日女御前御返事
日女御前御返事弘安元年六月二十五日の概要 【弘安元年六月二十五日、日女、聖寿五十七歳、真筆−断存】 御布施七貫文送り給ひ畢ぬ。 属累品の御心は、仏虚空に立ち給て、四百万億那由佗の世界にむさしの(武蔵野)のすすき(芒)のごとく、富士山の木のごとく、ぞくぞくとひざ(膝)をつめよせて頭を地につけ、身をまげ掌をあはせ、あせ(汗)を流し、 つゆ(露)しげくおはせし上行菩薩等・文殊等・大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に、法華経をゆづらんがために、三度まで頂をなでさせ給ふ。譬へば悲母の一子が頂のかみ(髪)をなづるがごとし。 爾の時に上行乃至日月等忝き仰せを蒙て、法華経を末代に弘通せんとちかひ給ひしなり。 薬王品と申すは、昔、喜見菩薩と申せし菩薩、日月浄明徳仏に法華経を習はせ給て、其の師の恩と申し、法華経のたうとさと申し、かん(感)にたへかねて万の重宝を尽くさせ給ひしかども、なを心ゆかずして、 身に油をぬりて千二百歳の間、当時の油にとうしみ(燈心)を入れてたくがごとく、身をたいて仏を供養し、後に七万二千歳が間ひぢ(臂)をともしび(燈)としてたきつくし、法華経を御供養候き。 されば今法華経を後五百歳の女人供養せば、其の功徳を一分ものこさずゆづるべし。譬へば長者の一子に一切の財宝をゆづるがごとし。 妙音品と申すは、東方の浄華宿王智仏の国に妙音菩薩と申せし菩薩あり。 昔の雲雷音王仏の御代に 釈迦如来の娑婆世界にして法華経を説き給ふにまいりて約束申して、末代の女人の法華経を持ち給ふをまもるべしと云云。 観音品と申すは、又普門品と名く、始は観世音菩薩を持ち奉る人の功徳を説て候。此を観音品と名づく。 後には観音の持ち給へる法華経を持つ人の功徳をとけり。此を普門品と名く。 陀羅尼品と申すは、二聖・二天・十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様を説きけり。 二聖と申すは薬王と勇施となり。二天と申すは毘沙門と持国天となり。 十羅刹女と申すは十人の大鬼神女、四天下の一切の鬼神の母なり。又十羅刹女の母あり、鬼子母神是なり。鬼のならひとして人を食す。 人に三十六物あり。所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五臓と六腑と髪と毛と気と命等なり。 而るに下品の鬼神は糞等を食し、中品の鬼神は骨等を食す。上品の鬼神は精気を食す。 此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す。疫病の大鬼神なり。 鬼神に二あり。一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨を食す。悪鬼は法華経の行者を食す。今日本国の去年今年の大疫病は何とか心うべき。 此を答ふべき様は、一には善鬼なり。梵王・帝釈・日月・四天の許されありて法華経の怨を食す。二には悪鬼が第六天の魔王のすすめによりて法華経を修行する人を食す。 善鬼が法華経の怨を食ふことは、官兵の朝敵を罰するがごとし。悪鬼が法華経の行者を食ふは、強盗夜討等が官兵を殺すがごとし。 例せば日本国に仏法の渡てありし時、仏法の敵たりし物部の大連・守屋等も疫病をやみき。蘇我宿祢の馬子等もやみき。 欽明・敏達・用明の三代の国王は、心には仏法・釈迦如来を信じまいらせ給てありしかども、外には国の礼にまかせて天照太神・熊野山等を仰ぎまいらせさせ給ひしかども、 仏と法との信はうすく、神の信はあつかりしかば、強きにひかれて三代の国王疫病疱瘡にして崩御ならせ給ひき。 此をもて上の二鬼をも、今の代の世間の人人の疫病をも、日蓮が方のやみしぬをも心うべし。 されば身をすてて信ぜん人人はやまぬへんもあるべし。又やむともたすかるへんもあるべし。又大悪鬼に値ひなば命を奪はるる人もあるべし。 例せば畠山重忠は日本第一の大力の大将なりしかども、多勢には終にほろびぬ。 又日本国の一切の真言師の悪霊となれると、並に禅宗・念仏者等が日蓮をあだまんがために国中に入り乱れたり。 又梵釈・日月・十羅刹の眷属日本国に乱入せり。両方互に責めとらんとはげむなり。 而るに十羅刹女は総じて法華経の行者を守護すべしと誓はせ給て候へば、一切の法華経を持つ人人をば守護せさせ給ふらんと思ひ候に、法華経を持つ人人も或は大日経はまされりなど申して、真言師が法華経を読誦し候はかへりてそしるにて候なり。 又余の宗宗も此を以て押し計るべし。 又法華経をば経のごとく持つ人人も、法華経の行者を或は貪瞋痴により、或は世間の事により、或はしなじな(品品)のふるまひによつて憎む人あり。 此は法華経を信ずれども信ずる功徳なし。かへりて罰をかほるなり。 例せば父母なんどには謀反等より外は、子息等の身として此に背けば不孝なり。 父が我がいとをしきめ(婦)をとり、母が我がいとをしきをとこ(夫)を奪ふとも、子の身として一分も違はば、現世には天に捨てられ、後生には必ず阿鼻地獄に堕つる業なり。 何に況や、父母にまされる賢王に背かんをや。何に況や、父母・国王に百千万億倍まされる世間の師をや。何に況や、出世間の師をや。何に況や、法華経の御師をや。 黄河は千年に一度すむといへり。聖人は千年に一度出ずるなり。仏は無量劫に一度出世し給ふ。 彼には値ふといへども法華経には値ひがたし。設ひ法華経に値ひ奉るとも、末代の凡夫法華経の行者には値ひがたし。 何ぞなれば末代の法華経の行者は、法華経を説ざる華厳・阿含・方等・般若・大日経等の千二百余尊よりも、末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ若し悩乱する者は頭七分に破れん」云云。 今日本国の者去年今年の疫病と、去正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に並なき疫病なり。聖人の国にあるをあだむゆへと見えたり。 師子を吼る犬は膓切れ、日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり。 日本国の一切衆生すでに三分が二はやみぬ。又半分は死しぬ。今一分は身はやまざれども心はやみぬ。又頭も顕にも冥にも破ぬらん。 罰に四あり、総罰・別罰・冥罰・顕罰なり。聖人をあだめば総罰一国にわたる。又四天下、又六欲・四禅にわたる。賢人をあだめば但敵人等なり。今日本国の疫病は総罰なり。定めて聖人の国にあるをあだむか。 山は玉をいだけば草木かれず。国に聖人あれば其の国やぶれず。山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず。国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人は弁へざるか。 設ひ日月の光ありとも、盲目のために用ゆる事なし。設ひ声ありとも、耳しひのためになにの用かあるべき。日本国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし。 此の一切の眼と耳とをくじりて、一切の眼をあけ、一切の耳に物をきかせんは、いか程の功徳かあるべき。誰の人か此の功徳をば計るべき。 設ひ父母子をうみて眼・耳有りとも、物を教ゆる師なくば畜生の眼・耳にてこそあらましか。 日本国の一切衆生は十方の中には西方の一方、一切の仏の中には阿弥陀仏、一切の行の中には弥陀の名号、此の三を本として余行をば兼ねたる人もあり、一向なる人もありしに、 某去ぬる建長五年より今に至るまで二十余年の間、遠くは一代聖教の勝劣先後浅深を立て、近くは弥陀念仏と法華経の題目との高下を立て申す程に、上一人より下万民に至るまで此の事を用ひず。 或は師師に問ひ、或は主主に訴へ、或は傍輩にかたり、或は我が身の妻子眷属に申す程に、国国・郡郡・郷郷・村村・寺寺・社社に沙汰ある程に、 人ごとに日蓮が名を知り、法華経を念仏に対して念仏のいみじき様、法華経叶ひがたき事、諸人のいみじき様、日蓮わろき様を申す程に、上もあだみ、下も悪む。日本一同に法華経と行者との大怨敵となりぬ。 かう申せば日本国の人人並に日蓮が方の中にも物におぼえぬ者は、人に信ぜられんとあらぬ事を云ふと思へり。 此は仏法の道理を信じたる男女に知らせんれう(料)に申す。各各の心にまかせ給ふべし。 末代に及ても、女房の男をすすめんは、名こそかわりたりとも功徳は但浄徳夫人のごとし。 いはうや此は女房も男も共に御信用あり、鳥の二の羽そなはり、車の二つの輪かかれり。何事か成ぜざるべき。 天あり地あり、日あり月あり、日てり雨ふる、功徳の草木花さき菓なるべし。 次に勧発品と申すは、釈迦仏の御弟子の中に僧はあまたありしかども、迦葉・阿難左右におはしき。王の左右の臣の如し。此は小乗経の仏なり。 又普賢・文殊と申すは一切の菩薩多しといへども、教主釈尊の左右の臣なり。 而るに一代超過の法華経八箇年が間、十方の諸仏菩薩等、大地微塵よりも多く集まり候しに、左右の臣たる普賢菩薩のおはせざりしは不思議なりし事なり。 而れども 仏の御きそく(気色)やあしからんずらんと思ひし故にや、色かへて末代に法華経の行者を守護すべきやうをねんごろに申し上られしかば、仏も法華経を閻浮に流布せんこと、ことにねんごろなるべきと申すにやめ(賞)でさせ給ひけん。 返て上の上位よりも、ことにねんごろに仏ほめさせ給へり。 かかる法華経を末代の女人、二十八品を品品ごとに供養せばやとおぼしめす、但事にはあらず。 宝塔品の御時は多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩あつまらせ給ひぬ。 此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候。 例せば蓮のみ(実)に蓮華の有るがごとく、后の御腹に太子を懐妊せるがごとし。 十善を持てる人、太子と生んとして后の御腹にましませば諸天此を守護す。故に太子をば天子と号す。 法華経二十八品の文字、六万九千三百八十四字、一一の文字は字ごとに太子のごとし。字毎に仏の御種子なり。 闇の中に影あり、人此をみず。虚空に鳥の飛跡あり、人此をみず。大海に魚の道あり、人これをみず。 月の中に四天下の人物一もかけず、人此をみず。而りといへども天眼は此をみる。 日女御前の御身の内心に宝塔品まします。凡夫は見ずといへども、釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり。日蓮又此をすいす。あらたうとしたうとし。 周の文王は老たる者をやしなひていくさ(軍)に勝ち、其の末三十七代八百年の間、すゑずゑ(末末)は、ひが事ありしかども、根本の功によりてさかへさせ給ふ。 当世も又かくの如く、法華経の御かたきに成て候代なれば、須臾も持つべしとはみえねども、故権の大夫殿・武蔵の前司入道殿の御まつりごと(政)いみじくて暫く安穏なるか。其も始終は法華経の敵と成りなば叶ふまじきにや。 此の人人の御僻案には念仏者等は法華経にちいん(知音)なり。日蓮は念仏の敵なり。我等は何れをも信じたりと云云。 日蓮つめて云く、代に大禍なくば古にすぎたる疫病・飢饉・大兵乱はいかに。 召も決せずして法華経の行者を二度まで大科に行ひしはいかに。不便不便。 而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給ふは、釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給ふなり。此の功徳をもてる人 六月二十五日 日蓮花押 日女御前御返事 |