神国王御書

ホームへ 資料室へ 御書の目次へ メール

神国王御書の概要

【文永十二年二月、南条時光、聖寿五十四歳、真筆断存】 
夫れ以れば、日本国を亦水穂の国と云ひ、亦野馬台、又秋津島、又扶桑等云云。
六十六ケ国・二つの島・已上六十八ケ国。東西三千余里、南北は不定なり。此の国に五畿七道あり。
五畿と申すは山城・大和・河内・和泉・摂津等なり。七道と申すは東海道十五箇国・東山道八箇国・北陸道七箇国・山陰道八ケ国・山陽道八ケ国・南海道六ケ国・西海道十一ケ国。亦鎮西と云ひ、又太宰府と云云。已上此れは国なり。
国主をたづぬれば神世十二代は天神七代・地神五代なり。天神七代の第一は国常立尊、乃至第七は伊奘諾尊男なり。伊奘册尊妻なり。
地神五代の第一は天照太神、伊勢太神宮日の神是なり。いざなぎいざなみの御女なり。乃至第五は彦波瀲武有草葺不合尊。此の神は第四のひこほ(彦火)の御子なり。母は竜の女なり。已上地神五代。已上十二代は神世なり。
人王は大体百代なるべきか。其の第一の王は神武天皇、此れはひこなぎさ(彦波瀲)の御子なり。
乃至第十四は仲哀天皇〈八幡御父なり〉。第十五は神功皇后〈八幡御母なり〉。第十六は応神天皇にして仲哀と神功の御子、今の八幡大菩薩なり。
乃至第二十九代は宣化天皇なり。此の時までは月支漢土には仏法ありしかども、日本国にはいまだわたらず。
第三十代は欽明天皇。此の皇は第二十七代の継体の御嫡子なり。治三十二年。此の皇の治十三年〈壬申〉十月十三日〈辛酉〉、百済国の聖明皇、金銅の釈迦仏を渡し奉る。今日本国の上下万人一同に阿弥陀仏と申す此れなり。
其の表の文に云く「臣聞く万法の中には仏法最善し。世間の道にも仏法最上なり。天皇陛下亦修行あるべし。故に敬て仏像・経教・法師を捧げて使に附して貢献す。宜しく信行あるべき者なり」〈已上〉。
然りといへども欽明・敏達・用明の三代三十余年は崇め給ふ事なし。其の間の事さまざまなりといへども、其の時の天変地夭は今の代にこそにて候へども、今は亦其の代にはにるべくもなき変夭なり。
第三十三代崇峻天皇の御宇より仏法我が朝に崇められて、第三十四代推古天皇の御宇に盛にひろまりき。此の時三論宗と成実宗と申す宗始めて渡て候ひき。
此の三論宗は、月氏にても、漢土にても、日本にても大乗宗の始なり。故に宗の母とも、宗の父とも申す。
人王三十六代皇極天皇の御宇に禅宗わたる。人王四十代天武の御宇に法相宗わたる。人王四十四代元正天皇の御宇に大日経わたる。人王四十五代に聖武天皇の御宇に華厳宗を弘通せさせ給ふ。
人王四十六代孝謙天皇の御宇に律宗と法華宗わたる。しかりといへども、唯律宗計りを弘めて、天台法華宗は弘通なし。
人王第五十代に最澄と申す聖人あり。法華宗を我と見出して、倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗等の六宗をせめをとし給ふのみならず、漢土に大日宗と申す宗有りとしろしめせり。
同じき御宇に漢土にわたりて四宗をならいわたし給ふ。所謂法華宗・真言宗・禅宗・大乗の律宗なり。
しかりといへども、法華宗と律宗とをば弘通ありて、禅宗をば弘め給はず。
真言宗をば宗の字をけづり、七大寺等の諸僧に灌頂を許し給ふ。然れども世間の人人はいかなるという事をしらず。
当時の人人の云く、此の人は漢土にて法華宗をば委細にならいて、真言宗をばくはしくも知ろし食し給はざりけるか、とすいし申すなり。
同じき御宇に空海と申す人漢土にわたりて、真言宗をならう。しかりといへども、いまだ此の御代には帰朝なし。人王第五十一代に平城天皇の御宇に帰朝あり。
五十二代嵯峨の天皇の御宇に弘仁十四年〈癸卯〉正月十九日に、真言宗の住処東寺を給て護国教王院とがうす。伝教大師御入滅の一年の後なり。
人王五十四代仁明天皇の御宇に、円仁和尚漢土にわたりて、重ねて法華真言の二宗をならいわたす。
人王五十五代文徳天皇の御宇に、仁寿と斉衝とに、金剛頂経の疏・蘇悉地経の疏、已上十四巻を造て、大日経の義釈に並べて真言宗の三部とがうし、比叡山の内に総持院を建立し、真言宗を弘通する事此の時なり。
叡山に真言宗を許されしかば、座主両方を兼ねたり。しかれども法華宗をば月のごとく、真言宗をば日のごとしといいしかば、諸人等は真言宗はすこし勝れたりとをもへけり。
しかれども座主は両方を兼ねて兼学し給ひけり。大衆も又かくのごとし。
同じき御宇に円珍和尚と申す人御入唐。漢土にして法華・真言の両宗をならう。同じき御宇に天安二年に帰朝す。
此の人は本朝にしては叡山第一の座主義真、第二の座主円澄、別当光定、第三の座主円仁等に法華・真言の両宗をならいきわめ給ふのみならず、又東寺の真言をも習ひ給へり。
其の後に漢土にわたりて法華・真言の両宗をみがき給ふ。今の三井寺の法華・真言の元祖智証大師此れなり。已上四大師なり。
総じて日本国には真言宗に又八家あり。東寺に五家、弘法大師を本とす。天台に三家、慈覚大師を本とす。
人王八十一代をば安徳天皇と申す。父は高倉院の長子、母は太政入道の女建礼門院なり。
此の王は元暦元年〈乙巳〉三月二十四日八島にして海中に崩じ給ひき。
此の王は源ノ頼朝将軍にせめられて海中のいろくづ(魚族)の食となり給ふ。
人王八十二代は隠岐の法王と申す。高倉の第三の王子、文治元年〈丙午〉御即位なり。
八十三代には阿波の院、隠岐の法皇の長子、建仁二年に位を継ぎ給ふ。
八十四代には佐渡の院、隠岐の法皇の第二の王子、承久三年〈辛巳〉二月二十六日に王位につき給ふ。同じき七月に佐渡の島にうつされ給ふ。
此の二三四の三王は父子なり。鎌倉の右大将の家人義時にせめられさせ給へるなり。
此に日蓮大いに疑て云く、仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の、師なり主なり親なり。
三界の諸王の皆は此の釈迦仏より分ち給て、諸国の総領・別領等の主となし給へり。
故に梵釈等は此の仏を或は木像、或は画像等にあがめ給ふ。須臾も相背かば、梵王の高台もくづれ、帝釈の喜見もやぶれ、輪王もかほり(冠)落ち給ふべし。
神と申すは又国国の国主等の崩去し給へるを生身のごとくあがめ給ふ。
此れ又国王・国人のための父母なり、主君なり、師匠なり。片時もそむかば国安穏なるべからず。
此れを崇むれば国は三災を消し七難を払ひ、人は病なく長寿を持ち、後生には人天と三乗と仏となり給ふべし。
しかるに我が日本国は一閻浮提(いちえんぶだい)の内、月氏漢土にもすぐれ、八万の国にも超えたる国ぞかし。
其の故は月氏の仏法は西域記等に載せられて候、但だ七十余国なり。其の余は皆外道の国なり。
漢土の寺は十万八千四十所なり。我が朝の山寺は十七万一千三十七所なり。
此の国は月氏漢土に対すれば、日本国に伊豆の大島を対せるがごとし。寺をかずうれば漢土月氏のも雲泥すぎたり。
かれは又大乗の国・小乗の国・大乗も権大乗の国なり。此れは寺ごとに八宗十宗をならい、家家宅宅に大乗を読誦す。
彼の月氏漢土等は仏法を用ゆる人は千人に一人なり。此の日本国は外道一人もなし。
其の上神は又第一天照太神、第二八幡大菩薩、第三は山王等の三千余社なり。昼夜に我が国をまほり、朝夕に国家を見そなわし給ふ。
其の上天照太神は内侍所と申す明鏡にかげ(影)をうかべ、内裏にあがめられ給ひ、八幡大菩薩は宝殿をすてて、主上の頂を栖とし給ふと申す。
仏の加護と申し、神の守護と申し、いかなれば彼の安徳と隠岐と阿波佐渡等の王は相伝の所従等にせめられて、或は殺され、或は島に放たれ、或は鬼となり、或は大地獄には堕ち給ひしぞ。
日本国の叡山・七寺・東寺・園城等の十七万一千三十七所の山山寺寺に、いささかの御仏事を行ふには皆天長地久・玉体安穏とこそいのり給ひ候へ。
其の上八幡大菩薩は殊に天王守護の大願あり。人王第四十八代に高野天皇の玉体に入り給て云く「我が国家開闢より以来臣を以て君と為すこと未だ有らざる事なり。天之日嗣は必ず皇緒を立つ」等云云。
又太神行教に付して云く「我に百王守護の誓ひ有り」等云云。されば神武天皇より已来百王にいたるまでは、いかなる事有りとも玉体はつつがあるべからず、王位を傾くる者も有るべからず。
一生補処の菩薩は中夭なし、聖人は横死せずと申す。いかにとして彼れ彼の四王は王位ををいをとされ、国をうばはるるのみならず、命を海にすて、身を島島に入れ給ひけるやらむ。
天照太神は玉体に入りかわり給はざりけるか。八幡大菩薩の百王の誓はいかにとなりぬるぞ。
其の上安徳天皇の御宇には、明雲の座主御師となり、太上入道並に一門怠状を捧げて云く「彼の興福寺を以て藤氏の氏寺と為し、春日の社を以て藤氏の氏神と為すが如く、延暦(えんりゃく) 寺を以て平氏の氏寺と号し、日吉の社を以て平氏の氏神と号す」云云。
叡山には明雲座主を始めとして三千人の大衆五壇の大法を行ひ、大臣以下は家家に尊勝陀羅尼・不動明王を供養し、諸寺諸山には奉幣し、大法秘法を尽くさずという事なし。
又承久の合戦の御時は、天台の座主慈円・仁和寺の御室・三井等の高僧等を相催して、日本国にわたれる所の大法秘法残りなく行はれ給ふ。
所謂承久三年〈辛巳〉四月十九日に十五壇の法を行はる。天台の座主は一字金輪法等なり。
五月二日は仁和寺の御室、如法愛染明王法を紫宸殿にて行ひ給ふ。又六月八日御室、守護経法を行ひ給ふ。
已上四十一人の高僧十五壇の大法。此の法を行ふ事は日本に第二度なり。
権の大夫殿は此の事を知り給ふ事なければ御調伏も行ひ給はず。又いかに行ひ給ふとも、彼の法法、彼の人人にはすぐべからず。
仏法の御力と申し、王法の威力と申し、彼は国主なり、三界の諸王守護し給ふ。
此れは日本国の民なり、わづかに小鬼ぞまほりけん。代代の所従、重重の家人なり。
譬へば王威を用て民をせめば、鷹の雉をとり、猫のねずみを食ひ、蛇のかへる(蛙)をのみ、師子王の兎を殺すにてこそ有るべけれ。
なにしにか、かろがろしく天神地祇(てんじんちぎ)には申すべき。仏菩薩をばをどろかし奉るべき。
師子王が兎をとらむには精進すべきか。たか(鷹)がきじ(雉)を食んにはいのり有るべしや。
いかにいのらずとも、大王の身として民を失はんには、大水の小火をけし、大風の小雲を巻くにてこそ有るべけれ。
其の上大火に枯木を加ふるがごとく、大河に大雨を下すがごとく、王法の力に大法を行ひ合せて、頼朝と義時との本命と元神とをば、梵王と帝釈等に抜き取らせ給ふ。譬へば古酒に酔へる者のごとし。蛇の蝦の魂を奪ふがごとし。
頼朝と義時との御魂・御名・御姓をばかきつけて、諸尊・諸神等の御足の下にふませまいらせていのりしかば、いかにもこらうべしともみへざりしに、いかにとして一年一月も延びずして、わづかに二日・一日にはほろび給ひけるやらむ。
仏法を流布の国主とならむ人人は、能く能く御案ありて、後生をも定め、御いのりも有るべきか。
而るに日蓮此の事を疑ひしゆへに、幼少の比より随分に顕密二道並に諸宗の一切の経を、或は人にならい、或は我れと開見し、勘へ見て候へば、故の候ひけるぞ。
我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず。
仁王経・金光明経(こんこうみょうきょう)・最勝王経・守護経・涅槃経・法華経等の諸大乗経を開き見奉り候に、仏法に付て国も盛へ人の寿も長く、又仏法に付て国もほろび、人の寿も短かかるべしとみへて候。
譬へば水は能く船をたすけ、水は能く船をやぶる。五穀は人をやしない、人を損ず。
小波・小風は大船を損ずる事かたし。大波・大風には小船をやぶれやすし。
王法の曲るは小波・小風のごとし。大国と大人をば失ひがたし。仏法の失あるは大風・大波の小船をやぶるがごとし。国のやぶるる事疑ひなし。
仏記に云く、我滅するの後、末代には悪法悪人の国をほろぼし仏法を失には失すべからず。
譬へば三千大千世界の草木を薪として須弥山をやくにやけず。劫火の時、須弥山の根より大豆計りの火出でて須弥山やくが如く、我が法も又此くの如し。
悪人・外道・天魔・破旬・五通等にはやぶられず。仏のごとく、六通の羅漢のごとく、三衣を皮のごとく身に紆い、一鉢を両眼にあてたらむ持戒の僧等と、大風の草木をなびかすがごとくなる高僧等、我が正法を失ふべし。
其の時梵釈・日月・四天いかりをなし、其の国に大天変・大地夭等を発していさめむに、いさめられずば、其の国の内に七難ををこし、
父母・兄弟・王臣・万民等互に大怨敵となり、梟鳥が母を食ひ、破鏡が父をがいするがごとく、自国をやぶらせて、結句他国より其の国をせめさすべしとみへて候。
今日蓮一代聖教の明鏡をもつて日本国を浮べ見候に、此の鏡に浮て候人人は国敵・仏敵たる事疑ひなし。一代聖教の中に法華経は明鏡の中の神鏡なり。
銅鏡等は人の形をばうかぶれども、いまだ心をばうかべず。法華経は人の形を浮ぶるのみならず、心をも浮べ給へり。心を浮ぶるのみならず、先業をも未来をも鑑み給ふ事くもりなし。
法華経の第七の巻を見候へば「如来の滅後にをいて、仏の所説の経の因縁及び次第を知り、義に随て実の如く説かん。日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」等云云。
文の心は、此の法華経を一字も一句も説く人は必ず一代聖教の浅深と次第とを能く能く弁へたらむ人の説くべき事に候。
譬へば暦の三百六十日をかんがうるに、一日も相違せば万日倶に反逆すべし。
三十一字を連ねたる一句一字も相違せば、三十一字共に歌にて有るべからず。
謂る一経を読誦すとも始め寂滅道場より終り双林最後にいたるまで次第と浅深とに迷惑せば、其の人は我が身に五逆を作らずして無間地獄に入り、此れを帰依せん檀那も阿鼻大城に堕つべし。
何に況や智人一人出現して一代聖教の浅深勝劣を弁へん時、元祖が迷惑を相伝せる諸僧等、或は国師となり、或は諸家の師となりなんどせる人人、自のきず(疵)が顕るる上、人にかろしめられん事をなげきて、
上に挙ぐる一人の智人を、或は国主に訴へ、或は万人にそしらせん。
其の時守護の天神等の国をやぶらん事は、芭蕉の葉を大風のさき、小舟を大波のやぶらむがごとしと見へて候。
無量義経は始め寂滅道場より終り般若経にいたるまでの一切経を、或は名を挙げ、或は年紀を限て未顕真実(みけんしんじつ)と定めぬ。
涅槃経と申すは仏最後の御物語に、初め初成道より五十年の諸教の御物語、四十余年をば無量義経のごとく邪見の経と定め、法華経をば我が主君と号し給ふ。
中に法華経ましまして已今当の勅宣を下し給ひしかば、多宝・十方の諸仏加判ありて各各本土にかへり給ひしを、月氏の付法蔵の二十四人は但小乗・権大乗を弘通して法華経の実義を宣べ給ふ事なし。
譬へば日本国の行基菩薩と鑑真和尚との法華経の義を知り給て弘通なかりしがごとし。
漢土の南北の十師は内にも仏法の勝劣を弁へず、外にも浅深に迷惑せり。
又三論宗の吉蔵・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩、此れ等の人人は内にも迷ひ外にも知らざりしかども、道心堅固の人人なれば名聞をすてて天台の義に付きにき。
知らず、されば此の人人は懺悔の力に依て生死やはなれけむ。将た又謗法の罪は重く、懺悔の力は弱くして、阿闍世(あじゃせ)王・無垢論師等のごとく地獄にや堕ちにけん。
善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等の三三蔵は、一切の真言師の申すは大日如来より五代六代の人人、即身成仏の根本なり等云云。
日蓮勘へて云く、法偸の元祖なり、盗人の根本なり。此れ等の人人は月氏よりは大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を齎(もたら)し来る。
此の経経は華厳経・般若経・涅槃経等に及ばざる上、法華経に対すれば七重の下劣なり。経文に見へて赫赫たり、明明たり。
而るを漢土に来て天台大師の止観等の三十巻を見て、舌をふるい心をまよわして、此れに及ばずば我が経弘通しがたし、勝れたりといはんとすれば妄語眼前なり、いかんがせんと案ぜし程に、一つの深き大妄語を案じ出だし給ふ。
所謂大日経の三十一品を法華経二十八品並に無量義経に腹合せに合せて、三密の中の意密をば法華経に同じ、其の上に印と真言とを加へて、法華経は略なり、大日経は広なり。
已にも入れず、今にも入れず、当にもはづれぬ。法華経をかたうど(方人)として三説の難を脱れ、結句は印と真言とを用て法華経を打ち落して真言宗を立てて候。譬へば三女が后と成て三王を喪せしがごとし。
法華経の流通の涅槃経の第九に、我れ滅して後の悪比丘等我が正法を滅すべし、譬へば女人のごとし、と記し給ひけるは是なり。
されば善無畏三蔵は閻魔王にせめられて、鉄の縄七脉つけられて、からくして蘇りたれども、又死する時は黒皮隠隠として骨甚だ露焉と申して、無間地獄の前相其の死骨に顕れ給ひぬ。人死して後色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定むる所なり。
金剛智・不空等も又此れをもつて知ぬべし。此の人人は改悔は有りと見へて候へども、強盛の懺悔のなかりけるか。
今の真言師は又あへて知る事なし。玄宗皇帝の御代の喪ひし事も不審はれて候。
日本国は又弘法・慈覚・智証、此の謗法を習ひ伝へて自身も知ろしめさず、人は又をもいもよらず。
且くは法華宗の人人相論有りしかども、終には天台宗やうやく衰へて、叡山五十五代の座主明雲、人王八十一代の安徳天皇より已来は叡山一向に真言宗となりぬ。
第六十一代の座主顕真権僧正は、天台座主の名を得て真言宗に遷るのみならず、然る後法華・真言をすてて一向謗法の法然が弟子となりぬ。
承久調伏の上衆慈円僧正は、第六十二代並に五・九・七十一代の四代の座主、隠岐の法皇の御師なり。
此等の人人は善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・慈覚・智証等の真言をば、器はかわれども一の智水なり。
其の上天台宗の座主の名を盗て法華経の御領を知行して三千の頭となり、一国の法の師と仰がれて、大日経を本として七重くだれる真言を用て八重勝れりとをもへるは、天を地とをもい、民を王とあやまち、石を珠とあやまつのみならず、珠を石という人なり。
教主釈尊・多宝仏・十方の諸仏の御怨敵たるのみならず、一切衆生の眼目を奪ひ取り、三善道の門を閉ぢ、三悪道の道を開く。
梵釈・日月・四天等の諸天善神、いかでか此の人を罰せさせ給はざらむ。いかでか此の人の仰く檀那をば守護し給ふべき。
天照太神の内待所も、八幡大菩薩の百王守護の御ちかいも、いかでか叶はせ給ふべき。
余此の由を且つ知りしより已来、一分の慈悲に催されて粗随分の弟子にあらあら申せし程に、次第に増長して国主まで聞えぬ。
国主は理を親とし非を敵とすべき人にてをはすべきが、いかがしたりけん、諸人の讒言ををさめて一人の余をすて給ふ。
彼の天台大師は南北の諸人あだみしかども、陳隋二代の帝重んじ給ひしかば、諸人の怨もうすかりき。
此の伝教大師は南都七大寺讒言せしかども、桓武・平城・嵯峨の三皇用ひ給ひしかば、怨敵もをかしがたし。
今日蓮は日本国十七万一千三十七所の諸僧等のあだするのみならず、国主用ひ給はざれば、万民あだをなす事父母の敵にも超え、宿世のかたきにもすぐれたり。結句は二度の遠流、一度の頭に及ぶ。
彼の大荘厳仏の末法の四比丘並に六百八十万億那由佗の諸人が普事比丘一人をあだみしにも超へ、師子音王仏の末の勝意比丘・無量の弟子等が喜根比丘をせめしにも勝れり。
覚徳比丘がせめられし、不軽菩薩が杖木をかをほりしも、限りあれば此れにはよもすぎじとぞをぼへ候。
若し百千にも一つ日蓮法華経の行者にて候ならば、日本国の諸人後生の無間地獄はしばらくをく、現身には国を失ひ他国に取られん事、彼の徽宗・欽宗のごとく、優陀延王・訖利多王等に申せしがごとくならん。
又其の外は、或は其の身は白癩・黒癩、或は諸悪重病疑ひなかるべきか。もし其の義なくば又日蓮法華経の行者にあらじ。
此の身現身には白癩・黒癩等の諸悪重病を受け取り、後生には提婆・瞿伽利等がごとく無間大城に堕つべし。
日月を射奉る修羅は其の矢還て我が眼に立ち、師子王を吼る狗犬は我が腹をやぶる。
釈子を殺せし波琉璃王は水中の大火に入り、仏の御身より血を出だせし提婆達多は現身に阿鼻の炎を感ぜり。
金銅の釈尊をやきし守屋は四天王の矢にあたり、東大寺・興福寺を焼きし清盛入道は現身に其身もうる病をうけにき。
彼等は皆大事なれども、日蓮が事に合すれば小事なり。小事すら猶しるしあり、大事いかでか現罰なからむ。
悦ばしいかな、経文に任せて五五百歳広宣流布をまつ。悲いかな、闘諍堅固の時に当て此の国修羅道となるべし。
清盛入道と頼朝とは源平の両家、本より狗犬と猿猴とのごとし。少人・少福の頼朝をあだせしゆへに、宿敵たる入道の一門ほろびし上、科なき主上の西海に沈み給ひし事は不便の事なり。
此れは教主釈尊・多宝・十方の諸仏の御使として世間には一分の失なき者を、一国の諸人にあだまするのみならず、両度の流罪に当てて日中に鎌倉の小路をわたす事朝敵のごとし。
其の外小庵には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて、仏像・経巻を諸人にふまするのみならず、糞泥にふみ入れ、日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候ひしをとりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ。
此の事如何なる宿意もなし、当座の科もなし。ただ法華経を弘通する計りの大科なり。
日蓮天に向て声をあげて申さく、法華経の序品を拝見し奉れば、梵釈と日月と四天と竜王と阿修羅と二界八番の衆と無量の国土の諸神と集会し給ひたりし時、已今当に第一の説を聞きし時、我とも雪山童子の如く身を供養し薬王菩薩の如く臂をもやかんとをもいしに、
教主釈尊、多宝・十方の諸仏の御前にして、今仏前に於て自ら誓言を説けと諫暁し給ひしかば、幸に順風を得て、世尊の勅の如く当に具さに奉行すべしと、二処三会の衆一同に大音声を放て誓ひ給ひしは、いかんが有るべき。
唯仏前にては是くの如く申して多宝十方の諸仏は本土にかへり給ふ。
釈尊は御入滅ならせ給てほど久くなりぬれば、末代辺国に法華経の行者有りとも、梵釈・日月等御誓ひをうちわすれて守護し給ふ事なくば、日蓮がためには一旦のなげきなり。
無始已来鷹の前のきじ(雉)、蛇の前のかへる(蛙)、猫の前のねずみ(鼠)、犬の前のさる(猿)と有りし時もありき。
ゆめ(夢)の代なれば仏・菩薩・諸天にすかされまいらせたりける者にてこそ候はめ。
なによりもなげかしき事は、梵と帝と日月と四天等の、南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値ふをすてさせ給て、現身に天の果報も尽て花の大風に散るがごとく雨の空より下るがごとく、其人命終入阿鼻獄と無間大城に堕ち給はん事こそ、あわれにはをぼへ候へ。
設ひ彼の人人三世十方の諸仏をかたうど(方人)として知らぬよしのべ申し給ふとも、日蓮は其の人々には強きかたきなり。
若し仏の返(偏)頗をはせずば、梵釈・日月・四天をば無間大城には必ずつけたてまつるべし。
日蓮が眼と■とをそろしくば、いそぎいそぎ仏前の誓ひをばはたし給へ。日蓮が口 
又むぎ(麦)ひとひつ(一櫃)・鵞目両貫・わかめ・かちめ・みな一俵給ひ畢ぬ。干い(飯)・やきごめ各各一かうぶくろ(紙袋)給ひ畢ぬ。
一々の御志はかきつくすべしと申せども、法門巨多に候へば留め畢ぬ。他門にきかせ給ふなよ。大事の事どもかきて候なり。

ホームへ 資料室へ 御書の目次へ メール