四条金吾殿御返事
四条金吾殿御返事建治元年七月二十二日の概要 【建治元年七月二十二日、四条頼基、聖寿五十三歳】 態と御使喜び入て候。又柑子五十・鷲目五貫文給ひ候ひ畢ぬ。各々御供養と云云。 又御文の中に云く、去る十六日に有る僧と寄合て候時、諸法実相の法門を申し合ひたりと云云。 今経は出世の本懐、一切衆生皆成仏道の根元と申すも、只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり。 されば伝教大師は万里の波涛をしのぎ給て相伝しまします此の文なり。一句万了の一言とは是なり。 当世・天台宗の開会の法門を申すも、此の経文を悪く意得て邪義を云ひ出し候ぞ。 只此の経を持て南無妙法蓮華経と唱へて、「正直捨方便 但説無上道」と信ずるを、諸法実相の開会の法門とは申すなり。 其の故は釈迦仏・多宝如来・十方三世の諸仏を証人とし奉り候なり。 相構へてかくの如く心得させ給て、諸法実相の四の文字を時時あぢわへ給ふべし。 良薬に毒をまじうる事有るべきや。うしほ(潮)の中より河の水を取り出す事ありや。 月は夜に出で、日は昼出で給ふ。此の事諍ふべきや。此れより後には加様に意得給て、御問答あるべし。 但し細細は論難し給ふべからず。猶も申さばそれがし(我等)の師にて候日蓮房に御法門候へと、うち咲て打ち返し打ち返し仰せ給ふべく候。 法門を書きつる間、御供養の志は申さず候。有り難し有り難し。委くは是よりねんごろに申すべく候。 建治元年乙亥七月二十二日 日蓮花押 四条中務三郎左衛門尉殿御返事 |