四菩薩造立抄

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四菩薩造立抄の概要

【弘安二年五月十七日、富木常忍、聖寿】 
白小袖一・薄墨染衣一・同色の袈裟一帖・鵞目一貫文給ひ候。
今に始めざる御志、言を以て宣べがたし。何れの日を期してか対面を遂げ、心中の朦朧を申し披かんや。
一、御状に云く、本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕り候ひき。然れば聴聞の如くんば何の時かと云云。
夫れ仏、世を去らせ給て二千余年に成りぬ。其の間月氏・漢土・日本国・一閻浮提(いちえんぶだい)の内に仏法の流布する事、僧は稲麻のごとく法は竹葦の如し。
然るにいまだ本門の教主釈尊並に本化の菩薩を造り奉りたる寺は一処も無し。三朝の間に未だ聞かず。
日本国に数万の寺寺を建立せし人人も、本門の教主・脇士を造るべき事を知らず。
上宮太子、仏法最初の寺と号して、四天王寺を造立せしかども、阿弥陀仏を本尊として脇士には観音等四天王を造り副へたり。
伝教大師、延暦(えんりゃく) 寺を立て給ふに、中堂には東方の鵞王の相貌を造て本尊として、久成の教主脇士をば建立し給はず。
南京七大寺の中にも此の事を未だ聞かず。田舎の寺寺以て爾なり。
かたがた不審なりし間、法華経の文を拝見し奉りしかば其の旨顕然なり。末法闘諍堅固の時にいたらずんば造るべからざる旨分明なり。
正像に出世せし論師人師の造らざりしは、仏の禁を重んずる故なり。
若し正法・像法の中に久成の教主釈尊並に脇士を造るならば、夜中に日輪出で日中に月輪の出でたるが如くなるべし。
末法に入て始めの五百年に、上行菩薩の出でさせ給て造り給ふべき故に、正法像法の四依の論師人師は言にも出させ給はず。
竜樹・天親こそ知らせ給ひたりしかども、口より外へ出させ給はず。
天台智者大師も知らせ給ひたりしかども、迹化の菩薩の一分なれば一端は仰せ出させ給ひたりしかども、其の実義をば宣べ出させ給はず。
但ねざめの枕に時鳥の一音を聞きしが如くにして、夢のさめて止ぬるやうに弘め給ひ候ぬ。
夫れより已外の人師はまして一言をも仰せ出し給ふ事なし。
此等の論師人師は霊山にして、迹化の衆は末法に入らざらんに、正像二千年の論師人師は、本門久成の教主釈尊並に久成の脇士地涌上行等の四菩薩を、影ほども申出すべからずと御禁ありし故ぞかし。
今末法に入れば尤も仏の金言の如くんば、造るべき時なれば本仏本脇士造り奉るべき時なり。
当時は其の時に相当れば、地涌の菩薩やがて出でさせ給はんずらん。
先ず其れ程に四菩薩を建立し奉るべし。尤も今は然るべき時なりと云云。
されば天台大師は後の五百歳遠く妙道に沾はんとしたひ、伝教大師は正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有り法華一乗の機今正に是れ其の時なりと恋いさせ給ふ。
日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提(いちえんぶだい)第一の富る者なり。
是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり、感涙押へ難く、教主釈尊の御恩報じ奉り難し。
恐らくは付法蔵の人人も日蓮には果報は劣らせ給ひたり。天台智者大師・伝教大師等も及び給ふべからず。最も四菩薩を建立すべき時なり云云。
問て云く、四菩薩を造立すべき証文之れ有りや。答て云く、涌出品に云く「四の導師有り、一をば上行と名け、二をば無辺行と名け、三をば浄行と名け、四をば安立行と名く」等云云。
問て云く、後五百歳に限るといへる経文之れ有りや。答て云く、薬王品に云く「我が滅度の後、後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」等云云。
一、御状に云く、大田方の人人、一向に迹門に得道あるべからずと申され候由、其の聞え候と。
是は以ての外の謬なり。御得意候へ。本迹二門の浅深・勝劣・与奪・傍正は時と機とに依るべし。
一代聖教を弘むべき時に三あり。機もつて爾なり。仏滅後正法の始の五百年は一向小乗、後の五百年は権大乗、像法一千年は法華経の迹門等なり。
末法の始には一向に本門なり。一向に本門の時なればとて迹門を捨つべきにあらず。法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文之れ無し。
本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時、爾前迹門は正法像法、或は末法は本門の弘まらせ給ふべき時なり。今の時は正には本門、傍には迹門なり。
迹門無得道と云て、迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給ふ人人は、いまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ。以ての外の僻見なり。
私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替て、人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候。つたなしつたなし。
此の法門は年来貴辺に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり。
総じて日蓮が弟子と云て法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ。
さだにも候はば、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。其れさへ尚人人の御心中は量りがたし。
一、日行房死去の事、不便に候。是にて法華経の文読み進らせて、南無妙法蓮華経と唱へ進らせ、願くは日行を釈迦・多宝・十方の諸仏霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候ひぬ。
身の所労いまだきらきらしからず候間、省略せしめ候。又又申すべく候。恐恐謹言。
弘安二年五月十七日  日蓮花押 
富木殿御返事 

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