出家功徳御書

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出家功徳御書の概要

【弘安二年五月、聖寿五十八歳】 
近日誰やらん承て申し候は、内内還俗の心中出来候由、風聞候ひけるは、実事にてや候らん、虚事にてや候らん。心元なく候間、一筆啓せしめ候。
凡父母の家を出でて僧となる事は、必ず父母を助くる道にて候なり。
出家功徳経に云く「高さ三十三天に百千の塔婆を立つるよりも、一日出家の功徳は勝れたり」と。
されば其の身は無智無行にもあれ、かみ(髪)をそり、袈裟をかくる形には天魔も恐をなすと見えたり。
大集経に云く「頭を剃り袈裟を著くれば、持戒及び毀戒(きかい)も天人供養すべし。則ち仏を供養するに為りぬ」云云。
又一経の文に、有人海辺をとをる、一人の餓鬼あつて喜び踊れり。其の謂れを尋ぬれば、我が七世の孫、今日出家になれり。其の功徳にひかれて出離生死せん事、喜ばしきなりと答へたり。
されば出家と成る事は、我が身助かるのみならず、親をも助け、上無量の父母まで助かる功徳あり。
されば人身をうくること難く、人身をうけても出家と成ること尤も難し。
然るに悪縁にあふて還俗の念起る事、浅ましき次第なり。金を捨てて石をとり、薬を捨てて毒をとるが如し。
我が身悪道に堕つるのみならず、六親眷属をも悪道に引かん事、不便の至極なり。
其の上在家の世を渡る辛労一方ならず、やがて必ず後悔あるべし。只親のなされたる如く、道をちがへず出家にてあるべし。
道を違へずば十羅刹女の御守り堅かるべし。道をちがへたる者をば、神も捨てさせ給へる理りにて候なり。
大勢至経に云く「衆生五の失有り必ず悪道に堕ちん、一には出家還俗の失なり」。又云く「出家の還俗は其の失五逆に過ぎたり」。
五逆罪と申すは、父を殺し母を殺し、仏を打ち奉りなんどする大なる失を五聚めて、五逆罪と云ふなり。
されば此の五逆罪の人は、一中劫の間無間地獄に堕て浮ぶ事なしと見えたり。
然るに今宿善薫発して、出家せる人の還俗の心付て落つるならば、彼の五逆罪の人よりも、罪深くして大地獄に堕つべしと申す経文なり。能く能く此の文を御覧じて思案あるべし。
我が身は天よりもふらず、地よりも出でず、父母の肉身を分けたる身なり。我が身を損ずるは父母の身を損ずるなり。
此の道理を弁へて親の命に随ふを孝行と云ふ。親の命に背くを不孝と申すなり。
所詮心は兎も角も起れ、身をば教の如く一期出家にてあらば、自ら冥加も有るべし。
此の理に背て還俗せば、仏天の御罰を蒙り、現世には浅ましくなりはて、後生には三悪道に堕ちぬべし。能く能く思案あるべし。
身は無智無行にもあれ、形出家にてあらば、里にも喜び某も祝著たるべし。況や能き僧にて候はんをや。委細の趣後音を期し候。
弘安二年五月日  日蓮花押 

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