松野殿御返事

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松野殿御返事建治四年二月十三日の概要

【建治四年二月十三日、松野六郎左衛門、聖寿五十七歳、真筆−断存】 
種々の物送り給ひ候ひ畢ぬ。山中のすまゐ思遣せ給て、雪の中ふみ分けて御訪ひ候事、御志定めて法華経・十羅刹も知食し候らん。
さては涅槃経に云く「人命の停まらざることは山水にも過ぎたり、今日存すと雖も明日保ち難し」。
摩耶経に云く「譬へば旃陀羅の羊を駈て屠家に至るが如く、人命も亦是の如く歩歩死地に近づく」。
法華経に云く「三界は安きこと無し、猶火宅の如し、衆苦充満して、甚だ怖畏すべし」等云云。
此れ等の経文は我等が慈父大覚世尊、末代の凡夫をいさめ給ひ、いとけなき子どもをさし驚かし給へる経文なり。
然りと雖も須臾も驚く心なく、刹那も道心を発さず、野辺に捨てられなば一夜の中にはだか(裸)になるべき身をかざらんがために、いとまを入れ衣を重ねんとはげむ。
命終はりなば三日の内に水と成て流れ、塵と成て地にまじはり、煙と成て天にのぼりあともみえずなるべき身を養はんとて、多くの財をたくはふ。此のことはりは事ふり(古)候ぬ。但し当世の体こそ哀れに候へ。
日本国数年の間、打ち続きけかち(飢渇)ゆきて衣食たへ、畜るひをば食ひつくし、結句人をくらう者出来して、或は死人・或は小児・或は病人等の肉を裂取て、魚鹿等に加へて売りしかば人是を買いくへり。此の国存の外に大悪鬼となれり。
又去年の春より今年の二月中旬まで疫病国に充満す。十家に五家、百家に五十家、皆やみ死し、或は身はやまねども心は大苦に値へり。やむ者よりも怖し。
たまたま生残たれども、或は影の如くそいし子もなく、眼の如く面をならべし夫妻もなく、天地の如く憑みし父母もをはせず、生ても何にかせん。
心あらん人人争か世を厭はざらん。三界無安とは仏説き給て候へども法に過て見え候。
然るに予は凡夫にて候へども、かかるべき事を仏兼て説きをかせ給て候を、国王に申しきかせ進らせ候ぬ。
其れにつけて御用は無くして弥怨をなせしかば力及ばず。此の国既に謗法と成りぬ。法華経の敵に成り候へば三世十方の仏神の敵と成れり。
御心にも推せさせ給ひ候へ。日蓮何なる大科有りとも法華経の行者なるべし。
南無阿弥陀仏と申さば何なる大科ありとも念仏者にて無しとは申しがたし。
南無妙法蓮華経と我が口にも唱へ候故に、罵られ、打ちはられ、流され、命に及びしかども、勧め申せば法華経の行者ならずや。
法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む。四の巻には、仏を一中劫罵るよりも末代の法華経の行者を悪む罪深しと説かれたり。七の巻には、行者を軽しめし人人、千劫阿鼻地獄に入ると説き給へり。
五の巻には、我が末世末法に入て法華経の行者有るべし。其の時其の国に持戒・破戒等の無量無辺の僧等集て国主に讒言して、流し失ふべしと説かれたり。
然るにかかる経文かたがた符合し候ひ了ぬ。未来に仏に成り候はん事疑ひなく覚え候。委細は見参の時申すべし。
建治四年戊寅二月十三日  日蓮花押 
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