衆生身心御書
衆生身心御書の概要 【弘安元年、聖寿五十七歳、真筆完存】 衆生の身心をとかせ給ふ。其の衆生の心にのぞむとてとかせ給へば、人の説なれども衆生の心をいでず。かるがゆへに随他意の経となづけたり。 譬へばさけ(酒)もこのまぬをや(親)の、きわめてさけ(酒)をこのむいとをしき子あり。 かつはいとをしみ、かつは心をとらんがために、かれ(彼)にさけをすすめんがために、父母も酒をこのむよしをするなり。しかるをはかなき子は、父母も酒をこのみ給ふとをもへり。 提謂経と申す経は人天の事をとけり。阿含経と申す経は二乗の事をとかせ給ふ。華厳経と申す経は菩薩のことなり。 方等・般若経等は或は阿含経・提謂経ににたり。或は華厳経にもにたり。 此れ等の経経は末代の凡夫これをよみ候へば、仏の御心に叶ふらんとは行者はをもへども、くはしくこれをろむずれば己が心をよむなり。己が心は本よりつたなき心なれば、はかばかしき事なし。 法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給ふ。仏の御心はよき心なるゆへに、たといしらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし。 麻の中のよもぎ(蓬)、つつ(筒)の中のくちなは(蛇)、よき人にむつぶもの、なにとなけれども心もふれまひも言もなをしくなるなり。 法華経もかくのごとし。なにとなけれどもこの経を信じぬる人をば、仏の、よき物とをぼすなり。 此の法華経にをひて、又機により、時により、国により、ひろむる人により、やうやうにかわりて候をば、等覚の菩薩までもこのあわひ(間)をばしらせ給はずとみへて候。まして末代の凡夫はいかでか、はからひををせ候べき。 しかれども人のつかひに三人あり。一人はきわめてこざかしき。一人ははかなくもなし、又こざかしからず。一人はきわめてはかなくたしかなる。 此の三人に第一はあやまちなし。第二は第一ほどこそなけれども、すこしこざかしきゆへに、主の御ことばに私の言をそうるゆへに、第一のわるきつかいとなる。 第三はきわめてはかなくあるゆへに、私の言をまじへず。きわめて正直なるゆへに主の言ばをたがへず。第二よりもよき事にて候。あやまつて第一にもすぐれて候なり。 正直 第一をば月支の四依にたとう。第二をば漢土の人師にたとう。第三をば末代の凡夫の中に愚痴にして正直なる物にたとう。 正直 仏在世はしばらく此れををく。仏の御入滅の次の日より一千年をば正法と申す。 この正法一千年を二つにわかつ。前の五百年が間は小乗経ひろまらせ給ふ。ひろめし人人は迦葉・阿難等なり。 後の五百年は馬鳴・竜樹・無著・天親等、権大乗経を弘通せさせ給ふ。 法華経をばかたはし(片端)計りかける論師もあり。又つやつや申しいださぬ人もあり。 正法一千年より後の論師の中には、少分は仏説ににたれども、多分をあやまりあり。あやまりなくして而もたらざるは、迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親等なり。 像法に入り一千年、漢土に仏法わたりしかば、始めは儒家と相論せしゆへに、いとまなきかのゆへに、仏教の内の大小権実の沙汰なし。 やうやく仏法流布せし上、月支よりかさねがさね仏法わたり来るほどに、前の人人はかしこきやうなれども、後にわたる経論をもつてみればはかなき事も出来す。 又はかなくをもひし人人も、かしこくみゆる事もありき。結句は十流になりて千万の義ありしかば、愚者はいづれにつくべしともみへず。 智者とをぼしき人は辺執かぎりなし。而れども最極は一同の義あり。所謂一代第一は華厳経・第二は涅槃経・第三は法華経なり。 此の義は上一人より下万民にいたるまで異義なし。大聖とあうぎし法雲法師・智蔵法師等の十師の義一同なりしゆへなり。 而るを像法の中の陳・隋の代に智■と申す小僧あり。後には智者大師とがうす。 法門多しといへども、詮するところ法華・涅槃・華厳経の勝劣の一つ計りなり。智■法師の云く、仏法さかさまなり云云。 陳主此の事をたださんがために、南北の十師の最頂たる恵■僧上・恵光僧都・恵栄・法歳法師等の百有余人を召し合はせられし時、法華経の中には「諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云。又云く「已今当説 最為 已とは無量義経に云く「摩訶般若・華厳海空」等云云。当とは涅槃経に云く「般若はら(波羅)蜜より大涅槃を出だす」等云云。 此の経文は華厳経・涅槃経には法華経勝ると見ゆる事赫赫たり明明たり、御会通あるべしとせめしかば、或は口をとぢ、或は悪口をはき、或は色をへんじなんどせしかども、陳主立て三拝し、百官掌をあわせしかば、力及ばずまけにき。 一代の中には第一法華経にてありしほどに、像法の後の五百に新訳の経論重ねてわたる。 大宗皇帝の貞観三年に玄奘と申す人あり。月支に入て十七年、五天の仏法を習ひきわめて、貞観十九年に漢土へわたりしが、深密経・瑜伽論・唯識論・法相宗をわたす。 玄奘云く「月支に宗宗多しといへども、此の宗第一なり」。大宗皇帝は漢土第一の賢王なり。玄奘を師とす。 此の宗の所詮に云く「或は三乗方便一乗真実、或は一乗方便三乗真実」。又云く「五性は各別なり、決定性と無性の有情は永く仏に成らず」等云云。 此の義は天台宗と水火なり。而も天台大師と章安大師は御入滅なりぬ。其の已下の人人は人非人なり。すでに天台宗破れてみへしなり。 其の後則天皇后の御世に華厳宗立つ。前に天台大師にせめられし六十巻の華厳経をばさしをきて、後に日照三蔵のわたせる新訳の華厳経八十巻をもつて立てたり。 此の宗のせんにいわく、華厳経は根本法輪、法華経は枝末法輪等云云。 則天皇后は尼にてをはせしが内外典にこざかしき人なり。慢心たかくして天台宗をさげをぼしてありしなり。法相といゐ、華厳宗といゐ、二重に法華経かくれさせ給ふ。 其の後玄宗皇帝の御宇に月支より善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経と申す三経をわたす。 此の三人は人がらといゐ、法門といゐ、前前の漢土の人師に対すべくもなき人人なり。 而も前になかりし印と真言とをわたす。ゆへに仏法は已前には此の国になかりけりとをぼせしなり。 此の人人の云く、天台宗は華厳・法相・三論には勝れたり。しかれども此の真言経には及ばずと云云。 其の後妙楽大師は天台大師のせめ給はざる法相宗・華厳宗・真言宗をせめ給て候へども、天台大師のごとく公場にてせめ給はざれば、ただ闇夜のにしきのごとし。 法華経になき印と真言と現前なるゆへに、皆人一同に真言まさりにて有りしなり。 像法の中に日本国に仏法わたり、所謂欽明天皇の六年なり。欽明より桓武にいたるまで二百余年が間は三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の六宗弘通せり。 真言宗は人王四十四代元正天皇の御宇にわたる。天台宗は人王第四十五代聖武天皇の御宇にわたる。しかれどもひろまる事なし。 桓武の御代に最澄法師、後には伝教大師とがうす。入唐已前に六宗を習ひきわむる上、十五年が間天台・真言の二宗を山にこもり給て御覧ありき。 入唐已前に天台宗をもつて六宗をせめしかば、七大寺皆せめられて最澄の弟子となりぬ。六宗の義やぶれぬ。 後 同代に空海という人あり、後には弘法大師とがうす。 此の人の義に云く、法華経は尚華厳経に及ばず。何に況や真言にをひてをや。 伝教大師の御弟子に円仁という人あり、後に慈覚大師とがうす。去ぬる承和五年の御入唐、同十四年に御帰朝、十年が間真言・天台の二宗をがくす。 日本国にて伝教大師・義真・円澄に天台・真言の二宗を習ひきわめたる上、漢土にわたりて十年が間八箇の大徳にあひて真言を習ひ、宗叡・志遠等に値ひ給て天台宗を習ふ。 日本に帰朝して云く、天台宗と真言宗とは同じく醍醐なり。倶に深秘なり等云云。宣旨を申してこれにそう。 其の後円珍と申す人あり、後には智証大師とがうす。入唐已前には義真和尚の御弟子なり。 日本国にして義真・円澄・円仁等の人人に天台・真言の二宗習ひきわめたり。 其の上去ぬる仁嘉三年に御入唐、同貞観元年に御帰朝、七年が間天台・真言の二宗を法全・良■等の人人に習ひきわむ。 天台・真言の二宗の勝劣は鏡をかけたり。後代に一定あらそひありなん、定むべしと云て、天台・真言の二宗は譬へば人の両の目・鳥の二の翼のごとし。 此の外異義を存ぜん人人をば祖師伝教大師にそむく人なり、山に住むべからずと宣旨を申しそへて弘通せさせ給ひき。 されば漢土日本に智者多しといへども、此の義をやぶる人はあるべからず。 此の義まことならば習ふ人人は必ず仏にならせ給ひぬらん。あがめさせ給ふ国王等は必ず世安穏にありぬらんとをぼゆ。 但し予が愚案は、人に申せども御もちゐあるべからざる上、身のあだとなるべし。又きかせ給ふ弟子檀那も安穏なるべからずとをもひし上、其の義又たがわず。但此の事は一定仏意には叶はでもやあるらんとをぼへ候。 法華経一部八巻二十八品には此の経に勝れたる経をはせば、此の法華経は十方の仏あつまりて大妄語をあつめさせ給へるなるべし。 随て華厳・涅槃・般若・大日経・深密等の経経を見るに「諸経の中に於て最も其の上に在り」の明文をやぶりたる文なし。 随て善無畏等、玄奘等、弘法・慈覚・智証等、種種のたくみあれども、法華経を大日経に対してやぶりたる経文はいだし給はず。但印と真言計りの有無をゆへとせるなるべし。 数百巻のふみ(文)をつくり、漢土日本に往復して無尽のたばかりをなし、宣旨を申しそへて人ををどされんよりは、 経文分明ならばたれか疑をなすべき。 つゆ(露)つもりて河となる、河つもりて大海となる、塵つもりて山となる、山かさなりて須弥山となれり。小事のつもりて大事となる。 何に況や此の事は最も大事なり。疏をつくられけるにも両方の道理文証をつくさるべかりけるか。又宣旨も両方を尋ね極めて、分明の証文をかきのせていましめ(誡)あるべかりけるか。 已今当の経文は仏すらやぶりがたし。何に況や論師・人師・国王の威徳をもつてやぶるべしや。 已今当の経文をば梵王・帝釈・日月・四天等聴聞して、各各の宮殿にかきとどめてをはするなり。 まことに已今当の経文を知らぬ人の有る時は、先の人人の邪義はひろまりて失なきやうにてはありとも、此の経文をつよく立て退転せざるこわ物出来しなば、大事出来すべし。 いやしみて或はのり、或は打ち、或はながし、或は命をたたんほどに、梵王・帝釈・日月・四天をこりあひて此の行者のかたうど(方人)をせんほどに、存外に天のせめ来て民もほろび国もやぶれんか。 法華経の行者はいやしけれども、守護する天こわし。例せば修羅が日月をのめば頭七分にわる、犬は師子をほゆればはらわたくさる。今予みるに日本国かくのごとし。 又此れを供養せん人人は法華経供養の功徳あるべし。伝教大師釈して云く「讃めん者は福を安明に積み、謗せん者は罪を無間に開かん」等云云。 ひへ(稗)のはん(飯)を辟支仏に供養せし人は宝明如来となり。つち(土)のもちゐ(餅)を仏に供養せしかば閻浮提の王となれり。 設ひこうをいたせども、まことならぬ事を供養すれば、大悪とはなれども善とならず。 設ひ心をろかにすこしきの物なれども、まことの人に供養すればこう大なり。何に況や心ざしありてまことの法を供養せん人人をや。 其の上当世は世みだれて民の力よわし。いとまなき時なれども心ざしのゆくところ、山中の法華経へまうそう(孟宗)がたかんな(笋)ををくらせ給ふ。福田によきたねを下させ給ふか。なみだ(涙)もとどまらず。 |