御書の名前
の概要 【建治元年十一月三日、太田乗明、聖寿、真筆−断存】 貴札之を開て拝見す。御痛みの事一たびは歎き二たびは悦びぬ。 維摩詰経に云く「爾の時に長者維摩詰自ら念ずらく寝ねて牀に疾む云云。爾の時に仏文殊師利に告げたまはく、汝維摩詰に行詣して疾を問へ」云云。 大涅槃経に云く「爾の時に如来乃至身に疾有るを現じ。右脇にして臥したもう彼の病人の如くす」云云。法華経に云く「少病少悩」云云。 止観の第八に云く「若し毘耶に偃臥し疾に託て教を興す。乃至、如来滅に寄せて常を談じ、病に因て力を説く」云云。 又云く「病の起る因縁を明すに六有り。一には四大順ならざる故に病む。二には飲食節ならざる故に病む。三には坐禅調はざる故に病む。四には鬼便りを得る。五には魔の所為。六には業の起るが故に病む」云云。 大涅槃経に云く「世に三人の其の病治し難き有り。一には大乗を謗ず。二には五逆罪。三には一闡提。是くの如き三病は世の中の極重なり」云云。 又云く「今世に悪業成就し、乃至、必ず地獄なるべし。乃至、三宝を供養するが故に、地獄に堕せずして現世に報を受く。所謂頭と目と背との痛み」等云云。 止観に云く「若し重罪有て乃至人中に軽く償ふと。此れは是れ業が謝せんと欲する故に病むなり」云云。 天台此の論を承けて云く「譬へば良医の能く毒を変じて薬と為すが如く、乃至今経の得記は即ち是れ毒を変じて薬と為すなり」云云。 故に論に云く「余経は秘密に非ず、法華を秘密と為すなり」云云。 止観に云く「法華能く治す。復称して妙と為す」云云。妙楽云く「治し難きを能く治す。所以に妙と称す」云云。 大経に云く「爾の時に王舎大城の 爾の時に其の母韋提希と字く。種種の薬を以て而も為に之を傅く。其の瘡遂に増して降損有ること無し。王即ち母に白す。是くの如きの瘡は心よりして生ず。四大より起るに非ず。若し衆生能く治する者有りと言はば是の処有ること無けん」云云。 「爾の時に世尊大悲導師 平等大恵妙法蓮華経の第七に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」云云。 已上上の諸文を引て惟に御病を勘ふるに、六病を出でず。其の中の五病は且らく之を置く。第六の業病最も治し難し。 将た又業病に軽き有り、重き有て、多少定まらず。就中、法華誹謗の業病最第一なり。 神農・黄帝・華佗・扁鵲も手を拱き持水・流水・耆婆・維摩も口を閉ず。 但し釈尊一仏の妙経の良薬に限て之を治す。法華経に云く上の如し。 大涅槃経に法華経を指して云く「若し是の正法を毀謗するも能く自ら改悔し還て正法に帰すること有れば乃至此の正法を除て更に救護すること無し。是の故に正法に還帰すべし」云云。 荊谿大師の云く「大経に自ら法華を指して極と為す」云云。又云く「人の地に倒れて還て地に従て起つが如し。故に正の謗を以て邪の堕を接す」云云。 世親菩薩は本小乗の論師なり。五竺の大乗を止めんが為に五百部の小乗論を造る。 後に無著菩薩に値ひ奉て、忽に邪見を飜し、一時此の罪を滅せんが為に、著に向て舌を切らんと欲す。 著止めて云く「汝其の舌を以て大乗を讃歎せよ」と。親忽に五百部の大乗論を造て小乗を破失す。 又一の願を制立せり。我一生の間小乗を舌の上に置かじと。然して後罪滅して弥勒の天に生ず。 馬鳴菩薩は東印度の人、付法蔵の第十三に列れり。本外道の長たりし時、勒比丘と内外の邪正を論ずるに、其の心言下に解けて重科を遮せんが為に自ら頭を刎ねんと擬す。所謂「我、我に敵して堕獄せしむ」。 勒比丘諫め止めて云く「汝頭を切ること勿れ。其の頭と口とを以て大乗を讃歎せよ」と。鳴急に起信論を造て外小を破失せり。月氏の大乗の初なり。 嘉祥寺の吉蔵大師は漢土第一の名匠、三論宗の元祖なり。呉会に独歩し慢幢最も高し。 天台大師に対して已今当の文を諍ひ、立処に邪執を飜破し、謗人謗法の重罪を滅せんが為に、百余人の高徳を相語らい、智者大師を屈請して、身を肉橋と為し、頭に両足を承く。 七年の間、薪を採り水を汲み講を廃し衆を散じ、慢幢を倒さんが為法華経を誦せず。 大師の滅後、随帝に往詣し、双足を■摂し涙を流して別れを告げ、古鏡を観見して自影を慎辱す。業病を滅せんと欲して上の如く懺悔す。 夫れ以みれば一乗の妙経は三聖の金言、已今当の明珠、諸経の頂に居す。 経に云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」。又云く「法華最第一なり」。伝教大師の云く「仏立宗」云云。 予随分大・金・地等の諸の真言の経を勘へたるに、敢へて此の文の会通の明文無し。但畏・智・空・法・覚・証等の曲会に見えたり。 是に知ぬ。釈尊・大日の本意は限て法華の最上に在るなり。 而るに本朝真言の元祖たる法・覚・証等の三大師入唐の時、畏・智・空等の三三蔵の誑惑を果・全等に相承して帰朝し了ぬ。 法華・真言弘通の時三説超過の一乗の明月を隠して、真言両界の蛍火を顕し、剰へ法華経を罵詈して曰く、戯論なり、無明の辺域なり。 自害の謬誤に曰く、大日経は戯論なり、無明の辺域なり。本師既に曲れり。末葉豈直ならんや。源濁れば流清からず等、是れ之を謂ふか。 之に依て日本久しく闇夜と為り、扶桑終に他国の霜に枯れんと欲す。 抑貴辺は嫡嫡の末流の一分に非ずと雖も、将た又檀那の所従なり。身は邪家に処して年久しく、心は邪師に染て月重なる。設ひ大山は頽れ、設ひ大海は乾くとも、此の罪は消え難きか。 然りと雖も宿縁の催す所、又今生に慈悲の薫ずる所、存の外に貧道に値遇して、改悔を発起する故に、未来の苦を償ふも現在に軽瘡出現せるか。 彼の闍王の身瘡は五逆誹法の二罪の招く所なり。仏月愛三昧に入て其の身を照したまえば、 此の禅門の 此の語徴無くんば声を発して一切世間眼は大妄語の人、一乗妙経は綺語の典なり、名を惜しみ給はば世尊験を顕し誓を恐れ給はば諸の賢聖来り護り給へと叫喚したまえと爾か云ふ。 書は言を尽さす。言は心を尽さず。事事見参の時を期せん。恐恐。 十一月三日 日蓮花押 |