諸教と法華経と難易の事
諸教と法華経と難易の事の概要 弘安三年五月 五十九歳御作 問うて云く法華経の第四法師品に云く 問うて云く此の義を知つて何の詮か有る答えて云く生死の長夜を照す大燈元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか随他意とは真言宗華厳宗等は随他意の易信易解なり仏九界の衆生の意楽に随つて説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随 うが如し、仏仏界に随つて説く所の経を随自意という、 譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり、日蓮此の義に付て大日経華厳経涅槃経等を勘え見候に皆随他意の経経なり、問うて云く其の随他意の証拠如何、答えて云く勝鬘経に云く「非法を聞くこと無き衆生には人天の善根を以て之を成熟す声聞を求むる者には 声聞乗を授け縁覚を求むる者には、縁覚乗を授け大乗を求むる者には授くるに大乗を以てす」と云云、易信易解の心是なり、華厳大日般若涅槃等又是くの如し「爾の時に世尊薬王菩薩に因せて八万の大士に告げたまわく薬王汝是の大衆の中の無量の諸天竜王夜 叉乾闥婆阿修羅迦楼羅緊那羅摩・羅伽人と非人と及び比丘比丘尼優婆塞優婆夷の声聞を求むる者辟支仏を求むる者仏道を求むる者を見るや、是くの如き等類咸く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて一念も随喜する者には我皆記を与え授く当に阿○菩提を得 べし」文、諸経の如くんば人は五戒天は十善梵は慈悲喜捨魔王には一無遮比丘の二百五十比丘尼の五百戒声聞の四諦縁覚の十二因縁菩薩の六度譬へば水の器の方円に随い象の敵に随つて力を出すがごとし、法華経は爾らず八部四衆皆一同に法華経を演説す、譬へば定木の曲りを削り師子王の剛弱を嫌わずして大力を出すがごとし。 此の明鏡を以て一切経を見聞するに大日の三部浄土の三部等隠れ無し、而るをいかにやしけん弘法慈覚智証の御義を本としける程に此の義すでに隠没して日本国四百余年なり、珠をもつて石にかへ栴檀を凡木にうれり、仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁 乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり、幸なるは我が一門仏意に随つて自然に薩般若海に流入す、世間の学者の若きは随他意を信じて苦海に沈まんことなり、委細に旨又又申す可く候、恐恐。 五月廿六日 日蓮花押 富木殿御返事 |