妙心尼御前御返事
妙心尼御前御返事建治元年八月十六日の概要 【建治元年八月十六日、妙心尼、聖寿五十四歳、真筆−曽存】 あわしがき(泡消柿)二篭、なすび(茄子)一こ、給ひ候ひ了ぬ。 入道殿の御所労の事。唐土に黄帝・扁鵲と申せしくすしあり、天竺に持水・耆婆と申せしくすしあり。これらはその世のたから、末代のくすしの師なり。 仏と申せし人は、これにはにるべくもなきいみじきくすしなり。この仏不死の薬をとかせ給へり。今の妙法蓮華経の五字是なり。しかもこの五字をば「閻浮提人 病之良薬」とこそとかれて候へ。 入道殿は閻浮提の内日本国の人なり。しかも身に病をうけられて候。「病之良薬」の経文顕然なり。其の上蓮華経は第一の薬なり。 はるり(波瑠璃)王と申せし悪王、仏のしたしき女人五百余人を殺して候ひしに、仏、阿難を霊山につかはして青蓮華をとりよせて身にふれさせ給ひしかば、よみかへりて七日ありて利天に生れにき。 蓮華と申す花は、かかるいみじき徳ある花にて候へば、仏、妙法にたとへ給へり。 又人の死ぬる事はやまひにはよらず。当時のゆき(壱岐)・つしま(対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人に一時にうちころされぬ。病あれば死ぬべしといふ事不定なり。 又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はをこり候なり。 又一切の病の中には五逆罪と、一闡提と、謗法をこそおもき病とは仏はいたませ給へ。 今の日本国の人は一人もなく極大重病あり、所謂大謗法の重病なり。今の禅宗・念仏宗・律宗・真言師なり。 これらはあまりに病おもきゆへに、我が身にもおぼへず人もしらぬ病なり。 この病のこうずるゆへに、四海のつわものただいま来りなば、王臣万民みなしづみなん。これをいきてみ候はんまなこ(眼)こそあたあた(徒徒)しく候へ。 入道殿は今生にはいたく法華経を御信用ありとは見え候はねども、過去の宿習のゆへのもよをしによりて、このなが病にしづみ、日日夜夜に道心ひまなし。 今生につくりをかせ給ひし小罪はすでにきへ候ひぬらん。謗法の大悪は又法華経に帰しぬるゆへにきへさせ給ふべし。 ただいまに霊山にまいらせ給ひなば、日いでて十方をみるがごとくうれしく、とくしにぬるものかなと、うちよろこび給ひ候はんずらん。 中有の道にいかなる事もいできたり候はば、日蓮がでし(弟子)なりとなのらせ給へ。 わずかの日本国なれども、さがみ(相模)殿のうちのものと申すをば、さうなくおそるる事候。 日蓮は日本第一のふたうの法師、ただし法華経を信じ候事は、 日蓮が弟子となのらせは給ば、いかなる悪鬼なりとも、よもしらぬよしは申さじとおぼすべし。さては度度の御心ざし申すばかりなし。恐恐謹言。 さる(猿)は木をたのむ、魚は水をたのむ、女人はおとこをたのむ。わかれのをしきゆへにかみ(髪)をそり、そで(袖)をすみにそめぬ。いかでか、十方の仏もあはれませ給はざるべき、法華経もすてさせ給ふべきと、たのませ給へ、たのませ給へ。 八月十六日 日蓮花押 妙心尼御前御返事 |