莚三枚御書
莚三枚御書の概要 【弘安五年三月上旬、南条時光、聖寿六十一歳、真筆断存】 莚三枚・生和布一篭給ひ了ぬ。 抑三月一日より四日にいたるまでの御あそびに、心なぐさみてやせやまいもなをり、虎とるばかりをぼへ候上、此の御わかめ給て師子にのりぬべくをぼへ候。 さては財はところにより、人によつて、かわりて候。此の身延の山には石は多けれども餅なし。こけ(苔)は多けれどもうちしく物候はず。木の皮をはいでしき物とす。むしろ(莚)いかでか財とならざるべき。 億耳居士と申せし長者は足のうらにけ(毛)のをいて候ひし者なり。ありきのところ、いへ(家)の内は申すにをよばず、わた(綿)を四寸しきてふみし人なり。 これはいかなる事ぞと申せば、先世にたうとき僧にくま(熊)のかわ(皮)をしかせしゆへとみへて候。 いわうや日本国は月氏より十万より(余里)をへだてて候辺国なる上、へびす(夷)の島、因果のことはりも弁へまじき上、末法になり候ひぬ。仏法をば信ずるやうにてそしる国なり。 しかるに法華経の御ゆへに名をたたせ給ふ上、御むしろを法華経にまいらせ給ひ候ひぬれば、 |