曽谷二郎入道殿御返事
の概要 【弘安四年閏七月一日、曽谷教信、聖寿】 日蓮 去る七月十九日の消息、同三十日到来す。 世間の事は且らく之を置く。専ら仏法に逆ふこと法華経の第二に云く「其人命終 入阿鼻獄」等云云。 問て云く、其の人とは、何等の人を指すや。答て云く、次上に云く「唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受」と。 又云く「若人不信」と。又云く「或復顰蹙」と。又云く「見有読誦書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨」と。又第五に云く「生疑不信者、即当堕悪道」と。 第八に云く「若有人軽毀之言 汝狂人耳。空作是行 終無所獲」等云云。 「其人」とは、此れ等の人人を指すなり。彼の震旦国の天台大師は、南北十師等を指すなり。此の日本国の伝教大師は、六宗の人人と定めたるなり。 今日蓮は弘法・慈覚・智証等の三大師、並に三階・ 入阿鼻獄とは、涅槃経第十九に云く「仮使ひ一人独り是の獄に堕ち、其の身長大にして八万由延なり。其の中間に遍満して空しき処無し、其の身周匝して種種の苦を受く。設ひ多人有て、身亦遍満すとも相い妨碍せず」。 同三十六に云く「沈没して阿鼻地獄に在て、受くる所の身形、縦広八万四千由旬ならん」等云云。 普賢経に云く「方等経を謗ずる是の大悪報、悪道に堕つべきこと、暴雨にも過ぎ、必定して当に阿鼻地獄に堕つべし」等とは、阿鼻獄に入る文なり。 日蓮云く、夫れ日本国は、道は七、国は六十八箇国、郡は六百四、郷は一万余、長さは三千五百八十七里。 人数は四十五億八万九千六百五十九人、或は云く四十九億九万四千八百二十八人なり。寺は一万一千三十七所、社は三千一百三十二社なり。今法華経の「入阿鼻獄」とは、此れ等の人人を指すなり。 問て云く、衆生に於て悪人善人の二類有り。生処も又善悪の二道有るべし。何ぞ日本国の一切衆生、一同に入阿鼻獄の者と定むるや。 答て云く、人数多しと雖も業を造ること是れ一なり。故に同じく阿鼻獄と定むるなり。 疑て云く、日本国の一切衆生の中に、或は善人、或は悪人あり。善人とは五戒・十戒、乃至二百五十戒等なり。悪人とは、殺生・偸盗、乃至五逆・十悪等是なり。何ぞ一業と云ふや。 答て云く、夫れ小善・小悪は異なりと雖も、法華経の誹謗に於ては、善人悪人・智者愚者、倶に妨げ之れ無し。是の故に同じく入阿鼻獄と云ふなり。 問て云く、何を以てか日本国の一切衆生を、一同に法華誹謗の者と言ふや。 答て云く、日本国の一切衆生衆多なりと雖も、四十五億八万九千六百五十九人に過ぎず。 此等の人人貴賎上下の勝劣有りと雖も、是くの如きの人人の憑む所は、唯三大師に在り。 師とする所三大師を離る事無し。余残の者有りと雖も、信行・善導等の家を出ずべからざるなり。 問て云く、三大師とは誰人ぞや。答て曰く、弘法・慈覚・智証の三大師なり。 疑て云く、此の三大師は、何なる重科有るに依て、日本国の一切衆生於経文の其の人の内に入るや。 答て云く、此の三大師は大小乗持戒の人、面には八万の威儀を備へ、或は三千等之を具す。顕密兼学の智者なり。 然れば則ち、日本国四百余年の間、上一人より下万民に至るまで、之を仰ぐこと日月の如く、之を尊むこと世尊の如し。 猶徳の高きこと須弥にも超え、智恵の深きことは蒼海にも過ぎたるが如し。 但恨むらくは法華経を大日真言経に相対して勝劣を判ずる時は、或は戯論の法と云ひ、或は第二第三と云ひ、或は教主を無明の辺域と名け、或は行者をば盗人と名く。 彼の大荘厳仏の末の六百四万億那由佗の四衆の如き。各各の業因異りと雖も、師の苦岸等の四人と倶に同じく無間地獄に入りぬ。 又師子音王仏の末法の無量無辺の弟子等の中にも、貴賎の異有りと雖も、同じく勝意が弟子と為るが故に、一同に阿鼻大城に堕ちぬ。 今日本国亦復是くの如し。去る 疑て云く、汝が分斉何を以て三大師を破するや。答て云く、予は敢て彼の三大師を破せざるなり。 問て云く、汝が上の義は如何。答て云く、月氏より漢土本朝に渡る所の経論は五千七十余巻なり。 予粗之を見るに、弘法・慈覚・智証に於ては、世間の科は且く之を置く。仏法に入ては、謗法第一の人人と申すなり。 大乗を誹謗する者は、箭を射るより早く地獄に堕すとは如来の金言なり。将又謗法罪の深重は弘法・慈覚等一同定め給ひ畢ぬ。 人の語は且く之を置く。釈迦・多宝の二仏の金言虚妄ならずんば、弘法・慈覚・智証に於ては定めて無間大城に入らん。 十方分身の諸仏の舌堕落せずんば、日本国中の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生は、彼の苦岸等の弟子檀那等の如く、阿鼻地獄に堕て、熱鉄の上に於て仰ぎ臥して、九百万億歳、 伏臥して九百万億歳、左脇に臥して九百万億歳、右脇に臥して九百万億歳、是くの如く熱鉄の上に在て三千六百万億歳なり。 然して後、此の阿鼻より転じて他方に生れて大地獄に在て、無数百千万億那由佗歳大苦悩を受けん。 彼は小乗経を以て権大乗を破せしも、罪を受くること是くの如し。 況や今三大師は 深重の罪は、過現未来の諸仏も、争か之を窮むべけんや。争か之を救ふべけんや。 法華経の第四に云く「已説今説当説 而於其中 此法華経 最為 他経に於ては、華厳・方等・般若・深密・大雲・密厳・ 此等の説有りと雖も、全く已今当の第一に非ざるなり。然而るに末の論師人師等、謬執の年積り、門徒又繁多なり。 爰に日蓮彼の依経に無きの由を責むる間、弥よ瞋恚を懐て、是非を糾明せず。唯大妄語を構へて、国主国人等を誑惑し、日蓮を損ぜんと欲す。 衆千の難を蒙らしむるのみに非ず、両度の流罪、剰へ頚の座に及ぶ是なり。 此等の大難忍び難き事不軽の杖木にも過ぎ、将又勧持の刀杖にも越えたり。 又法師品の如きは「末代に法華経を弘通せん者は、如来の使なり、此の人を軽賎するの輩の罪は、教主釈尊を一中劫蔑如するに過ぎたり」等云云。 今日本国には提婆達多・大慢婆羅門等が如く、無間地獄に堕つべき罪人、国中三千五百八十七里の間に、満つる所の四十五億八万九千六百五十九人の衆生之れ有り。 彼の提婆・大慢等の無極の重罪を、此の日本国四十五億八万九千六百五十九人に対せば、軽罪中の軽罪なり。 問ふ、其の理如何。答ふ、彼等は、悪人為りと雖も、全く法華を誹謗する者には非ざるなり。 又提婆達多は恒河第二の人にして、第二に一闡提なり。今日本国四十五億八万九千六百五十九人は皆恒河第一の罪人なり。 然れば則ち提婆が三逆罪は軽毛の如し、日本国の上に挙ぐる所の人人の重罪は猶大石の如し。 定めて梵釈も日本国を捨て、同生同名も国中の人を離れ、天照太神・八幡大菩薩も争か此の国を守護せん。 去る治承等の八十一二三四五代の五人の大王と、頼朝・義時と此の国を御諍ひ有て、天子と民との合戦なり。 猶鷹駿と金鳥との勝負の如くなれば、天子頼朝等に勝たんこと必定なり、決定なり。 然りと雖も五人の大王は負け畢ぬ。兎、師子王に勝ちしなり。負くるのみに非ず、剰へ或は蒼海に沈み、或は島島に放たれ。 誹謗法華未だ年歳を積まざる時、猶以て是くの如し。今度は彼に似るべからず。彼は但国中の災い許りなり。 其の故は粗之を見るに、蒙古の牒状已前に、去る正嘉・文永等の大地震・大彗星の告げに依て、再三之を奏すと雖も、国主敢て信用無し。 然るに日蓮が勘文粗仏意に叶ふかの故に、此の合戦既に興盛なり。 此の国の人人今生には一同に修羅道に堕し、後生には皆阿鼻大城に入らん事、疑ひ無き者なり。 爰に貴辺と日蓮とは師檀の一分なり。然りと雖も、有漏の依身は国主に随ふが故に、此の難に値はんと欲するか。 感涙押へ難し、何れの代にか対面を遂げんや。唯一心に霊山浄土を期せらるべきか。 設ひ身は此の難に値ふとも、心は仏心に同じ。今生は修羅道に交はるとも、後生は必ず仏国に居せん。恐恐謹言。 弘安四年閏七月一日 日蓮花押 |