより後に信ずる男女ありとも、各各にはかへ思ふべからず。 始は信じてありしかども、世間のをそろしさにすつる人人かずをしらず。 其の中に返て本より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり。 在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども、後にすつるのみならず、返て仏をはうじ奉りしゆへに、仏も叶ひ給はず、無間地獄にをちにき。 此の御文は別してひやうへの志殿へまいらせ候。又太夫志殿の女房・兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給ふべし。きかせさせ給ふべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 文永十二年四月十六日 日蓮花押 |