千日尼御返事

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千日尼御返事の概要

【弘安三年七月二日、千日尼、聖寿五十九歳、真筆完存】 
こう入道殿の尼ごぜん(御前)の事、なげき入て候。又こいしこいしと申しつたへさせ給へ。
鵞目一貫五百文・のり(海苔)・わかめ(海藻)・ほしい(干飯)・しなじなの物給ひ候ひ了ぬ。法華経の御宝前に申し上げて候。
法華経に云く「若し法を聞く者有らば一として成仏せざること無し」云云。
文字は十字にて候へども法華経を一句よみまいらせ候へば、釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ。
故に妙楽大師の云く「若し法華を弘むるは凡そ一義を消するも、皆一代を混じて其の始末を窮めよ」等云云。始と申すは華厳経、末と申すは涅槃経。
華厳経と申すは仏、最初成道の時、法恵・功徳林等の大菩薩、解脱月菩薩と申す菩薩の請に趣て仏前にてとかれて候。
其の経は天竺・竜宮城・兜率天等は知らず、日本国にわたりて候は六十巻・八十巻・四十巻候。
末と申すは大涅槃経、此れも月氏・竜宮等は知らず、我が朝には四十巻・三十六巻・六巻・二巻等なり。此れより外の阿含経・方等経・般若経等は五千・七千余巻なり。
此れ等の経経は見ずきかず候へども、但法華経の一字一句よみ候へば、彼れ彼れの経経を一字もをとさずよむにて候なるぞ。
譬へば月氏・日本と申すは二字。二字に五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国の大地・大山・草木・人畜等をさまれるがごとし。
譬へば鏡はわづかに一寸二寸三寸四寸五寸と候へども、一尺五尺の人をもうかべ、一丈二丈十丈百丈の大山をもうつすがごとし。
されば此の経文をよみて見候へば、此の経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり。
九界六道の一切衆生、各各心心かわれり。譬へば二人三人乃至百千人候へども、一尺の面の内じち(実)ににたる人一人もなし。心のにざるゆへに面もにず。まして二人十人、六道九界の衆生の心いかんがかわりて候らむ。
されば花をあいし、月をあいし、すき(酸)をこのみ、にがき(苦)をこのみ、ちいさき(小)をあいし、大なるをあいし、いろいろなり。善をこのみ、悪をこのみ、しなじななり。
かくのごとくいろいろに候へども、法華経に入りぬれば唯一人の身、一人の心なり。
譬へば衆河の大海に入て同一鹹味なるがごとく、衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし。
提婆が三逆も、羅■羅が二百五十戒も、同じく仏になりぬ。妙荘厳王(みょうそうごんのう)の邪見も、舎利弗が正見も、同じく授記をかをほれり。此れ即ち無一不成仏のゆへぞかし。
四十余年の内の阿弥陀経等には、舎利弗が七日の百万反大善根をとかれしかども、未顕真実ときらわれしかば、七日ゆ(湯)をわかして大海になげたるがごとし。
ゐ(韋)提希が観経をよみて無生忍を得しかども、正直捨方便とすてられしかば、法華経を信ぜずば返て本の女人なり。
大善も用ふる事なし。法華経に値はざればなにかせん。大悪をも歎く事無かれ。一乗を修行せば提婆が跡をもつぎなん。此等は皆、無一不成仏の経文のむなしからざるゆへぞかし。
されば故阿仏房の聖霊は今いづくにかをはすらんと人は疑ふとも、法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば、霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に、東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候。若し此の事そらごとにて候はば、日蓮がひがめにては候はず。
釈迦如来の「世尊法久後 要当説真実」の御舌も、多宝仏の「妙法華経 皆是真実」の舌相も、四百万億那由佗の国土にあさ(麻)のごとく、いね(稲)のごとく、星のごとく、竹のごとく、ぞくぞくとすきまもなく列なつてをはしましし諸仏如来の、
一仏もかけ給はず広長舌を大梵王宮に指し付けてをはせし御舌どもの、くぢら(鯨)の死にてくされたるがごとく、いわし(鰯)のよりあつまりてくされたるがごとく、皆一時にくちくされて、
十方世界の諸仏如来大妄語の罪にをとされて、寂光の浄土の金るり(瑠璃)の大地はたとわれて、提婆がごとく無間大城にかつぱと入り、法蓮香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱといでて、実報華王の花のその一時に灰燼の地となるべし。
いかでかさる事は候べき。故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずば、諸仏は大苦に堕ち給ふべし。
ただをいて物を見よ、物を見よ。仏のまこと(実)そら(虚)事は此れにて見奉るべし。
さては、をとこ(男)ははしら(柱)のごとし、女はなかわ(桁)のごとし。をとこは足のごとし、女人は身のごとし。をとこは羽のごとし、女はみ(身)のごとし。
羽とみとべちべちになりなば、なにをもつてかとぶべき。はしら(柱)たうれなば、なかは(桁)地に堕ちなん。
いへ(家)にをとこなければ、人のたましゐ(魂)なきがごとし。くうじ(公事)をたれにかいゐあわせん。よき物をばたれにかやしなうべき。
一日二日たがいしをだにもをぼつかなくをもいしに、こぞの三月の二十一日にわかれにしが、こぞ(去年)もまちくらせどまみゆる事なし。
今年もすでに七つき(月)になりぬ。たといわれこそ来らずとも、いかにをとづれ(音信)はなかるらん。
ちりし花も又さきぬ、をちし菓も又なりぬ。春の風もかわらず、秋のけしきもこぞ(去年)のごとし。いかにこの一事のみかわりゆきて、本のごとくなかるらむ。
月は入て又いでぬ、雲はきへて又来る。この人人の出でてかへらぬ事こそ天もうらめしく、地もなげかしく候へさこそをぼすらめ。
いそぎいそぎ法華経をらうれう(粮料)とたのみまいらせ給て、りやうぜん(霊山)浄土へまいらせ給て、みまいらせさせ給ふべし。
抑子はかたきと申す経文もあり。「世人子の為に衆の罪を造る」の文なり。
■・鷲と申すとりは、をやは慈悲をもつて養へば、子はかへりて食とす。梟鳥と申すとりは生れては必ず母をくらう。畜生かくのごとし。
人の中にも、はるり王は心もゆかぬ父の位を奪ひ取る。阿闍世(あじゃせ)王は父を殺せり。
安禄山は養母をころし、安慶緒と申す人は父の安禄山を殺す。安慶緒は子の史師明に殺されぬ。
史師明は史朝義と申す子に又ころされぬ。此れは敵と申すもことわり(理)なり。
善星比丘と申すは教主釈尊の御子なり。苦得外道をかたらいて度度父の仏を殺し奉らんとす。
又子は財と申す経文もはんべり。所以に経文に云く「其の男女追て福を修すれば、大光明有て地獄を照し、其の父母に信心を顕さしむ」等と申す。設ひ仏説ならずとも眼の前に見えて候。
天竺に安足国王と申せし大王は、あまりに馬をこのみてかいしほどに、後にはかいなれて鈍馬を竜馬となすのみならず、牛を馬ともなす。
結句は人を馬となしてのり給ひき。其の国の人あまりになげきしかば、知らぬ国の人を馬となす。
他国の商人のゆきたりしかば、薬をかいて馬となして、御まや(厩)につなぎつけぬ。
なにとなけれども我が国はこいしき上、妻子ことにこいしく、しのびがたかりしかども、ゆるす事なかりしかばかへる事なし。又かへりたりとも、このすがた(姿)にては由なかるべし。
ただ朝夕にはなげきのみにしてありし程に、一人ありし子、父のまちどき(待時)すぎしかば、人にや殺されたるらむ。又病にや沈むらむ。
子の身としていかでか父をたづねざるべきといでたちければ、母なげくらく、男も他国よりかへらず、一人の子もすててゆきなば、我いかんがせんとなげきしかども、子ちちのあまりにこいしかりしかば安足国へ尋ねゆきぬ。
ある小家にやどりて候しかば家の主申すやう、あらふびん(不便)や、わどの(和殿)はをさなき物なり。而もみめかたち人にすぐれたり。
我に一人の子ありしが他国にゆきてしにやしけん、又いかにてやあるらむ。我が子の事ををもへば、わどのをみてめ(目)もあてられず。
いかにと申せば、此の国は大なるなげき有り。此の国の大王あまり馬をこのませ給て不思議の薬を用ひ給へり。
一葉せばき草をくわすれば、人、馬となる。葉の広き草をくわすれば、馬、人となる。近くも他国の商人の有りしを、この草をくわせて馬となして、第一のみまや(御馬屋)に秘蔵してつながれたりと申す。
此の男これ(此)をきいて、さては我が父は馬と成てけりとをもひて、返て問て云く、其の馬は毛はいかにとといければ、家の主答て云く、栗毛なる馬の肩白くぶちたりと申す。
此の物、此の事をききて、とかうはからいて王宮に近づき、葉の広き草をぬすみとりて我が父の馬になりたりしに食せしかば、本のごとく人となりぬ。
其の国の大王不思議なるをもひをなして、孝養の者なりとて父を子にあづけ、其れよりついに人を馬となす事はとどめられぬ。子ならずばいかでか尋ねゆくべき。
目連尊者は母の餓鬼の苦をすくひ、浄蔵(じょうぞう)・浄眼は父の邪見をひるがいす。此れよき子の親の財となるゆへぞかし。
而るに故阿仏聖霊は日本国北海の島のいびす(夷)のみ(身)なりしかども、後生ををそれて出家して後生を願ひしが、流人日蓮に値て法華経を持ち、去年の春仏になりぬ。
尸陀山の野干は仏法に値て、生をいとひ死を願て帝釈と生れたり。阿仏上人は濁世の身を厭て仏になり給ひぬ。
其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す。
子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
七月二日  日蓮花押 
故阿仏房尼御前御返事 

追申。絹の染袈裟一つまいらせ候。豊後房に申し候べし。既に法門日本国にひろまりて候。北陸道をば豊後房なびくべきに学生ならでは叶ふべからず。九月十五日已前にいそぎいそぎまいるべし。
かずの聖教をば日記のごとくたんば(丹波)房にいそぎいそぎつかわすべし。山伏房をばこれより申すにしたがいて、これへはわたすべし。山伏の現にあだまれ候事悦び入て候。

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